第512話 クラウドの交渉

「う……」


 クラウドは鈍痛を訴える頭を抱えようとして、腕が動かないことに気が付いた。

 いや、それどころか足も身体も、ろくに動かない。

 頭痛をこらえつつ目を開くと、そこは見たことのない建物の中だった。


「ここは……」

「ようやく目が覚めたか。薬には弱いんだな、ガキ」


 男の声に慌てて周囲に視線を飛ばす。

 周囲はかなり薄暗いが、見える範囲ではどうやらかなり広い建物の中。おそらくは倉庫とわかる。

 自分とミシェル、そして商人の男は縛り上げられて柱にくくりつけられ、身動き一つ取れない状態。

 そして目の前には三人の人足の姿。


「お前ら、なんで――!?」

「わかんねぇのか? お前らがボスの部屋を荒らしたりしなけりゃ、こうはならなかったのさ」

「ボスの部屋?」

「しらばっくれんなよ。フィニアとかいう女と、一緒に探りを入れてたんだろ?」


 そこまで言われ、どうやらニコルと間違われて拉致されたことを、クラウドは悟った。

 フィニアは使用人という立場上、ニコルよりも頻繁にメトセラの街に出てくる。

 その際、クラウドたちとも連絡を取っていたため、敵に実行部隊として認識されたらしい。


「人違いだ。確かにフィニアさんとは顔見知りだが、あの人が他人の部屋を荒らしたりするはずないだろ!」

「しらばっくれんな!」

「がふっ!?」


 反論するクラウドの顔を、男の一人が蹴りつける。

 無論、その程度の攻撃では打たれ強いクラウドがどうにかなるはずもなかったが、それは彼だけの話だ。

 もしこの暴力がミシェルや商人に向かったら、おそらく大怪我を負ってしまうだろう。

 それにミシェルは女だ。この状況で獣欲の矛先を向けられては、歯向かえるはずもない。

 それだけは何としても避けねばならない。


「な、なあ、本当に人違いだって。話を聞いてくれよ」

「うるせぇ。ボスが来るまで大人しくしてろ」

「そもそもボスって誰なんだよ。俺たちは本当に流れの冒険者なんだって」

「知ったことか」


 返事は返って来るが、取り付く島もない。

 それを悟ってクラウドも少し状況を考えねばならなかった。このまま話しを続けては、変に相手を刺激する可能性もある。


 同時に救援が来るまでの時間を計算する。

 ニコルには二、三日の依頼と言伝ことづててある。それを越えれば、さすがに疑いを持って様子を見に来るはずだ。

 すでにその期間は経過し、積み込み作業も終えた。

 どれだけ意識を失っていたかわからないが、あと一日もすればニコルも異変に気付くはずだ。

 それまでどうにか時間を稼げば、この程度の相手なら彼女は一蹴できるはず。


「なあ、こっちのガキでちょっと遊ばねぇか?」


 その時、クラウドが最も恐れている言葉を、男の一人が口にした。

 ミシェルは武装を外され、いつもの胸当てすらつけていない。

 その状況で縛られているものだから、胸がさらに強調され、扇情的な格好になっていた。

 それを見て、この男たちが我慢できるとは、クラウドには思えなかった。


「殺すなって言われてるだろ」

「そりゃ、知ってるけどよ。でも『殺さなきゃ』いいんだろ?」

「あ? そりゃ、まぁ……そうか、そうだな」

「そうだな、じゃねえだろ!?」


 思わずクラウドはツッコミを入れる。ここで主張を曲げられては、ミシェルの身が危ない。

 どうにかしてそれだけは避けねばならない。

 日頃から彼女を好ましく思っているクラウドとしては、これは至上命題である。


「待て待て待て! 確かに俺はレティーナと知り合いだ。ラウムでは一緒に冒険者をしてた。それは認めるよ」

「ふん、ようやくか」

「だけどそれだけじゃないぞ」

「なに?」


 話の一部を認め、自分の話題に乗ってこらせる。こうすることで、ようやく相手を会話のテーブルに着かせることができる。

