第83話 暗殺者レイド

  ◇◆◇◆◇



 ヒビの入ったグラスに注いだ安酒を一息に呷り、ゼッツは席を立った。

 椅子に縛られたままのホールトン商会の娘は、床に蹴り倒されたまま、まだ意識を取り戻していない。

 息をしている事は確認しているので、生きてはいるだろう。


「クロン、俺ぁちょっとションベンしてくるッス」

「飲みすぎっから――」

「うっせ!」


 ドアを開けて廊下の先にあるトイレへ向かう。

 そのトイレは水洗式の下水道に繋がった物ではなく、穴を掘っただけの汲み取り式の物だ。

 一時の隠れ家に買い取ったボロ屋だ。そんな高価な設備があるはずもない。

 ズボンを下ろし、ジョボジョボと穴に流し込む。


「はー、全く徹夜番とはツイてないッス」


 愚痴を漏らして、首筋をガリガリと掻き毟る。何か虫のような物が這いずった感触が走ったからだ。

 この汲み取り式のトイレではハエなどの虫が良く繁殖するため、肌に痒みが走っても特に変には思わない。だがそれが彼の命取りとなった。

 突如、首に這っていた感触が、実体を持って締め上げてきたからだ。


「あがっ、ぐへぁ!?」


 そのまま猛烈な力で背後に引っ張られ、扉に張り付けられる。

 しかし、扉はビクともせず、外開きにもかかわらず開かなかった。


「あがががが――」


 悲鳴を上げたくとも、喉を絞められていては呻き声しか漏れ出てこない。

 しかもその力はまったく衰える事なく、容赦なく首を締め上げていく。

 首に巻き付いた糸――鋼糸は肉に食い込み、指を挟む隙すらない。そのまま糸は扉の隙間から引き続けられ……


「がっ――ふっ……」


 ついにゼッツの身体から、ぐったりと力が抜けた。

 すでに死亡した。だと言うのに糸は引かれ続け、やがて鋼糸はその首を切り落とす。

 ゴドン、と重い音を立てて転がる首は、そのまま便壷の中に落ちて消える。

 一拍遅れて、その身体がずるりと崩れ落ちた。


「まずは一人」


 ニコル……いや、レイドは、樹に吊るした岩に繋いだ糸を解く。

 岩に鋼糸を繋いで街路の木に吊り上げておいたのだ。そしてゼッツの背後から首に糸を絡め、同時に岩に繋いだ鋼糸に繋いでおく。

 そして岩を落とせば、勝手にゼッツの首を締め上げ、切り落とすと言う寸法だった。


 しかし岩を落とした音が夜陰に響く。それはこの家の他の連中の耳に届いただろう。

 逆に言えば、相手を思う方向に誘導できると言う事になる。


「次の標的は――」


 そう言って彼は窓から外に出て、次の標的の元へ向かった。





 二人で見張りを続けていたクロンとジョーイは、玄関口で何かが落ちる重い音を聞いた。

 トランプでゲームを続けていた二人は、その手を止めて顔を見合わせた。


「おい、さっきの音……」

「ああ、ジョーイも聞こえたか?」

「ゼッツの奴も戻ってこないな」

「なにかあったと断じるには少し早いが……表の様子を見て来てくれ。帰りにゼッツも確認してくれるとありがたい」

「あ? ああ、そうだな。お前はそこの小娘を見張っててくれ。もし奪還に来た奴なら――」

「そうだ。ここに来るはずだからな」


 ジョーイは腰に剣を下げて玄関に向かう。

 薄暗い廊下を歩き、玄関ドアを開く。

 その先には、やはり暗い街路しか存在しない。あるのは魔法石を使った街灯のみ。いや、街路樹の下に一抱えもある岩が転がっていた。


「なんだ、あれは……」


 怪しい岩を調べるべく、玄関から一歩踏み出す。その足元を何かが掠めた。

 同時に首元にも、感触。


「おっ!?」


 小さく声を上げて足を引こうとする。だがそれは叶わなかった。首と足を同時に縛り上げられ、足を強く後ろに引かれて、前のめりに倒れ込む。

 しかし首を縛られているため、完全に倒れ込む事ができず斜めに吊るされた状態で固定されてしまった。


「あぐっ、げふ、がぁ――」


 もがき、どうにか首に巻き付いた糸を外すべく、のたうつジョーイ。

