第59話 体調の不安

 翌日から本格的に授業が始まった。

 時間割によると、その日の最初の授業は何と基礎体力錬成である。

 俺達は教室で運動着に着替え、運動場へと集合し、そこで初めて自分達以外の存在に気が付いた。

 この運動場は冒険者育成学園と共同の為、広場の反対側には学園の生徒の姿も見える。

 そこへコルティナがやってきて、笛を咥えながら準備運動を始めさせた。


 俺とレティーナは二人で並んで柔軟体操を行っていた。


「うわっ、ニコルさんって身体が柔らかいんですのね」

「うん。わたしは前線に立つ事もあるから」

「前線に? 魔術師志望ではないのですの?」

「ううん。魔法剣士志望」

「それはまた、高い目標ですわね」


 魔法剣士というのは、魔術も剣も人並み以上に習得しないといけない。

 そうでなければどちらも中途半端になってしまう。技量が劣るとパーティのバランスを崩してしまうのは、前世で経験済みだ。


「うん。でもがんばる」

「わたしも負けてられませんわねぇ」

「ほら、そこー。おしゃべりしながら準備運動してると、怪我するわよ!」


 心なしか、コルティナの表情も家にいる時以上に明るい。

 そう言えば孤児院の時も、彼女は子供と遊ぶのが好きだったな。俺は子供に弄ばれていただけだったが。


「それじゃ、続いてグランド三周ー」

「えー!?」

「先生、それはすごくキツイです!」


 次々と不満の声が上がるが、これは仕方あるまい。この広いグラウンドを三周となると、優に一キロメートルを超える距離になる。

 幼い子供では、それはあまりにもハードな運動だ。


「大丈夫よ、これは体力の限界を計る為のものだから。それにこの授業は体力錬成よ? ハードじゃないと鍛えられないじゃない」

「鬼ー!」

「あくまー」

「残念、私はネコよ! ほら、走る!」

「うわーん!」


 悲鳴を上げながら生徒達が走り出す。一緒に俺とレティーナも走り出した。

 これでも村では毎日のように体を鍛えていたのだ。もやしの魔術師の卵たちに負ける様な事はあるまい。





 そう思っていた時期が、俺にもありました。


「ぜひゅー、はひゅー」

「ちょっと、まだ半周回ってないのに……大丈夫、ニコルさん?」

「だ、だひじょふぶ」

「どう見ても大丈夫には見えないのですけど……」


 最初の百メートルほどは快調に他の生徒についていった俺なのだが、二百メートルに届くころには急激に失速していた。

 明らかに体力切れの兆候である。ちなみに他の生徒達は、既に遥か先だ。 


 人攫いの男と戦った時はもっと長く持った。どうやら継続的に体力を消費する運動は、俺にとって天敵の様だ。

 あの時は静と動を繰り返した事で、息抜きを挟みながら戦う事ができたのだが、マラソンでは常に体力を消耗し続ける。

 そういう運動では、体力の総量の少ない俺は、長く動けない。

 にしても……少し早過ぎやしないか?


