第233話 逃亡戦

 街角の向こうに消えたマテウスを追って、コルティナは路地裏へと駆け込んだ。

 それと同時にさらに奥の角を曲がる人影。後ろからでもわかる、特徴的な長い腕と二本の剣を腰に吊るした姿は、見間違いようがない。


「待ちなさい!」


 単独で腕利き暗殺者を追う危険は、コルティナも承知している。

 しかしそれでも宿の少年を人質に取られている以上、追わないわけには行かない。英雄としての矜持が、なによりレイドに恥じるような行為ができるわけがない。


 誘導されるままに街路を一つ、二つと曲がり、やがて完全に大通りから離れてしまう。

 そしてそこでマテウスは待ち受けていた。


「やあ、英雄さん。元気そうで何より?」

「そういうあなたは、マテウスって男で間違いないかしら?」

「その通り。実に察しが良いね?」


 微妙に語尾を上げる奇妙な話し方が、コルティナの神経を逆なでる。

 しかし今はそれは後回しにしなければならない。


「あの子はどこ?」

「んー、一緒に来てくれればお話してもいいんだけどねぇ?」

「私は下手なナンパに付き合う気分じゃないんだけど」


 護身用の杖を突き出し、戦闘の体勢を取るコルティナ。補助具でもあり、杖術にも使える頑丈な愛用の杖だ。

 その動きを見て、マテウスは大袈裟に肩を竦めて見せた。


「はいはい。実は誘拐なんてしてませんよ? こいつはあの子が買い食いして汚したエプロンを買い取っただけでね?」

「なんですって?」

「アンタ、駄賃をあの子にやっただろ。それで揚げ芋を買い食いしてたんだ。この赤いのはケチャップの跡。今頃はウチの若いのの足止めを食らって、公園で一服してる頃じゃないかな?」

「……うまく誘い出されたってわけね」

「いや、うまく囲いに入ったと言うべきかな?」


 マテウスの言葉に合わせるように、コルティナの背後にも人影が現れた。

 薄汚れた服に、使い込まれた皮鎧。左腰には片手剣。一見すると少しくたびれた感じの冒険者。比較的軽めの武装は、街中で見かけても不自然ではない。

 だがこのタイミングで背後に二人並んで現れるなど、偶然とは考えられない。

 通りの前と後ろを塞がれ、逃げ道が塞がれる。


「準備万端ってわけ? だけどこっちも、それなりの覚悟があってきてるのよ」

「へぇ? でもまあ、準備万端ってのは、その通り。俺は旦那を追って来る連中を追い払うのが仕事でね。アンタたちがあの魔法陣を見て追ってくるのは想定内。それにアンタの覚悟程度で俺が負けるとは思えないんだけど?」

