第192話 世界樹の迷宮

 出発を決め、十分もしないうちに俺たちは洞窟の外に整列していた。

 鍛冶師の男は革製の使い込まれたジャケットの上にローブを纏い、旅慣れた雰囲気を纏わせている。

 腕には俺の物とよく似た手甲を装備していた。さすがに糸の射出機構はなさそうなので、格闘用の物だと思われる。

 俺とマクスウェルは宿の準備さえ終えれば、すぐにでも出立できる状態だ。

 しかし旅立つ前に一つ、やっておかねばならない事があった。


「なあ、アンタ。今更だが、呼び名を教えてくれないか?」

「名は聞かないのではなかったのか?」


 俺の質問に、呆れた声を返す男。

 確かに名を聞かないように提案したのは過去の俺だ。だがこれから先、一緒に行動するというのに名前を知らないのでは、不便が発生する可能性もある。


「この先は戦闘があるかもしれない。なのにアンタの呼び名が無いんじゃ、こっちも指示を出しにくい」

「ああ、それは確かに。そうだな……では、アスト、とでも呼んでくれ。無論本名じゃない」

「堂々と偽名を宣言してくる奴は初めて見たよ」


 アストと名乗った男は、知った事かと言わんばかりの仕草で地面に魔法陣を描き始めていた。

 そのやり方はマクスウェルのそれとは大きく違う。


「ほう、図形を先に描き込むのですな?」

「そうだ。先に誘導路を構築しておいてやると、魔力を誘導しやすいのでな」

「ですがそれだと、とっさの発動が間に合いませんぞ」

「その時は通常通りの魔法を発動させればいい。それに先に陣を書き込んでおいた布でも持っておけば、通常の発動方法よりも早く確実に発生させられる」

「ふむ……興味深い。入り口の仕掛けも、術式はかなり古いものと見ましたが」

「ほう、わかるのか? そこの無骨者と違って見る目があるな」

「悪かったな、無骨で」


 前世の俺は魔法に関しては門外漢だったんだよ。今なら確かに普通の術じゃないと気付く。

 貴重な魔道具をいともたやすく製造する腕前と言い、この鍛冶師はただ物ではない。


「それはともかく……どこへ向かうんだ?」

「まずはミスリル糸の調達。次に外装の素材を集めに行く。特に外装はここまで劣化するとは思わなかったので、素材を厳選させてもらおう」

「この手甲だけでも結構な代物だと思うんだがな」

「それはニッケルという金属を混ぜ込んでおいた。硬度ではやや劣るが腐食しにくく、靭性が高い」

「靭性?」

「粘り強いという意味だ。攻撃を受け止めた時、砕けるのではなくひしゃげる事で衝撃を逃がす。内部の糸のクッション性もあるので、防具としての性能はかなり高いはず」

「だから剣の一発でひしゃげたのか」

「その代わりお前の左腕は無事だっただろう?」


 右は内部機構の故障だが、左の手甲は剣の攻撃をまともに受けた衝撃による物だ。

 もちろん、きちんと整備しておけばここまで脆くはならなかったのだろうが、それでもここまで簡単にひしゃげるとは思わなかった。

 それも俺の腕を守るという一点を優先して作られた外装だったからだ。


「まあ、おかげで助かったのは確かだな」


 ポツリと漏らし、当時の状況を思い出す。

 大の男の、大上段からの斬り下ろし。そしてそれを受けるのは、幻覚を纏った十歳の少女

 左手一本で受けた場合、外装が砕け、その下の俺の腕まで砕けていた可能性がある。それだけにとどまらず、俺の頭か肩を斬り裂かれた可能性もあった。

 装甲がひしゃげる事で衝撃を逃がし、俺の力でも受け止める余力を与えてくれたのだろう。


「そういうわけで、まずはミスリル糸の確保に向かうぞ」

「この糸の作り方ですな! 私も以前よりこの糸の製法には興味を持ってましてな」

「……他言無用に願おう」


 興味津々のマクスウェルに、珍しく困ったような顔を向けてから、アストは魔法を発動させた。

 足元の魔法陣が光を放ち、周囲の景色がクシャリと崩れる。

 一瞬の浮遊感に包まれ、次の瞬間には俺たちは暗い闇の中に放り出されていた。


「ここは?」


 一見して、今までいた山の中とは風景が違う。どこかの建物か洞窟の中に跳躍したらしい。

 じっとりとした湿気を含んだ空気が肌に張り付いてくる。それでいてまとわりつく空気はあまりにも冷たかった。


「妙に肌寒い……だけじゃないな。息が……」


 息苦しい。いや、呼吸はいつも通りにできている。だが吸い込む空気の量が同じなのに、呼吸が浅くなったように感じられた。

 この現象は覚えがある。標高の高い山に行った時などに襲われる現象だ。


「ここは世界樹の中だ」

「世界樹……フォルネウス聖樹国か!?」


 フォルネウス聖樹国。この世界最大の宗教である世界樹教の総本山。

 大陸中央に位置する、最大の勢力を持つ国であり、その中央、首都ベリトには天にも届こうかという世界樹イグドラシルがそびえ立っている。

 その聖樹の内部は迷宮になっており、かつては千にも及ぶ階層を誇っていたのだとか。

 頂点には聖樹の生命力を蓄えた若芽が存在し、口にすれば不老不死を得られたという話だ。

 もっとも、その世界樹は神話の中で破戒神によってへし折られ、全体の七割程度しか残されていない。


「……考えてみると、碌な事してねぇな。あの白いの」

「まあ、当時は当時でそうせざるを得ない状況だったわけだが……いや、なんでもない」

「アスト、ひょっとして破戒神を知っているのか?」

「ノーコメントだ」


 あからさまに視線を逸らせるアスト。その行動から顔見知りである事は容易に見て取れた。

 意外と嘘の下手な奴である。


「まあいい。それで、その世界樹の迷宮で何を探せばいいんだ?」

「ここは二百五十層だな。この近辺にはヒュージクロウラーという巨大な芋虫がいる。そいつを――」

「ぶちのめせばいいのか!」

「いや、捕まえてくれ」

「あ?」


 殺意をみなぎらせた俺の出鼻をくじく命令。殺し専門の俺が、モンスターを捕まえるだと?


「ヒュージクロウラーは世界樹の幹すら食い荒らす消化能力を持っている。そいつらにミスリルの鉱石を食わせ糸を吐き出させれば、食ったミスリルを多量に含んだ合成物が手に入る」

「なるほど、その糸を縒り合わせれば、俺の使っている糸になるんだな」

「その通りだ」


 モンスターの生態を利用して、装備を作るとか聞いた事もねぇ……普通はモンスターを倒して、その素材で装備を作る物だ。

 どうやら俺は、また一筋縄では行かない非常識人の知人を持ってしまったようである。

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