 ここからクラウドの側に有利な話題を持ち出し、身の安全を図る必要がある。


「俺たちの仲間ってことは、ニコルの仲間ってことだ。わかるか? 六英雄ライエルとマリアの娘のニコルだ」

「それがどうしたよ?」


 敵もレティーナの過去についてはある程度調べているはずだ。

 ならばレティーナとニコルの関わりについても知っているはず。

 その推測は、どうやら間違いではないようだった。


「つまり、ミシェルもニコルの仲間ってことだよ。英雄の娘の親友。そんな相手に手を出せばどうなるか、考えればわかるだろう?」

「…………あぁ」


 実際、ミシェルに手を出せば、ニコルは烈火のごとく怒り狂うだろう。

 それこそ地の果てまで追い詰め、相手をなぶり殺しにするくらいはやりかねない。いや、きっとやる。

 事実だからこそ、クラウドの話には相応の説得力があった。


「ニコルだけじゃないぞ。俺は彼女が、どれだけライエル様やマリア様に可愛がられていたか、知っている。そして二人が敵に回れば、仲間の方たちも動き出す。お前たちが敵に回すのは、六英雄全員ってことになる」

「そんなはず……」

「これは決して冗談じゃない。お前たちの『ボス』ってのがどれだけ怖いか、俺にはわからない。でもそれと六英雄全員を敵に回すことを比較して、どっちがマシかよく考えるんだ」

「そんな脅しに――」

「脅しなんかじゃないことは、お前たちもよくわかっているだろう? もちろん、ボスが怖いってことは俺もわかる。俺たちを解放しろって言いたいところだけど、それをすればお前たちは殺される。違うか?」

「あ、ああ」


 クラウドは捲し立てるように、交渉を進める。

 ここでやけになられたり、それがどうしたと開き直られたりしては、一巻の終わりだ。

 少しの疑問も挟まれないよう、一気に条件を提示した。


「だから裏切れとは言わない。俺たちを解放しなくてもいい。場合によっては、ミシェルに手を出したりしなけりゃ、ライエル様に口添えしても構わない。彼らは言うことを聞かざるを得なかったんだ、ってな」

「そんな真似ができるはずないだろ!」

「お前たちだって、これがどれほど危険な状況かわかっているだろう? だがお前のボスはそこまで考えが及んでいない。それはミシェルが平民の娘だからだ」


 貴族であるカインでは、平民の娘のミシェルをライエルたちがどれほど大事に思っているか、理解できない。

 クラウドはそう考えていた。そしてそれは、まぎれもなく正解である。

 取り繕ってはいたが、カインは平民を替えの利く道具にしか思っていなかったため、フィニアやミシェルの重要性に気付いていない。だからこそ、このような暴挙に出ている。

 それを目の前に突きつけられた男たちは、困惑を隠せないでいた。


 確かに彼らのボスであるカインは、状況を把握しきっていない。クラウドの言い分は間違いではない。

 だが裏切れば、間違いなく処断される。

 しかしクラウドはそこまでせずとも良い条件を提示してきた。それだけではなく、口添えまでしてくれるという。

 ここまでの好条件を飲まずに、この事態を切り抜ける方法は、彼らには思いつかなかった。


「口添え、してくれるんだな?」

「ああ、ミシェルに手を出さなければな。だが――」

「わかっている。その条件、呑んでやる」

「そりゃよかった。こっちも助かるよ」


 ミシェルを救えなかった場合、彼は自責の念に苛まれるだろう。

 それはニコルたちも同じである。おそらく彼女は、自分を責めるはずだ。

 それを回避できただけでも、先ほどの交渉には意味がある。


 そう安堵の息を漏らしつつ、彼は目を閉じ、救出を待つことにしたのだった。



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