第304話 ギルドでお披露目

「あら、ニコルも来たのね。いらっしゃい」


 そう俺に声をかける、若々しさを保った豊満な美女。言わずとしれたマリアの姿だ。

 彼女は訓練場脇のベンチに腰掛け、フィーナを腕に抱いて女性の職員や冒険者に囲まれていた。

 俺に笑いかける笑みにも、まだ力強さは戻っていなかった。この回復の遅さを見ると、出産という行為がいかに体力を削るものか、思い知らされてしまう。


 珍しい光景と、見たこともない大勢の人間に、落ち着きなくキョロキョロと視線を動かすフィーナ。

 これだけの視線に晒されて泣きださないとは、我が妹ながら肝の座った子である。


 周囲を囲む女性たちは、そんなフィーナを見て悶えているが、その気持ちは俺にも充分に理解できる。

 だが直接手を伸ばそうとする者はいない。さすがに四方八方から揉みくちゃにされたら泣きだすだろうから、マリアが制止しているのだろう。


 俺は人ごみを掻き分けマリアの隣に腰を掛ける。無言で手を差し出し、フィーナを受け取った。

 俺の腕の中で大人しく抱かれるフィーナを見て、なんとも言えない安息感を得る。

 フィーナもまた、頻繁に顔を見せる俺のことは信頼しているのか、大人しく抱かれていた。

 一度俺をまじまじと見上げ、そして――ぱくりと、胸元に吸いついたのだった。


「ふぇあ!?」


 元々訓練するつもりで来たので、俺の服装は薄めの動きやすいシャツが一枚である。

 吸水性が高く頑丈ではあるが、あまり厚さは存在しない。

 そして動きが阻害される上着も、この時は着ていなかった。


「あっ、いや、ちょ、いたっ!? ママ、見てないで助けて!」


 フィーナの吸い付きは思いのほかに強く、しかも的確だった。胸の頂点にピンポイントに食いつき、容赦なく吸い上げてくる。赤ん坊の吸引力は意外と強く、今の俺には刺激が強過ぎる。

 そのまま振り払ってしまってもよかったのだが、そうすると口を怪我しないか心配になるので、それもできない。

 どうすることもできず、俺はされるがままにフィーナに蹂躙されていた。

 そんな俺を見て、マリアは口元に手をやって笑いを堪えている。


「もう、早く!」

「はいはい、ここで悶えるニコルを見るのも楽しそうだけど、さすがにご飯の方が優先順位は高いわね」

「そう思ってるなら早く!」


 俺の要請にマリアは素早くフィーナを受け取り、その拍子に口が俺の胸から離れる。

 危惧していた怪我をした様子はなかったので、一安心だ。


「うぁー、あぅあー」


 名残惜しそうに俺に腕を伸ばすフィーナ。こちらとしてもその腕に応えたいところではあるが、衆人環視の中で悶えさせられるのは勘弁してもらいたい。


「に、ニコルちゃんの授乳プレイ……ありだわ」

「同性なのにちょっと興奮しちゃった」

「ニコルちゃん、わたしにも! 私も吸いたい!」

「落ち着け、正気になれ、受付嬢」


 このギルドはなぜこうもダメな人間が多いのだろう。

 俺がそんな懸念を抱いていると、爽やかな笑い声が投げかけられてきた。

 聞き慣れたその声は視線を向けるまでもない、ライエルだ。


「ハッハッハ。フィーナ、ニコルじゃ吸える大きさもないだろう?」

「なにおぅ!」


 相も変らぬ、空気を読まぬ発言。これを無邪気と取るかどうかは人次第だ。

 もちろん、軽口を向けられた俺は、宣戦布告と受け取った。


「現にニコルはまだまだ小さいだろう? フィーナも吸いにくかったに違いないぞ」

「そんなことないし。最近膨らんできたし!」

「へぇ、見せてくれるか?」

「おう!」

「こら、むやみに見せないの。ニコルも大人になってきたんだから、慎みを持ちなさい」


 ぺシンと俺の後ろ頭をマリアが叩く。

 昔はこういった体罰というかスキンシップは少なかったのだが、最近は増えてきていた。

 これは俺の身体の弱さを気遣っていたのもあるのだろう。

 そしてそれを気にしなくなってきたということは、俺の成長の証でもある。これは素直にうれしいと思う。


「むぅ……でも、もうわたしは大人だし」


 初潮も来たからな。これはマリアにも伝えられているが、それを聞いた訓練場の面々は硬直していた。

 張り詰めた緊張感が、瞬く間にその場の人間に伝播していく。


「お、大人……だと……」

「じゃあ、あの天使のようなニコルちゃんが。誰かの『お手付き』に?」

「誰かって……誰だよ?」

「そんなの考えるまでもないでしょ。あの子のそばにいる男って、クラ――」

「い、いや、あのエリオットって男は!?」

「もう北部に帰ったわよ。それにドノバンって子もいたけど、卒業後は故郷の高等学院に入ったらしいし」


 ドノバンは魔術学院の初等部を卒業した後は、ストラ領にある貴族用の高等学院に通っている。

 これは仮にも爵位を継いだ本人が、長く領地を離れすぎるのはよくないという配慮によるものだ。

 例の一件により改心し、大人しい性格になった彼が故郷に戻るとあって、マクスウェルは心底残念そうだった。

 あの傲慢さが控えめになったドノバンは、名実ともに優等生になっていたからだ。


「じゃあ、相手は間違いなく?」

「ええ、間違いないわ」

「奴が来たら、今度こそ殺そう」

「待て、その役はお前たちに譲るわけにはいかん。俺の役目だ」


 ずごごご……と地響きすら聞こえそうなプレッシャーを放ちつつ、ライエルが宣言した。

 いや、確かに異性経験は積んだが、男相手じゃないぞ。

 誰か止めてくれ。主にマリア。

 俺がそう思って振り返ると、マリアはいつの間にか授乳のために訓練場から姿を消していた。

 そして、タイミングの悪い男が一人。


「こんにちわ! 今日はライエル師匠が来てるって聞いたんだけど?」


 このタイミングを逃さないとは、なんとも美味しい男だ。

 この間の悪さは、生前の俺に通じるところがあるな。


「あれ、どうかした?」

「さてクラウドよ……お前に聞きたいことがある。質問にはハイかイエスで答えるように。ヤーでもいいぞ」


 ライエル、それは全部肯定の言葉だ。つまり断る道はクラウドには残されていない。

 このほとばしる殺意の中に口を挟む勇気は、俺にはなかった。


 マリアの後を追って訓練場を去る俺の背後で、クラウドの悲鳴が響き渡ったのは言うまでもないだろう。

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