第329話 ゴブリンの残した罠
あれから五日ほどが経過していた。
ラウムの街は落ち着きを取り戻し、ようやくいつもの日常が戻りつつあった。
俺はその日、在庫の
その日はライエルとマリアも同席して、懐かしい顔振りで公園で昼食をとっていた。
フィニアはそんな俺たちに気を使って、家で留守番をしてくれている。
「へぇ、これがお前たちの娘か」
フィーナを連れて来ていたので、俺としては妹と初対面を装わねばならない。
自慢の娘を戻ってきた仲間に見せることができて、ライエルはご満悦の表情をしている。
それが俺にとって少しばかり苛立たしかった。やはりこいつのドヤ顔は鬱陶しい。
「レイドも抱いてあげて。自慢の娘なのよ」
「もう一人ニコルと言う娘もいるんだが、そっちは少しばかりヤンチャでなぁ。今は街の外に冒険に出ているよ」
「そ、そうなのか……」
いや、その娘は今変身して目の前にいるんだがな。俺がヤンチャだと?
「いや、外見はちょっとすごいぞ。マリアをさらに可憐にした感じで絶世の美少女だ」
「そうか。お前に似ないでよかったな」
「な、なんだと! と、言いたいところだが、正直俺もそう思う」
逆にフィーナはと言うと、ライエル似の明るい金髪に、マリアの赤い瞳を持っていた。
体調の方もライエルに似たのか、元気極まっている感じだ。
「マリアの方は大丈夫なのか? 体調を崩していたと聞いたけど」
「ええ。そのせいでコルティナにはお世話になってしまったわね」
「そんなことないわよ。相手はしょせんゴブリンだったし、貴族どもが騎士団を出していれば簡単に追い払えたはずだもの」
「出し渋ったから苦戦したのか。まったく貴族ってやつはどいつもこいつも……」
ライエルは今回の顛末にさすがに渋い顔をしていたが、事は異国の政治である。
下手な口出しはできない。それが問題になってしまうくらいには、俺たちの発言力は強かった。
「それより、フィーナが可愛いのはわかったから、受け取ってくれよ。正直抱いているとやわっこくて壊れそうで怖い」
「もう、無粋な所は生まれ変わっても一緒なのね」
「ほっとけ」
鍛えぬいた俺の指先は、皮膚の柔らかいところなら貫けるくらいには頑強だ。
他にも引き締まった肉体の各所は、ゴツゴツとして、それだけでフィーナを傷付けてしまいそうな印象があった。
こうして身体を支えている指先が柔らかい肉にめり込んでいて、不安で仕方ない。
「それにしても、フィーナは結構人見知りするのに、レイドは平気なのね」
「へぇ、そうなのか」
俺が様子を見に行った時は、いつもにこにこして上機嫌だった。
通いの家政婦にも嫌がる様子を見せなかったので、人見知りと言う感じではなかったのだが、意外な感じだ。
「それよりレイド。お前は
「ああ、そうだ。ちょっと問題ある外見なもんでな」
「それを見せてくれるわけには……」
「断じて断る。これは俺の事情だから、悪いが我慢してくれ」
「そうか?」
ライエルは半ば納得いかないという表情だったが、それ以上の追及を避けた。
しかしそこで、俺は奇妙な行動を取るコルティナに気付いた。
俺ともマリアとも距離を取り、誰にも触れないような位置で座り込んでいる。
いつもなら、前世の態度が嘘のようにまとわりついて甘えてくるのに、珍しい。
ひょっとして、俺は嫌われるようなことをしてしまったのだろうか?
