第598話 開拓村の危機
ガドルス、フィニアと共に北部の開拓村にやってきた俺たちは、その状況に口をあんぐりと開けた。
元々のどかな辺境の村だった。そこに住む村人も、そんな環境と同じくおおらかで、暢気な性格をしている。
そんな彼らが、悲鳴を上げながら村の南側へ避難している姿というのは、俺がここに住んでいた時期からすると、考えの及ばない光景だった。
「急いで! 荷物は最小限、一刻も早く村から退避してください!」
「そんな花瓶は置いていけ! ライエル様といえど、あの数が相手では長くは抑えきれんぞ!」
「足が痛い? その程度はかすり傷だ、今は村から離れることだけを考えてくれ!」
「早く逃げろ! お前たちが逃げてくれないと、俺たちが逃げられねぇんだよ!」
村の自警団の連中が、村人たちを先導している。避難の方角が南ということは、敵の襲撃は北側からということか。
俺は避難誘導している自警団の中に、見知った顔を発見した。
ついこの間、この村で誘拐事件を起こしたトロイとジョーンズだ。
「トロイ、ジョーンズ!」
「え、ニコルさん? あ、それにガドルス様も!」
彼らはこの姿で直接会ったことはないが、ガドルスに俺に変装してもらったことはあるので、俺がライエルの娘であることは知っている。
「状況は? それにゼルは?」
「はい、最初に北から両手に大剣を持った魔神が二体、北の山から出現しました。これはライエル様とマリア様が撃退なされたのですが、その後間を置かず同型の魔神が五体、村に襲撃してきました。ライエル様とマリア様、それに魔法が使えるゼルが対応していますが、やはり数が多く――」
「五体だって!?」
いくらライエルとは言え、その数が相手では勝てるはずもない。何より奴は回避が得意ではない。
傷を負うことは避けられず、そしてその傷を癒すためにマリアの負担が増える。
もしマリアの魔力が尽きたら、その時点でライエルも押し負けてしまうだろう。
「フィーナは?」
「コルティナ様が連れていかれました。この状況では彼女を連れて逃げるしかないと……」
確かにコルティナは六英雄の中では戦力的に劣る。その劣勢を覆す戦術知識が彼女の売りなのだが……この正面からの力押しに、嵐のように押し寄せる速さとあっては、彼女では対応しきれないらしい。
「フィーナ様を信頼できる方に預けたら、必ず戻ると言ってましたが……」
「会ったら、そのまま避難してろって伝えて」
「え、あの――」
「ライエルのところには、わたしとガドルスが行く。あなたたちはここで避難誘導を続けてて」
「そんな無茶な!」
「大丈夫。あいつらなら、すでに倒したことがあるから!」
「へ?」
俺の返事にポカンとした表情をするトロイとジョーンズ。
まぁ、俺の見た目であの魔神を倒したとか言われても、現実味が薄いか。
しかし事実は事実だし、ライエルたちを放置するわけにもいかない。それに、俺がレイドであることは、いずれこの村にも届くだろう。今さらごまかすのは、往生際が悪いとしか言えない。
それにいかにライエルと言えど、一刻も早く駆け付けねば、数の暴力に屈してしまうかもしれなかった。
いつの時代も、少数の精鋭が存在しても、数には敵わないというのが定説である。
人ごみを掻き分け進んでいくと、次第に人の数が減っていく。
そもそもそれほど人口の多い村ではない。南に向かって数十人が一斉に移動したため、発生していた混雑だ。
それでも柵の内側に畑や民家を詰め込んでいくと、それなりに街路が圧迫されていく。
そこに人が雪崩込んだため、混雑してしまったのだろう。
「いた、ライエル!」
「よし、俺が先行する!」
俺の声にガドルスが答え、短い脚を懸命に動かして先行する。
昔、修学旅行でライエルとガドルスが競争していたことがあったが、ガドルスはドワーフにしてはかなり健脚の部類に入る。
ライエルはというと、三体の魔神に押され、身体中が傷だらけになっていた。
マリアの方はへたり込むようにして地面に座り込み、こめかみに手を当てていた。魔力が尽きかけている典型的な仕草だ。
それでも防御用の結界を張り、二体を引き付けている辺りはさすがというべきか。
マリアが結界を張っているため、ライエルへの治癒が飛ばせない状況になっている。これはかなり危険な状況と言えた。
「ライエル、退がれ!」
ガドルスの叫びにライエルの視線が背後に飛ぶ。
おそらく彼も、マリアの危機には気付いていたはずだ。だからこそ、救援の声に思わず視線を動かしてしまった。
それがこの魔神相手では致命傷になり得る。
「グアアアァァァァァ!」
攻めあぐねていたライエルのわずかな隙に、
とっさに切った視線を元に戻し、自慢の剛剣を叩きつけてその攻撃を凌ぐ。
しかし魔神は二本の剣を持ち、しかも三体がライエルに襲い掛かった。
上下左右から隙間なく襲い掛かる魔神の大剣に、剣を振り抜いたライエルは対応できずにいた。
「ライエル!」
ガドルスはドワーフにしては健脚の部類と言えど、それはあくまでドワーフ内での話。 いまだライエルの横に並ぶに及ばず、彼の盾は届きそうになかった。
マリアもとっさに結界を解除し、ライエルに防御の魔法を飛ばそうとしていたが、これも間に合いそうになかった。
一瞬でそれらの情報を脳内に取り込み、把握する。この処理速度は前世の俺でも持っていなかった。
この局面に追い込まれ、まるでスローモーションのように流れる時間の中で、俺は懊悩し、そして決断した。
とっさに
思考のままに手甲の糸を飛ばし、同時に身体の内部に操糸の力を込める。
そしてライエルとマリアを絡め取って、強引に引き寄せた。
操糸によって強化された俺の腕力は、瞬間的にならライエルすら超える。
その力で無理やり引き摺り倒し、直前までライエルのいた空間を大剣が薙いでいく。
糸によって窮地を脱したライエルは、驚愕の視線を俺に向けていた。それはマリアも同様である。
「ま、いいか。どうせいつかはバレる状況だったし」
「……レイド?」
俺が糸を使った。その場面はライエルだけでなく、マリアも目撃していた。
もはや言い訳はできない。俺は今度こそ完全に腹を括ったのだった。
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