第60話 音楽室の怪

 トリシア女医によって体調の異常を指摘された俺は、コルティナに許可を貰い、身体検査の予約だけをしてもらった。

 この魔術学院は知の殿堂だけあって、そういった医療設備も整っている。

 検査にも準備があるので、即日とは行かないが、近いうちに診てくれるそうだ。

 新学期恒例の身体検査の日が有力になりそうだと言っていた。


 検査を予約したと言っても、それ以外の日も学園生活を普通に送らねばならない。

 午前中の授業を終えた俺は、レティーナと一緒に校内を散策していた。

 幼少である俺達の授業は午前中しか存在しない。騒がなければ上級生のクラスを廊下から眺めたりする事も可能だ。


「本当に身体は大丈夫ですの?」

「うん。結構慣れてる」


 医務室から教室に戻った俺を見て、クラスの子はホッとしたような表情をして迎えてくれた。

 さすがにクラスメイトが初日でぽっくり行くとか、衝撃的過ぎる。


 その時聞こえてきた、『やはり華奢なだけあって、体力はないのだな』という声は、聞こえなかった事にしておこう。

 放課後までは一般的な学科の授業だったので、俺は充分に身体を休める事ができた。

 体力が回復したので、俺はレティーナをともなって特別教室を見学する事にした。

 他の生徒も、クラブ活動等を下調べするために校内に散っているので、特に目立った行動ではない。


「それで、この特別教室には何の用があってきたのです?」

「ちょっと調べたい事があってね」


 俺達がやってきたのは特別教室の中でも、音楽室と呼ばれる部屋だ。

 大きなピアノが置いてあり、他にも弦楽器が多数壁際に並べられている。

 魔術学院に音楽と思われるかもしれないが、古代より歌は呪文と共通点が多く、声そのものに魔力を宿す呪歌ガルドル長嘯術ちょうしょうじゅつというジャンルも存在する。

 そう言うモノを学ぶために、最低限の機材は用意されていた。


「ひょっとして、ピアノとかに興味あるので?」

「うん」


 俺は素直に頷いて見せた。

 あの人攫いとの戦い、痛感したのは自分の決定力の無さだ。

 俺の持つギフトは操糸術という小細工の類だが、同時にあの神という存在が最強になれると太鼓判を押してくれた能力でもある。

 いや、今思い返してみると、俺の持つギフトとしか言って無かったか? 三つもあると、どれを指しているのかわかりにくい。

 なんにせよ、操糸を有効に活用するためには、相応の糸が必要になる。ピアノ線のように強靭な糸はぜひとも欲しい。


「ピアノを弾きたいなんて、意外と少女趣味な所もあるのですわね」

「え? 弾くのは興味ない」

「はい? ではバイオリンとか?」

「んにゃ」


 廊下でそんな会話を交わしていると、中で調律していた教師が爪先立ちになって中を覗き込むこちらに気付いたようだ。

 新入生が、音楽室の外で物欲しそうに中を覗いているとなれば、気にならないはずがない。その教師も気さくに声を掛けてくれた。


「こんにちは。新入生さん?」


 その女教師の質問に、俺達は揃って頷いた。


「楽器に興味があるのかしら」

「すっごく」

「なら少しだけ弾いていく? 今は生徒もいないし」

「いいの!?」


 教師の招きに、俺達は音楽室に勇んで乗り込んだ。教師は演奏に興味があると思っているようだが、この際それはどうでもいい。

 テッテケと中に入り込んで、ピアノの周辺を探し回る。

 ちょうど調律をしていた最中なのか、作業箱にピアノ線が一巻き入っていた。

 こっそりとこれをポケットに収める。


「ニヤリ……計画通り」

「なにがですの?」

「ひょわ!?」


 俺の背後に近寄っていたレティーナは、早速バイオリンを構えていた。

 音楽室を利用する生徒は少ないのか、教師も楽しそうに面倒を見ている。


「レティーナはバイオリン弾けるの?」

「レディの嗜みですわ!」


 構えたまま胸を張って答えるが、どうにも怪しい。


「ほんとうのところは?」

「実はママが得意で……」

「動機はなんでもいいのよ。興味があるなら弾いてごらんなさい」

「いいんですか?」

「生徒はいないって言ったでしょ。それにここは防音だから騒音を立てても大丈夫なの」


 教師に促され、レティーナは簡単な練習曲を一曲奏でて見せた。

 その音色は俺から見ても子供の域を超えていた。彼女は意外と、音楽系に才能があるのかもしれない。


 しかし俺の感心も、次の一瞬で霧消した。

 レティーナは区切りのいい所まで演奏すると、俺の方を向いて『ドヤァ』とばかりに自慢気な顔をして見せたのだ。

 その顔に俺は無駄にライバル心を刺激された。


 回収すべきピアノ線は既に入手しているので、あとは何をしてもいい。

 立てかけてあるバイオリンを見様見真似で肩に担ぎ、恭しく弦を構える。

 そして、脳裏に浮かんだ曲を奏でるべく、弦を引いた。


 ――ギュギィィィィィィ。


「のおおぉぉぉぉ!? ストップ、ストップですわ、ニコルさん!」

「うひゃうわあぁあぁぁぁぁぁ!?」


 まるで巨大モンスターの鳴声のような音が鳴り響き、教師とレティーナが悶絶する。

 謎の怪音波を至近距離で受け、演奏した俺も気絶するかと思った。


「こ、これは――なんというか、ここまでの音は久しぶりに聞きました」

「そんなに?」

「その……きっと、練習すれば、ちゃんと音楽になりますよ?」


 俺に気を使って、言葉を取りつくろう教師。うん、さっきの音を聞いたら、俺でも無理っぽいのは理解してる。

 ようやく復帰したレティーナが俺の肩に手を置いてきた。


「ニコルさん、あなた外見に似合わず、こういう文化的な事は苦手ですのね?」

「文化的ってなに? それにわたしは田舎の平民だし」

「あの両親の事を考えると、その事実がすっぽり抜けてしまいますわね」


 だがこれ以上俺達が邪魔するのも教師に悪い。調律作業中だったのに、完全に作業の手を止めてしまった。

 しかもピアノ線を一本盗み出しているのだ。迷惑かけまくりだ。


 俺達は音楽教師に一礼して、そそくさと音楽室を後にしたのである。

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