第536話 マテウスの災難

 その夜は、レティーナの獲って来たストライクボアの肉を料理した物を、夕食に出した。

 マクスウェルはその味に舌鼓を打ち、彼女を自宅に送り届けてから、後始末の書類に取りかかっていた。

 そこへマテウスがやってきた。作業を始めて間が無いので、茶などの用意はしていない。

 つまり、彼は話があってこの場に来たということになる。


「なんじゃ? 神妙な顔をして」

「いやぁ、爺さんにちょっと聞きたいことがあってね?」

「話せることと話せないことはあるぞ。なにせ今は機密を扱っておるからの」

「ああ、そっちじゃねぇよ?」


 今マクスウェルが扱っている書類は、レメク公爵家の資産をどう処分するかという案件に関わるモノだった。

 何より領地に関しては緊急性が高い。

 メトセラ領は森が深い。同時にそれは豊富な森林資源を有することを意味している。

 そして森が深いわりには街道が整備されており、人の往来が多く、金銭の流れも激しかった。

 金銭の流れが激しいこの領地で、管理者である領主が長く不在というのは、さすがに問題がある。


「メトセラ領に早く管理者を送らねばならんでな」

「俺の話はすぐ済むさ。なあ爺さん?」

「なんじゃ?」

「ニコル嬢ちゃん、ありゃ何者だ?」


 ズバリと斬りこんできたマテウスに、マクスウェルの手が止まる。

 ゆっくりとマテウスの方に振り向き、射すくめるような視線を向けた。その視線には、いつもとは違う殺意にも似た圧力が篭っていた。


「ニコルが、どうかしたのかの?」

「――ッ!」


 ややゆったりとした、落ち着いた声音。だがマテウスは蛇に睨まれた蛙のように、身動きが取れなくなっていた。

 彼も幾度もの修羅場を潜り抜けた歴戦の剣士。多少の威圧で怖気づくような精神の弱さはない。

 しかしマクスウェルのそれは、強さの桁が違っていた。

 ただ戦いを潜り抜けただけではない。貴族として謀略の波を潜り抜け、その上で生死を掛けた実戦も潜り抜けたからこそ、発せられる圧力だった。


「この屋敷には、糸使いが二人出入りしている。ニコル嬢ちゃんと、レイドだ」

「ほう、それで?」


 マテウスの声からいつものおどけたような口調は影を潜め、ひきつる喉を無理やり動かして問い詰める。

 同様にマクスウェルもいつもの愛嬌のある表情は消え失せ、鷹のような鋭い眼光でマテウスを睨んでいた。


「先の事件に関してもそうだが、この二人が同時に関わる案件が多すぎねぇか?」

「……だから?」

「だから、俺はこう考えた。ニコル嬢ちゃんこそが、レイドじゃないかってな」


 まるで崖から飛び降りる心地で、マテウスはそう断言した。その言葉を受けてマクスウェルはゆっくりと席を立つ。

 ゆらりと、まるで幽鬼が地面から染み出すかのような動き。それにマテウスは命の危機すら覚える。

 大きく唾を飲み込み、腰の剣に手が伸びるが、それを掴むことをためらってしまう。

 もし柄を握ってしまったら、確実に自分は殺される。その確信が、彼にはあった。

 マクスウェルは老人で、しかも魔術師だ。剣士である自分が、この距離で敗北するとは思えない。

 そう思考してはいても、自分を信じることができなかった。

 睨み合うことしばし。たっぷり数分も睨み合ってから、ようやくマクスウェルが口を開いた。


「その考え、誰かに話したことはあるかね?」

「いや、まだない。それが?」

「命拾いしたの。いや、いっそここで口を封じるのもありかのぅ?」

「勘弁してくれ! 本当に誰も話してないし、話す気もねぇ!」

「そうかの? ならばよい……そうじゃな、お主には話しておいた方がいいかもしれんな」


 しばし思案した後、マクスウェルはそう判断を下した。

 ニコルの正体に関しては、現状マクスウェルとガドルス、あとはデンと二柱の神々しか知らない。

 六英雄のガドルスは信頼できるし、ニコルを主と崇めるデンも、問題はない。

 神々に至っては、その思考を追うことすら難しい。

 逆にいえば、それだけしか知られていないとも言える。今後、ニコルが活躍すればするほど、協力者の数は欲しくなる。

 ならばここで、後ろ暗い面を持ち、マクスウェルに従属しているマテウスを巻き込むことも悪くない、と判断していた。


「お主には裏で色々と動いてもらっておるからの。そうじゃな、その質問の答えは肯定しておこう」

「やっぱりか。タダモンじゃねぇと思ってたよ。初めてあった時ですら、俺を出し抜いたんだからな?」

「元々、あまり身体の丈夫な方ではなかった男じゃったからな。非力を補うための手札の多さは、前世から引き継いでおる」

「創意工夫はお手の物ってか。勝てねぇはずだよ?」

「もちろん言わずともわかろうが、この件については他言無用。特にコルティナ、ライエル、マリアには断じて許さん」

「なんでだ? むしろ言うべきじゃねぇのか?」


 反論するマテウスに、マクスウェルはじっとりとした視線を向ける。

 それから軽く肩を竦めてから、再び席に着いた。


「ライエルとマリアからすれば、十年越えてようやく得た子宝じゃ。それが実はかつての仲間だと知ったら、微妙な気分になるじゃろ」

「そりゃ……なぁ?」

「コルティナに至っては、親友の娘がかつて惚れた男になっとるんじゃぞ? しかも、息子ならともかく、娘じゃし」

「気まずいったらありゃしねぇな。なるほど、喋るに喋れねぇってわけか?」

「無論このままとはいかん。レイドは喋る気はないようじゃが、いつかは知ってもらわねば、少なくともコルティナが不憫じゃ」


 マテウスに背を向け、書類仕事を再開しながら、説明を続ける。

 手と口で全く違う話題を取り扱っているというのに、その動きに淀みはない。

 それだけ、書類仕事に慣れたということでもあった。


「ライエルとマリア……様にゃ、死ぬまで喋らねぇと?」

「こちらは、さすがにのぅ。それに今はその下準備という所じゃよ」

「下準備?」

「少しずつレイドの存在を臭わせ、お主のようにわずかずつ『そうではないか?』という疑念を持たせることで耐性を持たせておる段階じゃ」

「気の長い話だこと」

「ワシはエルフじゃからな。問題はかつての仲間だけではなく、レティーナ嬢やミシェル嬢の話にも広がりつつあることじゃ」

「交友関係、広がってるよな?」

「うむ。あの八方美人め、容赦なく友や信奉者を増やしよる。悪い事とは言わんが、尻を拭うワシの気にもなれというものじゃ」

「爺さん、ひょっとして俺に愚痴を漏らすために、真実を教えたとか?」


 マテウスの言葉にマクスウェルは肩越しに振り返った。

 今度は威圧感は欠片も込められておらず、いつもの悪戯っぽい笑みを湛えていた。


「苦労人の仲間は多い方が良いのでな。お主も覚悟してくれ」

「おいおい……」


 マクスウェルのぶっちゃけた言葉に、マテウスは大きく肩を落としたのだった。

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