第245話 奥の手

「でやああああぁぁぁぁぁぁああああっ!」


 ありったけの力を籠め、槍を脇に抱えての無謀な特攻。ギデオンには俺の攻撃がそう見えたはずだ。

 事実、そんな愚直な突進程度でこの腕利きがどうにかなるとは、俺も思ってはいない。

 だがこの状況、何かしなければ俺の命はその時点で刈り取られてしまう。それに俺から離れた場所に待機しているマクスウェルの使い魔も、この状況は見ているはずだ。

 マクスウェルがこちらに駆け付けるということは、クレインが逃げる隙ができるということに繋がる。

 時間をかければかけるほど、クレインに逃げられる危険性が増し、援軍が到着する可能性が増える。

 目的達成のためには、できるだけ手早くこいつを倒しておきたい。


「この期に及んで、ただの突進? 正直興醒めだな」


 呆れたような口調で俺の槍を受け、叩き落としに掛かるギデオン。だがそれはかろうじて耐えきった。

 多少槍が揺れてしまったが、それでもかろうじて支えなおす。この武器は俺の最後の砦――に見えたことだろう。


 しかしその一縷の望みも、次の一撃で跳ね飛ばされてしまった。

 かろうじて支えた槍も、続く下からの斬り上げで天井まで飛ばされてしまう。

 槍はそのまま天井に突き刺さった。シャンデリアすら存在する高い天井に突き刺さっては、俺の身長では即座に手を伸ばすこともできない。


 武器を跳ね飛ばされ、俺はついに自身を支えることができなくなり、ぐらりと前のめりに倒れ込む。そこはギデオンの立っていた位置でもある。

 倒れようとする俺の右肩を、ギデオンの突きが刺さる。骨まで響く激痛にかろうじて悲鳴を飲み込んだ。

 しかし意思の力で抑え込める悲鳴とは違い、身体の方は如何いかんともしがたい。抉られた肩はその機能を失い、だらりとぶら下がり、動かなくなる。


 ギデオンはそれを見て左手に持った剣を捨てて、俺の左腕を掴んで吊るし上げた。

 右腕が動かず、左腕を封じられた俺は、完全に反撃の手段を奪われた形になる。


「ほら、これで完全に詰み、だ」

「く……」


 吐き捨てようとしたかったところだが、またの苦痛でそれすらもできない。

 この戦闘、俺の身体の軽さという難点がなければ、どうなっていたかわからなかったはずなのにと、思わないでもない。

 だが負けは負けだろう。だからと言って、まだあきらめる気は更々ないが。


「これが最後の質問になるぜ。どうだ、俺の弟子になる気はないか? お前だったら、あの六英雄だったレイドにすら届くかもしれん」

「……ハッ」


 短く俺は、鼻で笑って見せた。それは当然だろう? レイドである俺が、かつての俺に届くかもしれないなどと言われても、片腹痛いとしか言えない。

 無論そんな事情はギデオンにはわからないので、当然なのではあるが。

 俺は返事の代わりに、宙に浮いたままの足で奴の腹に蹴りを入れてやる。だが踏みしめる地面もなければ、勢いをつける空間もない状態では碌なダメージを与えられない。

 俺のなけなしの抵抗に、ギデオンの方も鼻で笑う。


「フン、最後まで服従はしないか。そういう態度も嫌いじゃないんだがな。だが時間があまりないのも確かだ。悪いがお前は最後のチャンスを棒に振ったぞ」

「ちがうね、最後はお前の方だ」

「ほう、この状態から何ができるっていうんだ?」


 右腕は負傷で動かない。左腕は吊るされて使えない。右脇腹に裂傷があり、肋骨にも負傷が見られる。

 足は宙に浮き、ろくな攻撃に使えない。完全な手詰まり……と、ギデオンには見えただろう。


「なにもできまい? だからよ……先にあの世に逝って待っててくれや」


 戦いの中に身を置くからこそ、自身もいずれ死ぬ。そう確信したギデオンの言葉。

 しかし俺はその言葉にすら、否定を返した。


「断固として――断る!」


 ギデオンは俺の右腕を動けないと判断したようだが、実のところそれは否だ。

 俺は通常の肉体的な動作の他に、筋繊維を直接操作することができる。

 つまり肩に穴が開こうが、神経がブチ切れていようが、筋肉さえつながっているならば操糸の能力で動かすことが可能なのだ。


 しかし、それも無駄な足掻きではある。

 足場の悪いこの状態では、強い拳打など打てようはずがない。

 完全な手打ち。その攻撃をギデオンはヒョイと首を傾けて躱す。

 しかし、ここまでは俺も想定していた。俺の本当の狙いは――


「あん?」


 攻撃を躱されてなおニヤリと笑う俺に、ギデオンは不審気な声を上げる。だが遅い。

 俺は拳を奴の首をこするようにして引いた。


 ――そう、小指側を内に向けて。


 今、俺が装着している手甲には、身体を支えるための突起が小指側に付いている。それは邪竜の牙から削り出した、最も頑丈で鋭い突起だ。

 長さにしてせいぜい一センチ程度。しかし、それだけの長さがあれば首筋の動脈を抉るのは容易い。

 俺の腕を封じたと思い込み、拳打をなけなしの反撃と思い込んでいたギデオンに、これを避けられるはずもなかった。


 プチン、と何かが引きちぎられる感触。そして直後に噴き出した鮮やかな赤色の噴水。

 澱りのないその深紅は、動脈が傷付けられた証でもある。


「あがっ、が……あ、あぁぁぁ!?」


 何が起こったのか理解できず、ただ傷口を抑えるためだけに首筋を抑えるギデオン。それは俺の左腕を放し、解放することでもある。

 床に転がり落ちた俺は、すかさず無事な左腕を振って天井に刺さった槍に糸を飛ばし、それを引き抜き手元に戻す。

 動脈を傷つけたとて、即死するわけではない。死ぬまでの数秒……いや、ギデオンほどの体力となると一分以上は余裕があるかもしれない。その時間で俺にトドメを刺すことも不可能ではない。

 だからこそ主導権を持つ今のうちに、追い打ちをかける必要がある。


 ギデオンはまだ左手に剣を持っている。右手で傷口を抑えながら、その剣を振りかぶる。

 やはり奴も、ただ死を待つだけで終わろうとはしなかった。瞬時に死の覚悟を決め、残された数秒を無駄にせず俺を仕留めに動いたところは、さすがと驚嘆するべきか。


 しかし、それでも遅すぎた。

 急速に光を失い始めた瞳で俺を見据えるギデオン。それでもなお戦意を失わず攻撃を続行する闘争本能には頭が下がる思いだ。

 だからと言ってその剣を受けてやる義理はない。左手で傷口を抑えているということは、左側の防御が手薄ということだ。

 そして正面のやや左側には心臓が存在する。


 糸で引き寄せた槍を、腰溜めに構える。低い身体をさらに低くして、斜め下から突き上げるような刺突を放った。

 ギデオンの左の剣は振り上げられており、右腕は傷口を抑えている。つまり、槍と心臓の間に遮るものは何もない。

 奴の剣が振り下ろされるよりも早く、俺は奴の心臓に槍を突き立てた。


 ゴボリと、泡混じりの血を吐き出すギデオン。

 勝利を確信した瞬間からの、急転直下の敗北。信じられないという思いと、どこか満足したかのような表情。

 剣の腕だけで一流派を興した男は、そんな不思議な顔をしたまま、ゆっくりと崩れ落ちていった。

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