第574話 フィーナの冒険 14
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聖樹教の教会に戻ったアシェラは、留守中の報告を枢機卿から受けていた。
とはいえ、留守にしたのはせいぜい半日程度だったので、聞ける話はほとんどなかった。
「こちらが落ち着いているなら、よかったわ。それで? 聖樹の異音の方はどうなったの?」
本来のアシェラなならば、マリアの屋敷に一泊するなど言い出すのだが、現在は世界樹の内部から軋むような異音が連日響いており、その麓に神殿を置く世界樹教の最高司祭としては、あまり長く神殿を開けることができなかったのだ。
しかし枢機卿はアシェラの問いには首を振って返した。
「いえ、何の変化も。今以上大きくなることもなく、また消えることもありませんでした」
「状況は現状維持ということかしら。とはいえ世界樹も生き物。半ば折れているうえに内部から軋むほどの何らかの圧力を受け続けていては、樹が死んでしまいかねないわ」
「そ、それほどの大事で!?」
「万が一の話よ。神話の時代から生き続けてきた樹が、そう簡単に枯れてたまるモノですか」
「脅かさないでください、まったく」
とはいえ、世界樹から異音が響くというのは、今までの伝承の中でも聞いたことがない。
定期的に破戒神が『剪定』を行う際は、巨大な魔法陣が天空に広がるので、それとはっきりわかる。
しかし今回は、そういった前兆がまったく存在しない。
「神殿騎士を冒険者に紛れ込ませ調査を進めておりますが、成果の方は芳しくありません」
「そりゃそうでしょうね。仮にも世界最古にして最大の迷宮。一筋縄ではいかないわ」
なぜか自信満々で胸を張るアシェラ。むしろ一筋縄でいかないから困っているのにと、枢機卿は頭が痛む思いだった。
◇◆◇◆◇
「以上が開拓村での狂言誘拐の顛末になります」
プリシラはエリオットの私室で、今回の派兵の報告をしていた。
内容が内容のため、公の場で報告ができなかったからである。
「了解した。それにしても、またクファルか……今回の一件も、奴の工作が根底にあるのだな?」
「はい。元は仲間を増やすための工作だったかと思われますが、それが回りに回って……という形でしょうか」
「迷惑な話だな。しかし、奴の仲間の中には、そういう形で利用されていた者もいるということか。ただ討伐すればよいという状況ではなくなってきたか」
「彼ら三人は、今後はライエル様が監督されることになりました。今後はこのような事件を起こすことはないと思われます」
「それは良かった。半魔人であれ、クファルの仲間であれ、一応はこの国の民だからな。殺さずに済むなら、それに越したことはない」
エリオットが予想外に穏和な方針を展開してくれたおかげで、プリシラはホッと安堵の息を漏らした。
たとえライエルが監督しているとはいえ、国王であるエリオットがその裁定を否と口にすれば、それに従わねばならなくなる。
とはいえ、エリオットもライエルに恩義がある身なので、あまり強硬な処罰を求めるのお考えにくかった。
そうと知ってはいても二人の意見が食い違った場合、その二人を取り持たねばならないのは、現場にいたプリシラの役目である。
もしそんな状況になってしまったら、彼女の心労は如何ほどになろうか。プリシラは想像するだけでも鳥肌が立っていた。
「三人の処置に関してはライエル様に一任しよう。私から口を出すことはないと伝えてくれ」
「承知しました。では――」
「それはそれとして、まだ少し口調が硬いな?」
「へ?」
唐突に話題を変えられ、プリシラは間の抜けた声を漏らす。
元々幼馴染といってもいい二人である。気安さという面では、他の臣下とは一線を画する。
「せっかく夫婦になったんだ。もっと親しい口調で話してくれてもよかったのに」
「そういうわけにはいきません。一応任務ですので」
「ほら、子供の頃みたいに呼び捨てにしてくれてもいいんだよ?」
「そ、そんなことできませんよ!?」
子供の頃は立場の違いなど、形式的な物と蹴り飛ばしてしまうことが多い。
事実彼女も、エリオットの近侍となった時は、二人きりになると呼び捨てで呼び合っていた。
それから武術を学び始め、プリシラが正式に護衛になってからは、まったく呼び捨てにすることは無くなっていた。
物心ついた時から王として担ぎ上げられたエリオットとしては、身分を感じさせないプリシラとのやり取りは、数少ない癒しでもあった。
「せっかく妻になったんだ。ほら、名前を呼んで」
「いえ、だから……」
「昔みたいに。なんだったら、近侍になる前に読んでいたエリ君って呼んでくれてもいいよ」
「で、できませんから!」
プイッと顔をそむけるプリシラに、エリオットは席を立って肩を抱き寄せる。
息がかかるような近距離に、プリシラは完全に硬直してしまっていた。
「まあ、私たちもお互い子供じゃない。昔のように無邪気にじゃれ合うということはできないが、大人は大人なりのじゃれ合いでもしようじゃないか」
「へ、陛下、おたわむれを……」
硬直しつつも、拒否の言葉を口にするプリシラ。しかし言葉とは逆にゆっくりと瞳は閉じられていく。
しかし細く狭窄していく視界の隅で、プリシラは何者かの存在を見て取った。
「ヒッ!?」
反射的にエリオットを突き飛ばし、腰の剣に両手を伸ばす。
だが、いつの間にか室内に潜入していた何者かは、刺客でもなければ、不審者でもなかった。
そこにいたのは彼女の父であるラグラン伯爵であった。
「あー、陛下。そういうことはしっかりと施錠してからしていただきませんと。私としても目のやり場に困ります」
「ラグラン伯、さすがに無粋だぞ。ノックくらいしたらどうかね?」
「これは失礼をば。扉が少し開いていたので、つい中を覗いてしまいました」
「しっかりと室内まで潜入していて、何を言うか」
「ことは陛下の世継ぎ問題ですからな。しっかりと事が行えたかどうか、確認いたしませんと」
「お、お父様、それはさすがに……」
さすがに引きつった顔を隠せないプリシラに、ラグラン伯爵はフンと鼻を一つ鳴らして視線を逸らす。
どうやら自分が、居心地の悪い場所に踏み込んだ自覚はあるようだった。
「それで、なんの用だ?」
「はい。派遣した兵たちは無事原隊に復帰させました旨、ご報告に上がりました」
「そうか、ごくろうだった。私はこれから別の仕事するので、少しばかり彼女を借りるよ」
「はい、腰が抜けるほど責めてやってください」
「お父様っ!」
男同士の下世話な会話に、さすがにプリシラは怒りの声を上げた。
護衛とは言えまだ若い女性。せめて雰囲気くらいは甘くしてほしかったところである。
しかしラグラン伯爵もすでに高齢と呼ばれる域にある。孫の顔はできるだけ早く見たいという欲求はある。
日頃生真面目な性格なのに、下世話な話に興じているのは、その辺りが理由だろう。
「これはさすがに失礼だったな。プリシラ、君のことは本当に愛しているから」
「そこは疑ってませんけど……」
てらいもなく愛の言葉を口にするエリオットに、顔を赤くして俯くプリシラ。
そんな二人を見て、黙って肩をすくめてから退室するラグラン伯爵だった。
これ以上この部屋に居座ったら、本当に馬に蹴られてしまいそうだったから。
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