第120話 後悔
白い神は、ファブニールに乗って飛び去って行った。
後に残されたのは、俺と気を失ったままのマイキーのみ。
「……まぁ、もうしばらくすればコルティナもやってくるか」
カーバンクルもいなくなり、手持ち無沙汰になった俺は、そう呟いてマイキーのそばに腰を下ろす。
子供を抱えて逃亡し、そのまま駆け戻って三人を圧倒。そしてここに戻ってくると、結構な重労働をこなしてしまった。
かなりの負担がかかり、足が少々震えてきている。
すでに脅威は排除したことだし、ここで一休みしていても問題無いだろう。
しかし、俺がいつまで待っても、コルティナはここにやって来る事は無かった。
いくら行き先を告げていなかったとは言え、遅すぎる。俺の疲労はすでに回復し、身体も冷えてきていた。
マイキー君に意識が戻る気配もないし、できるなら早く医者に見せたい。
「危険だったらあの神様が何か言ったと思うけど……少し様子を見に戻ってみるか」
別れた時、コルティナには衣服の乱れはあったが、怪我をしている様子はなかった。
もし見えないところを怪我していたのだとすれば……そう考えてしまうと、居ても立ってもいられなくなった。
今更かと思うかもしれないが、こうも遅いとなると、様子を見に戻った方がいいかもしれない。
だが今回はカーバンクルがいないので、マイキーを放置する訳にはいかない。
「面倒だけど、担いでいくしかない、かな?」
危険なモンスターはいないと思うが、それでも害獣レベルの獣はいる。
野犬程度でも気を失ったマイキーには抵抗する術がない。目を離す事はできないだろう。
俺は再びマイキーを担ぎ直し、来た道を戻り始めたのだった。
洞窟の前まで戻ってきたが、コルティナとすれ違う事は無かった。
入り口付近を調べてみると、男の出てきた足跡と、俺の足跡くらいしか見当たらない。
つまり、コルティナの出てきた足跡はない。
「まさか中で気絶してるとか……」
何らかの理由で
だが、熟練の冒険者であるコルティナがそんなミスを起こすのか問われれば、ありえないとしか答えられない。
それくらい初歩的な問題である。それに冒険者どもも、すでに追い払った。脅威になる存在はいないはずだ。
それでも出てこないということは――
「中で何かあったか?」
俺はピューリファイの掛かったマフラーを背負ったマイキーにも巻き付け、洞窟の中に足を踏み入れた。
体格が小さいため、自分だけでなくマイキーの首にかけても余裕がある。
コルティナがいないため、ライトの魔法は存在しない。夜目が聞く方である俺の目でも、洞窟内を見通す事は難しい。
慎重に、足元を探るように歩を進めながら洞窟の奥を目指す。
コルティナと別れた場所付近まで進んだところで、俺は女のすすり泣く声を耳にした。
「……レイド、どうして……っく、うぅ……」
日頃気丈な彼女からはとても想像できない、弱々しい声。痛々しいほどの嗚咽。
その声を聴いて、俺は初めて自分の失敗を悟った。
目の前に俺という姿を現せば、それはコルティナの古傷を抉る事になる。
それでもお互いに触れ合えることができれば、彼女にとって救いにはなっただろう。
しかし俺はそれすらせず、速やかに姿を消し、彼女の前から立ち去った。
その行為を、彼女が拒絶されたように受け取られてしまったとしても、無理はない。
「……コルティナ?」
俺はできるだけ刺激しないように、小さく呼びかけた。
確かに俺の取った行動は間違いだ。だがそれでも、この場所で泣き続ける事が危険であることだけは確かだ。
彼女を慰めるにしても、ここから連れ出さねばそれも覚束ない。
「……っ!? に、ニコルちゃん?」
俺の呼びかけに、コルティナは気丈にも鳴き声を押し殺して返事を返してくる。
慌てたように顔をぬぐう仕草も、伝わってきた。
コルティナは再びライトの魔法を使って周囲を照らす。するとそこには、床にへたり込んだままの彼女の姿が現れた。
「ダメじゃない。こんな場所まで戻ってきたら」
「ん。でもなかなか出てこなかったから」
「あ、心配かけちゃったかな。ゴメンね……」
コルティナは身なりを整えながら、立ち上がる。その動きにぎこちなさはない。
不埒な真似をされた訳でも、怪我をしたわけでもなさそうで、その点では安心した。
つまるところ、今の彼女の問題は、俺が抉り返した古傷だけという事になる。
「その、ごめんなさい、コルティナ」
「うん? なぜ、謝るの?」
「ん、んっと……なんとなく」
問い返されたが、俺はこれに答える事はできない。理由を話せば、それは俺の正体に繋がるのだから。
彼女は俺の逡巡に怪訝な表情をした後、頭を一撫でしてから無理矢理笑顔を浮かべた。
「ま、いいわ。早く帰りましょ。ここは空気が悪いし」
「気を失うほど、危ないから」
「そうね。さっさと出ちゃいましょ」
にっこりと、だが痛々しく微笑む彼女。その笑顔を見て、俺は幻覚でレイドの姿を使うのは、金輪際やめようと決意したのだった。
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