「魔法陣はわざと残したっていうの? 追われるのが嫌なら消しておけばいいのに」

「おや、技量差の方は無視かい? まあ、逃げるだけじゃ、延々とコソコソ隠れる羽目になるじゃない。俺は面倒な仕事は嫌なんだよ?」


 じりじりと間合いを詰めてくる後ろの二人。民家に囲まれたこの裏路地は、他に道はない。


「アンタを押さえれば、六英雄も統率を失う。そしてあんたは中でも一番手を出しやすい。だろ?」

「果たしてそうかしら。私って結構クセ者なのよ?」


 確かにコルティナは六英雄の中では最も弱く、こうして命を狙われた事も何度かある。

 しかしその度に彼女は様々な方法で切り抜けてきていた。


「それに、あの子が無事なら、無粋な男と付き合う必要もないわね」

「無粋とは言ってくれるねぇ。荒事は面倒だから、降伏してくれるとありがたいんだが。っていうか、結構お話に付き合ってくれてるよね?」

「降伏、か。ありがたいお誘いね……でも残念。レイド風に言うなら、返事は『断固として断る』よ!」


 かつての仲間の言葉を借り、コルティナは一気にきびすを返す。そして背後の二人に向かって突進した。

 コルティナこちらに向かって来るのは想定していたのか、男たちに慌てた様子はない。

 冷静に迎え撃つべく、剣を抜き、構える。


 しかしコルティナは、その二人の直前で杖を地面に突き立て、宙へと舞い上がった。

 突き出した杖をつっかえ棒にして、棒高跳びの要領で大きく宙へと身を躍らせる。

 だが、しょせん二メートルにも満たない杖では、あまり高度は稼げない。そこで狭い街路の壁を一蹴りして、さらに高度を稼ぎ、男たちの頭上を飛び越えた。


「なにっ!?」


 予想を超えた機動を行ったコルティナに、驚愕の声を上げる二人。

 コルティナは着地の勢いを敢えて殺さず、地面を転がって距離を稼ぐ。

 そして勢いのままに起き上って、そのまま逃走へと移った。


「何やってんの、お前ら?」

「す、すみません!」


 呆れたマテウスの声に、謝罪を返す二人。しかし棒立ちになっていたわけでなく、すぐさまコルティナの追走に移っている。

 驚愕からとっさに追撃の行動に移れる所を見ると、それなりに場数は踏んでいるのだろう。


 対するコルティナも、身体能力に優れた猫人族である。機先を制した逃走劇では負ける気はしない。

 元来た道を一息に駆け戻り、大通りに出れば派手な真似はできない。そう計算して角を曲がったところで、足を止めた。

 来る時は何もなかった通りに、木箱の山がぶちまけられていたからだ。

 木箱は結構な量がばらまかれており、乗り越えるのはさすがに骨が折れる。かと言って、これをどけて突破するのはさらに時間がかかる。どっちの手段も、逃げる側にとっては致命的だ。


 先ほどのように棒高跳びの要領で飛び越えることは可能だろうが、そのための杖は、男たちを飛び越えた時に投げ捨てていた。


 乗り越えるにしても、どけるにしても時間がかかり過ぎる。

 案の定、しばらくして男たちが追い付いてきた。


「待て、こら!」

「手間かけさせやがって!」


 口々に罵声を上げながら、駆け寄ってくる男たち。

 対するコルティナは完全に無手。抵抗する術は無い――かと思われた。

 しかし彼女は、非武装と思って無防備に近付いてきた男に向かって、木箱を拾い上げて、叩き付けた。


「うわっ!?」


 武器が無いと思って油断していた男は、その攻撃を避けることができない。

 しかし、まともに受けるほど間抜けではない。とっさに剣を使って防御したため、大きなダメージを受けることは避けている。

 鉄製の剣にぶち当たって砕け散る木箱と、ぐらりと体勢を崩す男。

 コルティナはその男の首筋に握り拳の小指側を叩き付けた。いわゆる鉄槌と呼ばれる打法である。

 この方法は最も力が入りやすく、それでいて拳を痛める危険も少ない。

 力に劣る、女性のコルティナでも男を昏倒させることができるほど、危険な当て身だ。それを急所である首筋に受けては、ひとたまりもない。


 一瞬で意識を失い、ゆっくりと崩れ落ちる男。突然の反撃に一歩で遅れたもう一人の男が、ここでようやくコルティナに斬りかかる。

 だがコルティナは敢えて倒れる男の下に滑り込み、その身体を盾にして攻撃を避ける。

 斬りかかった男はその行為に剣を止めようとしたが、勢いを殺しきれず、したたかに仲間を打ち据えてしまった。

 とっさに刃筋をずらし、深手を負わせないようにするのがせいぜいだった。


 男の下敷きになって地面に押し倒されたコルティナは、床に散らばった木箱の破片を手に取った。

 砕けた木板は先が尖っており、そのまま手槍の代わりに使える。倒れたまま、コルティナは腕を大きく振り、その破片を男の足首に突き立てた。

 これが街の外だったのなら、足甲グリーブによって防がれていただろう。

 しかしここは街中だ。あまり重装備では一般人の目を引いてしまう可能性もある。

 そのため普通の革靴のままだった男は、その一撃で足の甲を大きく傷つけられた。


「ぐぎゃあ!」


 足の甲の骨は、実は細い。そして筋肉も付きにくい。木の破片であっても充分に砕くことが可能だ。

 その激痛に男はもんどりうって地に倒れる。

 二人を無力化したところで、コルティナは男の下から這い出した。

 そこへゆっくりと歩み寄る、最後の男――マテウスがついに追い付いてきたのだった。

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