第535話 レティーナの新パーティ

 森の中を轟音が響き渡る。

 それは巨体が乱立する樹木に衝突する音だった。同時に、悲鳴が近くから湧き上がる。


「ひょわあああぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 数百キロの巨体を誇る突撃猪ストライクボア。その突進をかろうじて躱しながら、サリヴァンは悲鳴を上げる。

 その情けない姿を目の当たりにし、レティーナは激しく首を傾げていた。


「おかしいですわね。ニコルさんは簡単に躱していましたのに」

「いや、お嬢。あれって、言うほど簡単なことじゃないからな?」


 呆れたように肩を落とすのは、隣に立つマテウス。長い腕と長剣を地面に引きずるようにしながら、レティーナの横についてくる。

 これはいつでも彼女を守れるようにと考えての位置取りだ。

 その分、囮になっているサリヴァンへのサポートが甘くなっているので、彼一人が追い回される事態に陥っていた。


「でもニコルさんなら、サイドステップで軽々と突撃を躱してましたわよ?」

「レティーナ様、それって普通じゃないですからぁ!」

「サリヴァンも糸使いなら二本くらい飛ばして木々の間を駆け回るくらいしてみなさい」

「無茶いわないでください! 糸二本を別々に操るとか、どんな非常識ですか!?」


 片手で糸を飛ばして枝に絡め、もう片方は糸を解いてて元に戻す。

 その間に自分の体勢を整え、次の振り子運動へ備える。

 それを連続して行えるレイド=ニコルが異常なのであって、通常はサリヴァンのように一本の糸で緊急回避に使うのがせいぜいだ。

 現に今も、ストライクボアの突撃を糸を使って身体を引っ張り、ギリギリ回避していた。


「どいてろ、サリヴァン!」


 ストライクボアの注意がサリヴァンに充分に引き付けられ、レティーナのそばまでやってきてもこちらを一顧だにしない。

 マテウスはそれを確認してからレティーナのそばを離れ、ひたすら追い回されているサリヴァンのもとに駆けつけ、斬りつける。

 長い腕を鞭のように使い、長剣の重い一撃を首元に叩き込む。


「ブモォォォ!?」

「チッ、さすがに頑丈だな?」


 しかし、体重数百キロという巨獣が相手では、自慢の剛剣でも一撃とはいかない。

 ましてやこのストライクボアの首はその突進を支えるいしずえでもある。

 それでも毛皮を裂き、肉を斬り、骨にまで達した威力は、さすがとしか言いようがない。

 それでも、ストライクボアは健在だった。飛び退くようにマテウスから距離を取り、標的をサリヴァンからマテウスに変更して、後ろ足で地を蹴って威嚇する。


 二本の剣を構えて待ち構えるマテウス。そこへレティーナからの援護射撃が飛んできた。

 目元を火弾ファイアボルトが襲い、視界を塞ぐ。その直撃に思わず顔を振り上げたストライクボア。

 そのタイミングでサリヴァンが糸を飛ばして、上がった頭を枝に吊るして固定する。

 巨体を支える首をさほど太くもない枝に吊るしたところで、一瞬しか枝が耐えられない。

 事実、枝はあっさりとへし折れ、ストライクボアのそばに落ちていく。サリヴァンの糸も同様に力をなくして宙を舞う。


 だがマテウスにとっては、その一瞬で充分だった。

 一息にストライクボアの首元に潜り込み、下から二本の剣を左右に振り抜く。

 腹側の柔らかい毛皮と、筋肉の薄い部位もあいまって、今回の斬撃は深々と肉を斬り裂く。

 その一撃は、気管と重要な血管を完全に破壊していた。


「ブ、ブヒュッ……ブゴヒュ……」


 気管を破壊されているために呼吸ができず、横倒しになって足をばたつかせるストライクボア。

 その様子を見てマテウスは剣を逆手に持ち、トドメの一撃を頭に叩き込んだ。

 堅い頭骨を貫くことはできないが、眼球の穴を狙いすませば、脳を破壊することができる。それができるだけの力量が、彼にはあった。


「やれやれ、猪一匹に大騒ぎだな?」


 息絶えたストライクボアを見下ろし、芝居がかった仕草で肩を竦める。そのかたわらで腰を抜かしたようにへたり込んでいたサリヴァンは、泣き言を漏らしていた。


「冗談じゃないっすよ、ストライクボアは猪の中でも魔獣に分類されるモンスターなんすから」

「あら、でもニコルさんとミシェルさんは二人で倒し切ったという話でしたわよ。七歳の時に」

「いや、それ異常ですから。さすが六英雄の英才教育というか……」


 実際は幼児離れしたニコルの体捌きと、射撃のギフトを鍛え抜いたミシェルの二人だからこそ倒せたと言える。

 もちろんマリアがその場にいて、状況を確認し、安全を確保した上での試験だったので、危険はなかった。

 それでも子供二人で討伐し得たのは、特筆に値する。


「でも、まぁ、あの嬢ちゃんなら不思議じゃねぇよなぁ?」

「カインの密造所教えたのは、拉致られた二人を助けるためだったんスけど、まさか根こそぎ破壊するとはねぇ。なんとも予想外なお人でした」

「ニコルさんならそれくらいはやるでしょ。それにしても、あのバカを始末するなら私も一緒に連れて行って欲しかったですわ」

「それだけはさせられませんので、ご理解くださいな。俺が旦那様に殺されるんで」


 ニコルにカインの製薬所の場所を知らせたのは、サリヴァンの仕業だった。

 彼はミシェルたちの拉致を嗅ぎ付け、その解決のためにニコルを利用しようとしていたのだ。

 しかしニコルはそれ以上の活躍をして、製薬所を根本から破壊してしまう。

 それどころか六英雄のマクスウェルやレイドまで巻き込んだというのだから、手に負えない。

 それはすでに、サリヴァンの想定を超えた騒動になっていた。


「しかし、あの嬢ちゃんが解決に乗り出して、しかもレイドまで……ねぇ?」

「おや? マテウスの旦那は何か腑に落ちないことでも?」

「ああ、六英雄のレイドとは前に会ったことはあるんだが……」

「ありますの!?」


 マテウスの言葉を聞き、レティーナは身を乗り出してその襟首をつかみ上げる。

 マテウスがかつては危険人物だったと知っているサリヴァンは、気が気ではない。


「そりゃ、あの屋敷に出入りしているんだから、偶然顔を合わせることくらいあるって。まだ一度だけだが。それより……いや、なんでもねぇし?」

「歯切れが悪いですわね。まあいいですわ。それより私たちもなかなか、いい仲間になりそうですわね」

「こういうのは一度で勘弁してもらいたいねぇ?」


 意気揚々とストライクボアの解体にかかるレティーナに、マテウスは大きく溜息をついて返したのだった。

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