第82話 偶然の発見

 時間にして二時間程度だろうか。

 俺はクラウドに戦い方や、冒険者としての立ち回りを仕込んでいった。

 彼はいずれ孤児院を出ねばならない身だ。この教えが役に立つ時は、きっとある。

 それに子供のノリのままでいじめを受けていれば、成人するまでに死ぬ事もあり得る。そして半魔人なら、その原因を追究されないまま闇に葬られる事も、よく聞く話だ。


 二時間後、俺は人目を避けながら家へ向かっていた。

 俺の身長は小人族と大して変わらないほど低い上、顔や髪を隠しているので、夜に見かけると怪しさがさらに増している。

 無論、すでに夜も更けて明かりの付いている家もまばらなほど遅い時間。擦れ違う人などほとんどいない。

 それでも巡回の衛士など、人目が皆無という訳ではない。

 なので人目を完全に避けるため、訓練も兼ねて路上ではなく屋根の上を疾走していた。


 結構汗をかいてしまっていたので、夜風が心地いい。しかしこのまま寝ると汗臭くなってしまうので、寝る前に身体も拭いておかねばならないだろう。

 そんな事を考えつつ、屋根の上を走っていると、突然小さな悲鳴が聞こえてきた。


「きゃ!」

「んぉ!?」


 とっさに屋根の上に突き出た煙突に糸を絡めて、急制動をかける。

 複数の鋼糸をり合わせておき、伸縮性を持たせた糸は俺の身体をふわりと受け止めた。


「……なんだ?」


 周囲には人の視線はない。屋根の上という状況とよると言う時間帯。こちらを注視する存在など、意図しない限りは存在しない。

 怪しいのは――先ほど糸を絡めた煙突の中か?


「ここから、かな?」


 耳を澄ませてみると、何かを叩くような打撃音が間断的に響いてくる。それも布や木を打つ音ではなく、肉を打つ音だ。

 その合間に、小さな呻き声が響いてくる。それはどこかで聞いた覚えがあるような気がした。


「まさか――!」


 俺は煙突の中に身を潜り込ませる。

 小さめの煙突なのでかなり狭いが、幸いと言っていいのか、俺の身体も負けず劣らずミニマムサイズ。

 内部にこびりついた煤を足掛かりにして、するすると煙突の中を下りて行く事ができた。


 下は暖炉に繋がっていたようで、燃え滓の薪が薄く煙をたなびかせていた。

 髪やマフラーが垂れてしまうと見つかってしまう可能性があるので、きつく顔に巻き付け固定しておく。これで煙にむせる可能性も下がっただろう。


「それにしてもいつまで生かしておくッスかね?」

「取引が済むまでは、確実に生かしておけ。そうじゃないと、追い詰められたホールトンが何をするかわかった物じゃないからな」

「ハー、面倒ッスねぇ。もう返さないでそのまま奴隷商にでも売っちまうのはどうッスか?」

「馬鹿野郎! 俺達は交渉してんだ。返すって言ったら返すんだよ」

「おお、さすがアニキ。律義ッスね、ストイックッスね!」

「ただし、生かしたまま返すとは言ってないがな」

「ギャハハハ、外道ッスね!」


 そんな声が聞こえてきて、また肉を打つ音と呻き声が聞こえてきた。

 だがそれ以降かすかな呻き声以外、悲鳴が続く事は無い。おそらく打擲されている人物は気絶してしまったと思われる。

 呻き声は腹を攻撃された事により、機械的に息を吐きだす動きで発生しているようだ。


「取引を終わらせるまでは、娘は生かしておけ。それから逃げられないように、クロンとゼッツ、それからジョーイの三交代で常時見張りについておくんだ」

「わかったッス」

「バルドは明日、俺と一緒にホールトンと交渉に着いて来い。そのために今のうちに寝ておけ」

「うす」


 そう言って足音高く立ち去っていく音。扉を開け、そして閉める音がそれに続く。


「バルドのアニキはこれから寝るッスか。いいッスねぇ」

「ゼッツ、お前あのゲイル兄貴について行きたいか?」

「うわ、それはお断りッスねぇ。ゲイル兄貴はそばにいるだけで怖いッスから」

「だろう?」


 そう言う声の後、もう一つ足音が遠ざかっていく。

 扉の閉まる音の後、ゼッツと呼ばれた男の声がこんなことを呟いていた。


「あーあ、せめてあと五歳くれぇ歳が上なら、別の楽しみ方もあったのによぉ」

「贅沢言ってんじゃねぇよ。まぁ、俺もそう思わなくもないけどな」

「待てよ。ひょっとしたらできっかもしれねぇぞ?」

「うっわ、お前マジ? 変態極まってるぞ」

「物は試しっつーだろ!」

「やめとけ、下手に手ェ出して死なれたら、俺たちが殺されんぞ」

「ギャハハハ、それもそうだな! 諦めとけ」


 品のない笑いが、部屋を満たす。

 癇に障るその声に、俺の中の殺意が湧き上がってくる。

 この苛立ちは、生前暴走する前によく感じていた物だ。


 呻き声は女の子の声だった、そして会話の中に出てきたホールトンの名前。

 どういう運命の悪戯か、どうやら俺はマチスちゃんを攫った連中の根城に辿り着いたらしい。


 俺は人目に付かない場所を選んで帰途についていた。それはつまり、他にも人目を避けたい連中も、同じような場所に集まってくると言う事でもある。

 無論、偶然の要素は大きい。俺が通りかかる瞬間に彼女が声を上げねば、通り過ぎていたに違いない。

 それに通りがかったのが俺でなければ、そもそも男達の会話をいぶかしむ事もなかっただろう。


 問題はこの後どうするか、である。

 常識的に考えれば、コルティナなりマクスウェルなりに報告し、早朝から奇襲してもらい、制圧すればいい。


 だがどうやって説明する?

 夜間に見知らぬ少年に稽古をつけて、その帰りに発見したと素直に報告するか?

 そんな事できるはずもない。


 しかし、マチスちゃんの扱いも、長く放置していい状況ではない。

 あの男――ゲイルという男は、交渉が終わればマチスちゃんを殺すとも言っていた。

 そして明日……もう今日だが、再度ホールトン商会へ交渉に行くと言っていた。

 朝まで待って連中を捕らえに向かえば、間に合わないかも知れない。


「今日は冷えるな、暖炉の火が消えてるじゃねーか」


 その声に慌てて俺は煙突を這いあがる。このままここに居ては、一緒に燻されてしまう。

 俺は煙突の中を這い上がりながら、覚悟を決めた。


「どうやら……久しぶりに暗殺者レイドの出番がやってきたのかもしれないな」


 煙突から這い出し、俺は即座に行動に移ったのだった。

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