第145話 初夏の遠足

 未熟者の護衛を解放して、俺はようやくコルティナ宅に帰宅した。

 ドアを開けると、奥からフィニアがパタパタと足音を立てて迎えに来てくれる。

 だが俺はその気配に気付くことなく、家の中に上がり込んでいた。そこへフィニアからの遠慮のないハグが襲い掛かる。


「おかえりなさいませ、ニコル様」

「うわっ!? あ、フィニアか。うん、ただいま」


 プリシラの事を考えていたせいで完全に不意を突かれ、まともにそのハグを受けてしまい、思わず変な声が出た。

 いくら考え事をしていたとは言え、この程度の奇襲をまともに受けてしまうなんて、実は俺もかなりなまっているのかもしれない。


「むぅ、鍛えなおす必要があるかも」

「ニコル様がそれ以上鍛えてどうするんですか」


 いそいそとカバンを受け取り、脱ぎっ放しの俺の靴を整えてくれる。そして俺の後ろに控えるところまで、完璧な侍女振りだ。いきなり抱き着いてきたことを除けば。


「あのポンコツ隠密とは大違い」

「はい? なにか?」

「ううん、なんでもない」


 これで雨の日はタオルまで用意してくれるのだから、至れり尽くせりである。

 それはともかく、俺の鈍り具合が問題だ。

 俺は腕を出して、二の腕をつまんでみる。ぷにゅりとしたマシュマロのような触感。筋肉の欠片も感じられない。


「フィニア、やっぱりわたし、鈍ってる?」

「ニコル様がそれ以上ハードトレーニングをなさいますと、鶏がらみたいになっちゃいますよ?」

「結構脂肪ついてるよ」

「むしろ少なすぎるくらいです。もっとプニプニになってください。楽しめません」

「その発言はどうかと……」


 最近フィニアは、はっきりとモノを言うようになってきている。スキンシップも以前より増してきた。

 俺達から一歩引いていた感じがしていたので、これはいい傾向だ。

 彼女も次第に明るさを取り戻しているようだ。レイドの転生という事実が現存することが、彼女の重荷を少しだけ解放したのかもしれない。


「それで、こちらに荷物を用意しておきましたが……」

「荷物? なに?」

「明後日の遠足です。ケビン領のコスモス園を見学に行くとの話でしたが」


 ケビン伯爵領。この首都から、さらに北西に進んだ場所にある、素朴な田舎町である。

 田舎というだけあって、民芸品や花畑も多く、首都から適度な遠さということもあって、頻繁に校外学習の目的地として選ばれる場所だ。

 今回の遠足も、森の中では珍しい花畑の見学という事で目的地に選ばれていた。


「そう言えば、そんなのあったっけ」

「さすがにお弁当はまだ用意しておりませんが、荷物の方はこちらで用意しておきました。後でご確認ください」

「ん、わかった」


 本来なら、『フィニアがやってくれたんなら、確認なんていいよ』と答えたいところである。

 だがしかし、俺の事になるといささか暴走の傾向を見せる彼女の『用意』だ。確認しておかねば、何を入れているかわからない。

 俺は部屋に入って着替えを済まし、フィニアの用意したリュックを開ける。

 赤い布地で作られた、可愛らしいリュックだ。少々眩暈を覚えるほどに……


 ともかく今は中身の確認が先決。

 用意されていたのは遠足用のしおり、チリ紙、ハンカチ、レジャーシート、防寒用の上着、虫除け用のポプリ、保存食一式、救命用発光筒、回復用ポーション、カッちゃん……などなど。


「どこの迷宮に突入するつもりだ!? 後、ナマモノ禁止だ!」


 俺は思わず叫ばずにはいられなかった。

 ついでにリュックの底に潜り込んでいたカーバンクルのカッちゃんを引っ張り出しておく。

 学院が先導する校外学習になぜ保存食や回復用ポーションが必要になるのか。

 救命用発光筒などは遭難した時くらいしか使わない代物だ。花畑の見学に必要になるとはとても思えない。


「そりゃ、森の中の辺境だから? そういう備えがあった方がいいのかもしれないけど? いくらなんでも無駄な荷物が多すぎる。これだけ抱えたら、重さで行き倒れてしまうじゃないか!」


 ぶつぶつ言いながら不要な物を除外していく。

 日帰りなのだから、弁当がある以上、保存食も要らない。

 回復用ポーションも戦闘するつもりはないので、不要。発光筒もポイだ。


 防寒用の上着は必要になるかもしれないのでキープ。虫除け用のポプリは……肌に虫刺されの痕が付くのは嫌なので持っていこう。


「ん、肌に?」


 なぜ俺が肌の調子を気にせねばならんのか?

 これも不要……と思って手に取ってみたが、思いのほかいい香りが漂ってきたので、逡巡する。

 強い花の香りがして、この香りで虫を遠ざけるのだろう。だがそれを除外したとしても、これはなかなか悪くない匂いだ。


「ま、いいか」


 ポプリをリュックの横にくくり付け、試しに背負ってみる。

 半分以下の重さになったリュックは、俺でも負担なく担げる程度で、しかもふわりとラベンダーの香りが漂い、気分がいい。

 リュックが動く都度、その香りが漂ってくるので、俺はその場でくるくる回って香りを振り撒き、その芳香を堪能してしまった。


 そこで俺は気付いた。

 ドアがわずかに開かれ、その隙間からコルティナとフィニアが顔を覗かせ、こちらを窺っていたことに。

 二人揃って、微笑ましいモノを見たという表情を浮かべている。


 状況を鑑みてみれば、俺は遠足の準備を整え、部屋の中でリュックを背負って、待ちきれないとばかりにくるくる回っていたようにも見て取れる。

 そりゃ、微笑ましい表情にもなるだろう。俺だってそうなる。


「のぞくなあぁぁぁぁ!?」

「あははは! ニコルちゃんってば、やっぱりお子様なんだからぁ」

「コルティナ、コロス」

「きゃー、こわーい。にげろー!」


 実力行使に出るべく、拳を振り上げた俺を見て、コルティナは諸手を上げて逃げ出した。

 フィニアが逆方向に逃げていったのは、あまりにも冷静な判断と言える。自宅で分散逃亡を実演するな。

 ちくしょう、後で覚えてろよ、お前ら。

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