「あのな、コルティナ――」
「な、なによ?」
「その、なんでそんな離れた場所に座るんだ? いつもみたいに隣に来たらいいじゃないか」
「な、なんで私があなたの隣に行かないといけないのよ!」
この発言に、俺は顔には出さずにショックを受けていた。
意識しないままに、それほど拒否されるような真似をしてしまったのか。
「その、何か俺がやらかしたってんなら謝るし」
「あっ、いえ、あんたのせいじゃないのよ。その……」
「何か言いにくいことがあるのか? 嫌だったら無理に言わなくてもいいぞ」
「そうじゃなくて……」
コルティナはしばらく思案するような仕草を見せるが、意を決したように顔を上げた。
その顔は真っ赤になっており、何か恥ずかしい秘密を打ち明けるような様相だった。
ひょっとしてアレだろうか。俺が『特訓』の成果を彼女で実践したのが問題だったのだろうか?
「ひょっとしていろいろやり過ぎちゃったか?」
今ならアストが嫁に『やり過ぎ』て出ていかれたというのも、理解できるかもしれない。
愛情をストレートにぶつけすぎても、相手が受け止めきれないこともあると学んだからだ。
「ちがうわよ! ホンット、どうしてあんたはそう、デリカシーがないのかしら!」
「す、すまん?」
「首を捻りながら肯定しない」
「お、おう?」
「そもそもあの戦場にいたくせに、挨拶の一つもなく姿を消すなんて――」
「いや、さすがにそれはできんだろ。余計混乱が起きるぞ?」
あの戦場に死した六英雄が復活して参加したとか、どれほどのパニックを誘発するか、想像もできない。
首を捻る俺に、彼女は大きく、しかたないとばかりに溜息を吐いた。
それに俺が無頓着な人間であることは、彼女が一番よく知っている。
「まあ、いいとして……今回はわたしの行動が問題だったわけだし、そこは謝るわ。その、別にあんたたちのことが嫌で距離を取っていたわけじゃないのよ?」
「じゃあ、なんで離れてるんだ?」
「…………それは……ゴブリンどものせいよ」
「ゴブリン?」
「連中、街の外から大量に持ち込んできたのよ……ノミを!」
そう言って髪型が崩れるのも構わず盛大に頭を掻きむしる。
その拍子に小さな虫がピョンと跳ねるのを、俺は見逃さなかった。
「あー、連中、不潔だからなぁ」
「洗っても洗っても落ちてくれないし、フィーナも髪が生えてきてるから近寄るわけにはいかないし」
「噛まれても問題だものね。また夜泣きを始めちゃうわ」
「だから今日はそっちに行けないの。わかった?」
「いや、怒りながら言われても」
「わかれ」
「……はい」
きっと睨み据えられては、俺としても反論のしようがない。
それにそんなコルティナの表情も可愛いと思ってしまう。これが惚れた弱みと言うやつなのだろう。
「それにしても獣人族はやはりいろいろな面倒があるんだな」
「それだけに身の回りのことは気を使ってるのだけどね」
がっくりと肩を落とすコルティナを見て、俺はふと昔のことを思い出した。獣人族だからという理由で隔離された経験を。
エルフたちが運営する温泉宿での出来事だ。
「そうだ、なら温泉でじっくり湯につかって追い出せばいいんじゃないか?」
「温泉? 嫌がられないかしら」
「近くの温泉町なら、湯船はかけ流しになっているから、浮いたノミはそのまま排水溝に流れていくぞ。それにサウナもあっただろう? あれなら虫を蒸し焼きにできる」
「獣人用の湯船は確かにそんな感じになっていたわね……レイドにしてはいいアイデアじゃない」
パンと手を打って喜びを表現するコルティナ。
どうせ魔術学院も、避難所の片づけなどでしばらくは使い物にならない。
マクスウェルも、ようやく状況を掴めたようだったが、事がすでに終わった後ということもあって、北部にしばらく居座っている様子だった。
どうやら何者かが連絡の邪魔をしていたらしく、その捜査を手伝ってくるつもりらしい。
つまりまだ数日は俺もコルティナも暇を持て余している。
「決まりね。温泉旅行、行ってみない?」
そう言うとライエルとマリアに明るい表情を向けたのだった。
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