 だが足が後方に引っ張られているため、態勢を整える事ができなかった。足の糸と首の糸は建物の二階の窓枠を通して繋がっていたのだ。

 つまりこの足を引っ張っているのは、ジョーイ自身の体重。

 これを立て直す事は、自力では難しいだろう。


「がふっ、く、くそ……なんとか……」


 手や膝を着こうとどうにかもがいてみるが、その行為に合わせて糸が調節され、上手く行かない。

 結果、糸を解くべく必死に足元に手を伸ばす。

 そんなジョーイのそばに、歩み寄ってくる姿があった。

 黒い上着を羽織った、小さな少女。その顔は煤で黒く染められている。ただ銀髪だけが夜闇に輝いて見えた。


「た、たしゅ――」


 助けを乞うべく、手を伸ばす。だが少女――レイドには助ける気など、欠片もなかった。

 背負った剣を抜き、振り上げる。それがジョーイの最期の光景になった。





 席から立ち上がり、警戒を緩めぬまま、クロンはジョーイの帰りを待っていた。

 今だゼッツの帰りもない。なにかあったのは確実だろう。


「チッ、どこからこの場所が漏れやがったか? とにかくバルドとゲイル兄貴に――」


 そこまで言ったところで、窓の外でカタンと音が鳴った。


「そこかぁ!」


 警戒していたクロンには、その音がはっきりと聞こえた。

 咄嗟に剣を抜き、木の落とし窓ごと剣を突き立てる。

 木を突き破る感触と同時に、肉を貫く手応えが返ってきた。さらに骨を削る感触まであった。

 この一撃ならば致命傷だ。クロンはそう確信を持って、ニヤリと嗤う。


「アホが、そう簡単に後ろを取られると思うなよ」

「そうか? 簡単に取れたがな」


 自分以外、気絶した少女以外誰もいないはずの部屋で、高い声が響いた。

 その声は攫った少女よりもさらに高く、美しい声だった。

 そして、クロンの胸を冷たい光が貫いた。冷たい鉄の、冷酷な感触がその命を奪う。


「な、なぜ……」

「窓の外はお前のお仲間だよ」


 泳ぐ様に突き出した手が落とし窓をわずかに押し開ける。そこには二階から吊り下げられたジョーイの死体がぶら下がっていたのだ。


「ちく、しょ……」


 罵倒の言葉を残し、クロンの全身から力が抜け、床に崩れ落ちる。ビクビクと痙攣しているのは、致命傷を受けた証だ。

 こうなると、例えマリアでも回復はできない。


「これで三人。後は二人だな」


 残りの二人は眠っているはず。その前にこの部屋を捜索しておくのも悪くない。そうレイドは考えた。

 まずはマチスの様子を見てみる。息があるだけで、他に深刻な容態である可能性もある。

 調べてみると強いダメージを全身に受けているが、頭部にはダメージがあまりない。


「治癒魔法は干渉系にはあまり無いんだよな……朱の一、群青の一、山吹の一、治癒光キュアライト


 干渉系は、武器の性能や肉体の性能に干渉する事を得意とする。

 だが傷を癒すと言う事はその範疇にはない。せいぜい折れた骨やズレた関節を元の位置に戻す程度しかできない。

 整体程度の効果しかないが、それでも何もしないよりはマシだ。僅かに落ち着いた呼吸を見てレイドは安堵の息を漏らす。


「早くマリアに診てもらわないと、危ないかもな……しかし彼女を運び出すのは後回し。今は身体を伸ばして楽にさせる程度で勘弁してもらおう」


 レイドはマチスの体を暖炉のそばに横たえ、部屋の隅にあった毛布を掛けてやる。

 これで身体が冷える事は無いだろう。

 続いてそばにあったチェストを調べてみると、中から指輪と巻物スクロール、そして短剣が一本出てきた。


「俺にはこれが何かはわかんねぇけど……いや、巻物はわかるな」


 そこに描かれた魔法陣から、発火イグナイトの魔法と推測できた。

 おそらくはトレントの元へ忍び込んだ時に切り札にするつもりだったのだろう。トレントは乾燥した樹木の姿をしているだけに、火に弱い。


 それを見て、レイドはさらに一計を案じたのだった。

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