第514話 助けに来た男

 目の前のカインを通り過ぎ、三階の扉へ飛び込む。寮内に入れば、このような無法は簡単には行えない。

 そう判断しての行動だった。

 後方に向かう手もあったが、狭い通路を数名の生徒が塞いでいるため、乗り越えるのは難しい。

 そのため、あえてカインの横を通り抜けることを選んだのだが――


「破戒神を讃えよ!」


 短剣を槍し、振動能力を起動すべく、起動言語キーワードを唱えるフィニアだが、短剣に流す魔力が霧散してしまい、変化しなかった。

 そのため遥か遠くの間合いから斬りかかるという格好になってしまう。

 瞬時にその異変を察知し、再度擦れ違いを選択するフィニア。


「おおっと。意外とやんちゃだな、君は」

「くっ!?」


 しかしその前をカインが塞いでいた。

 接近した間合いならば、短剣でも使用できる。そう判断して、短剣を横薙ぎに振るうが、その手に返ってきたのはゴツリという、硬く鈍い感触だけ。

 短剣を突き立てた場所は、カインの脇腹。致命傷を与えては後が面倒なので、けがを負わせて怯ませることを目的とした一撃だったが、この感触はフィニアの予想を超えていた。

 驚愕に一瞬動きを止めた彼女の腕を、カインは余裕をもって掴み取り、捩じり上げる。


「は、離して!」

「そういって離したマヌケは見たことがないな」


 もがくフィニアだが、その腕は固定されたかのように動かない。

 フィニアも冒険者をやっている以上、決して非力な方ではない。むしろ体捌きが鋭い分、普通の女性とは比べ物にならないくらいの力があるといっていい。

 しかしカインは、そんなフィニアの腕を易々と固定していた。見かけによらず、凄まじい剛力と言える。

 どうやっても引き剥がせない。カインの後ろには三階への扉が見えるだけに、フィニアは屈辱に歯噛みした。


「おい、こいつも連れていけ。レティーナとニコルは敵に回すわけにはいかんが、実行犯が捕らえられたとなると身動きは取れまい。しょせん平民の女だし、さほど気にはせんだろう」

