第246話 家探しと逃亡
俺の目の前で、ゆっくりと崩れ落ちるギデオン。
倒れ伏したその下からは
背中が上下する動きもないので、完全に呼吸は停止しているはずだ。
「と言っても、この男のことだ。油断はできないか」
呼吸を止め、死んだ振りをして俺が近付くのを待っている可能性もある。
万が一息があった場合、形勢が逆転した今、そう言った小細工を仕掛けてきてもおかしくはない。遠目から槍を一突きして反応を見るが、やはり動きはない。
「完全に死んだ、か。俺がここまで警戒しないといけないなんて、大した男だよ、あんた」
強敵相手に奇妙な感傷に捕らわれそうになるが、俺もゆっくりはしていられない。
クレインは窓から飛び出し、逃亡を謀っている。もちろんその動きはマクスウェルにも察知されているだろうから、逃げ切ることは不可能に近いはず。
それに先ほどの戦闘、かなり騒々しい音を立てている。このままでは残っている連中が駆けつけてくる可能性は高い。まだこの屋敷には五人ほどが存在しているはずだ。
「さて、では徴税証明書はっと――」
とにかく、クレインの後を追うのはマクスウェルに任せるとする。目的は徴税証明書とクレインの命の二つ。現状では両方を負うことはできない。ならば確実に果たせる目的だけでも、果たさねばならない。
早速痛む体を引き摺りながら家探しを始める。ああいう男は大抵、すぐ取り出せる場所に大事な物を隠す癖がある。
それはいつでも逃げ出せる状況を想定しているからだ。悪党は本来高い場所に住みたがるが、あの男は一階に部屋を持っていた。これも、すぐにでも窓から逃亡できるようにと考えてのことだろう。
タルカシール伯爵の屋敷でも、突入時は抜け道のそばを陣取っており、俺の突入後すぐに逃げ出している。
奴は常に逃げ道を想定する用心深さを持っている。ひょっとしたらその慎重さが、息子のドノバンの優秀さの源になっているのかもしれない。
今回、その大事な証明書を手にして逃げられなかったのは、俺が前もって右手を傷付けていたからだろう。
俺は執務机の引き出しを漁ると、案の定、取り出しやすい一番上に徴税証明書らしき巻物が出てきた。
封をしてある封蝋には、ラウム王族を示す紋章。マクスウェルがときおり使用しているものと同じだ。
「これか……」
「まったく、肝心な相手を逃がすなんて、
その時、窓の外からマクスウェルが顔を出した。
窓の外なのでよくわからないが、その手には一人の人間をぶら下げている。おそらくは逃げだしたクレインを確保してくれたのだ。
そして血だらけの俺を見て、暢気な声が驚愕に染まった。
「悪い、ちょっと厄介な男と鉢合わせしてな」
「それは構わんのじゃが、その怪我……」
いつもなら使い魔でこちらの様子を見ているのだろうが、使い魔の視界を得るということは自分の視界を得られないということでもある。俺の元へ駆けつけてくるのなら、使い魔の視界の共有は切っていた可能性があった。
俺を見て驚いているのは、そう言った理由からだと推測できる。
「ああ、少しばかり不覚を取った。いや、この怪我にふさわしい強者だったと言うべきかな」
「なんと、お主にそこまで言わせるとはな?」
「仮にもマテウスの師匠を名乗っていただけはあったよ」
俺の姿に顔を歪ませるマクスウェルだが、その驚きも無理はない。
筋繊維の強化に糸を使った外部的な強化。その双方を使ってなお不意を突くしかなかった相手だ。
それほどの強者となれば、前世の俺やライエルとまでは行かないが、それに準ずる強さがあるということになる。
「おかげで身体中ボロボロだ。早く治癒してくれると助かる」
「とは言え、わしはマリアほど得意じゃないんじゃがのぅ」
「プリシラよりはマシなはずだから、手早く頼むよ」
マクスウェルに説明してる最中にも
ぺたりと床にへたり込んだ俺に、マクスウェルは慌てたように治癒魔術を掛け始めた。
その効果はマリアほど劇的ではないが、ゆっくりと傷を癒していく。右肩の大穴が塞がり、脇腹の傷も塞がっていく。
その傷の変化を見ながら、俺は自分の座り方に気付いた。女の子特有の尻を床につけ、その左右に踵を開く座り方。この座り方にも慣れてきたものである。
「ワシの魔術では失った血液の再生まではできんぞ。それは
「あんたでも無理なのか?」
「発動まで時間がかかるんじゃよ。その時間でお主は意識を失いかねん」
実際へたり込んだ時は目の焦点すら合わないありさまだった。
この後クレインを始末して屋敷を脱出せねばならないのに、意識を失ってはお荷物になってしまう。
そんな俺の状態をいち早く察知し、治癒魔法を施してくれたのだから、まさに間一髪である。
「悪いな、足を引っ張っちまった」
「その身体でマテウスの師匠と呼ばれる男を相手にしたのじゃから、無理もなかろうて。あとはワシがやるからおとなしくしておれ」
「まったく情けねぇ……」
前世の身体ならばここまでの苦戦はしなかっだろう。ギデオンもマテウスより速いと言っても前世の俺ほどじゃない。
レイドの身体ならば、速度で問答無用に圧倒して、重傷を負うようなヘマはしなかったはずだ。
「この後どうやって始末をつけるつもりだ?」
「どのみちこの屋敷を残したままでは、またコルティナに嗅ぎ付けられてしまうじゃろ? じゃから屋敷ごと吹っ飛ばそうと思う。幸いここは郊外だしの」
「それなら突入する必要なんてなかったんじゃ……」
「それだと徴税証明書を奪還できんかったじゃろう。それに中にクレインがいるかどうかも分かっておらんかった」
「それもそうか」
マクスウェルの思惑としては、クレインは死亡ではなく行方不明になってほしい。
ならば死体を残さず、屋敷ごと吹っ飛ばすという手は悪い手じゃない。
「悪ィ、助かった……」
治癒が終わり起き上がろうとするが、手足が震えて足が立たない。
再び、そのままべしゃりと崩れ落ちた。やはり血が足りていないらしい。
「無理をするな。しばらくは休養が必要なはずじゃ。プリシラですら数日は身動きとれんかったのじゃぞ」
そう言うと、俺を抱き上げ、マクスウェルは
ドアの方から騒々しい音が聞こえてくるが、こちらにもマクスウェルが魔法を飛ばす。魔法によりがっちりと鍵が閉められ、びくともしなくなった。
ふわりと浮き上がったまま、魔法を併用する手際はさすがと言える。
「あれは?」
「
「へぇ……で、横の壁は?」
「む?」
俺がそう指摘した直後、壁から剣が突き出してきた。
大理石のタイルを敷いた床とは違い、壁はそれほど堅固ではなかったらしい。
「こりゃいかん!」
マクスウェルは一声叫ぶと、縛り上げ、気絶したままのクレインを放り出し、俺を担ぎ上げたまま窓から飛び出していったのだった。
◇◆◇◆◇
その夜、ジーズ連邦の首都近郊で、隕石が一つ落下した。
それは幸いにも首都に命中はしなかったが、岬にある屋敷を一つ消し飛ばして海に落下した。
その屋敷には奴隷商が住み着いていて、周辺の治安を悪化させる一因になっていたため、住民たちは胸を撫で下ろして安堵したという。
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