「はい、ところで……」

「『クスリ』なら後で渡してやる」

「へ、へへ、約束ですよ?」

「いいからさっさと連れ――」


 ――ていけ。そう言おうとした直後、カインの背後の扉が勢いよく開かれた。


「どっせぇい!」


 叫びと共に一つの人影が飛び出してきて、カインへの体当たりを敢行した。

 完全に不意を突かれたカインは体勢を崩し、フィニアの腕を離してしまう。

 その隙に人影はフィニアの手を取り、カインから引き剥がした。


「あ、あなたは!?」

「いいから、今はついてきて!」

「って言われましても……きゃあああ!」


 いうが早いか、人影――少年はフィニアを抱え上げ、螺旋廊下の手すりから身を躍らせる。

 もちろんその下は一階までなにもない。

 落下を止めようにも魔術学院の敷地内では、魔法が使えない。

 フィニアはとっさに魔法を詠唱しようとし、それを諦めた。


 しかし少年は飛び降りる際に手すりに鋼糸を引っ掛け、振り子の要領で下の回廊に飛び込んでいく。

 抱えられたフィニアはその鮮やかな体捌きに刮目する。


「えと、もう一度お聞きしますが、あなたは……?」

「俺はサリヴァン。君のような美少女の味方さっ」

「あ、レティーナ様のご学友ですね」

「お、レティーナ様に興味持たれてたの? マジ、脈ありじゃん!?」


 いいながらも二階の扉を押し開け、そこに飛び込む。

 フィニアの手はその間も離さない。むしろ撫でまわすような指の動きをしていた。


「いや俺、レティーナ様の護衛をこっそり命じられていたんだけど、まさかそっちが狙われるとか思わなくってさぁ」

「レティーナ様の護衛って……誰から?」

「そりゃ、ヨーウィ侯爵に決まってるじゃない。自分の愛娘が危険分子のいる場所に転校したんだから、心配するでしょ」


 フィニアの手を引いて廊下を走りながら、サリヴァンはそう説明する。


「そうだ、レティーナ様!?」

「大丈夫、そっちは先に手を打っておいたから。今頃は仲間が安全を確保している頃さ」


 そこで先ほど、レティーナが教員に呼び出されていたのを思い出した。それが彼の仲間なのだろうと、フィニアは当たりをつける。


「仲間って、ひょっとして担任のマイヤー先生ですか?」

「正解。レティーナ様が動くより先に、侯爵様が動いていたってことだね。愛娘が輿入れするんだから、下調べもするってもんだ」

「さ、さすがの親バカ……いえ、なんでもありません」

「ははは、聞かなかったことにしておくよ」

「そうしてください」


 そうしている間にも背後からは足音が迫って来る。

 フィニアが背後を振り返ると、後ろから体勢を立て直した生徒たちが追いかけてきていた。


「追って来てます! ここで迎え撃つのは?」

「ゴメン。俺、荒事は苦手なんだよ」

「そ、それでも護衛ですか!?」

「襲われないように対象を動かすのが、最高の護衛なのさっ」

「物は言いようですね!」


 フィニアの詰問にヘラリとした笑顔を返しながら、サリヴァンは適当な部屋の扉を開き、飛び込んでいく。

 その部屋には着替え中の女子生徒がいたが、彼はそれをガン見しながら走り抜ける。


「おじゃましまーす」

「えっ! あ、うぇ!?」

「えと、その……おじゃましました!」


 混乱して、言葉を出せない女子生徒に、気楽な挨拶を返すサリヴァンと、とりあえずの挨拶だけして通過するフィニア。

 そんな彼女を置いて、二人は再び窓から身を躍らせる。

 今度は二階なので、それほどの高度はないため、そのまま飛び降りた。

 地面で一回転して衝撃を逃がし、二人連れだって寮の敷地から飛び出していく。

 螺旋廊下からそれを見ていたカインは、手すりを殴って悔しさを表していた。




 サリヴァンに窮地を助けられたフィニアは、彼の案内のまま街の安宿に転がり込んでいた。

 そこは彼の顔見知りの宿で、裏切られる心配はないらしい。


「小汚いところで悪いね、お嬢さん」

「フィニアです」

「うん、知ってる」


 考えてみれば、レティーナの護衛というなら同じ目的のフィニアの存在については知っているはずだ。

 そもそも侯爵の関係者なら、レティーナと同じパーティだったニコルの事も知っているはずで、その関係者のフィニアの事も知っていておかしくない。


「悪いけど、しばらくここで身を隠しておいて」

「どうしてです? ニコル様、それにレティーナ様も危険なのでは!?」

「そこは大丈夫。ニコルちゃんに手を出したらその時点で奴は殺される。ライエル様にね。レティーナ様も、まあ同じでしょ」

「それは、そうでしょうけど……」

「カインの奴はそれ以外は目に入っていないから、フィニアちゃんに手を出してきたんだけどね」

「そうなんですか?」

「そうそう。奴にとっては、貴族以外は消耗品。だから他の貴族も同じだと考えている。だから君にも平気で手を出してきた」


 サリヴァンは吐き捨てるようにそう説明する。

 平民のフィニアを人として見ていないから、処分しようと行動に出た、と。

 レティーナも、使い捨ての道具が壊れた程度にしか思わないと考えている、と。


「六英雄の娘のニコルちゃんはともかく、君の安全は寮内で保証できない。事が済むまでここで隠れていて欲しいんだ」

「そんなの、いつになるかわからないじゃないですか!」

「そこは安心して。今日明日にでも始末がつくから」

「え……?」

「どうもここ最近で、動きが活発になっているんだ。おそらくニコルちゃんがちょっかい出したせいだと思うけど。おかげでこっちも動きやすくなった」


 ニコルがファンガスを始末したことで、カインは裏稼業が露見したことを知った。

 そしてそれをフィニアの仕業と勘違いし、行動に移した。それが今回の顛末だった。


 しかしそれも、長くは続かない。

 その情報はすでにマクスウェルの元に届いていて、彼を経由してヨーウィ侯爵にも伝わったのだから。

 後はどう始末が付くかを眺めているだけでいい。それまで関係者の安全を確保しておけば、彼の任務は完了だったのである。



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