「これで魔法剣士を目指すとは……」

「だ、だひ、じょぶ。いまはまだ――からだが、でき……うぷっ」

「ちょ、ちょっと! ここじゃ……先生、ニコルさんがギブですわ! 至急、大至急! 衛生兵ー!?」


 胸元まで込み上げてきた、キラキラする危ない物質をどうにか飲み下す。

 さすがにこれをぶちまけては、人間としての尊厳に関わる。

 だがその無理が残った体力を大幅に奪い取ったのか、急激に目の前が暗くなっていく。


「あっ、これ……」

「わわ、ちょっと、ニコルさん!」


 とっさにレティーナが支えようとしてくれたが、どちらも幼い子供である。

 もつれ合うように地面に倒れ込み、俺は意識を失ったのだった。





 次に目を覚ました時、俺は医務室で寝かされていた。

 周囲を見渡してみると、壁際にはポーションが多数収められた薬品棚があり、微かに消毒用のアルコールの匂いが漂っている。

 窓際に設置された机の前には、白衣を着た女性が一人座っていた。


「あら、目が覚めた?」

「……ん、ありがとう。おせわをかけました」

「ちゃんとお礼を言えるのは褒めてあげるけど……まさか最初の授業でぶっ倒れる生徒が出るとは思わなかったわ」

「すみません」


 恐らくは保健教師。彼女は俺のそばまでやってきて、手を取り、脈拍を測る。

 白衣の名札にはトリシアと言う文字。見た目は結構美人なのに、なぜかもっさりした印象を受ける。

 髪がいまいち纏まりきれてないからだろうか?


「んー、少し早いわね。これは元から?」

「うん、けっこうはやい方」

「そうなの。もう少し鍛えた方がいいかも」


 俺の脈拍は、同年代の子供と比べても早い。そして体温も高めだ。

 トリシア女医の手の冷たさが、心地いいくらいだ。


「でもコルティナ先生も、生徒が倒れるまで走らせるなんて、無茶するわねぇ」

「これはわたしの身体が弱いせい。いきなり全員の体調を把握するのは無理だし」

「難しい言葉を知ってるわね。でも今回はちょっとねぇ」


 確かに他の生徒ならともかく、一緒に暮らしている俺の体調を彼女が見誤るなんて珍しい。

 こんなことは前世を通しても、存在しなかった。


「んー、なんでだろ?」

「まぁ、おかげで可愛い寝顔が見れたけどね」

「むぅ……」


 妙齢の女性に可愛いと言われるのは、元男として微妙な気分になる。

 まぁ、散々ライエルやマリアに言われてきているので、今更ではあるが。


 続いて体操着の前を開けて聴診器で胸の音を調べられた。

 ひんやりとした冷たい金属の感触が、火照った身体に心地良い。


「呼吸音も特に異常ないみたいね」

「うん。そう言った異常は今までもなかったし」

「こうして気絶する事は多いのかしら?」

「しょっちゅう」


 ベッドから起きられなかった乳児時代では、気絶するまで魔力を操作する訓練を積んでいた。

 無論成功したことは一度もないが、それでも精神的な疲労感で、毎日気を失うように眠っていた。

 そういう意味では、俺にとって気絶はそれほど珍しい事ではない。


「なんだか無駄にハードな毎日送ってない?」

「目標があるし」


 魔法剣士になる。そして今度こそ暗殺者ではなく、勇者として名を馳せる。

 素質に恵まれていない俺としては、それくらいしてようやく舞台に立てるというモノだ。

 女医とそういう話をしていると、医務室のドアが勢いよく開けられた。

 

「あ、目を覚ました? 心配したんだから!」

「ニコルさん、目を覚ましましたの?」


 どやどやと騒々しく踏み込んできたのは、コルティナとレティーナのコンビだ。

 ベッドに腰を掛けて診察を受けている俺を見て、双方安堵の息を漏らしている。


「ごめんね、いつもならしっかり管理できるんだけど、ニコルちゃんってば急激に衰弱しちゃって」

「コルティナが見誤ったの?」

「うん。あんなに急に疲れていくなんて、思ってもみなかったから」


 コルティナの言葉に、俺は自身の貧弱さを思い知る。


「でも、言い訳する訳じゃないけど、あの弱り方はちょっと異常よ。一度詳しく調べてみた方がいいんじゃないかしら」

「昔っからあんな感じだったと思うけど」


 コボルドと戦った時も、急激に疲弊して足を滑らせてしまった。

 人攫いの時もミシェルちゃんが来た直後くらいから、急に疲れている。

 指摘されてみれば、確かに怪しい場面は多い。


 未成熟ゆえの体力の無さかと思っていたが、ひょっとしてこの身体には、どこかに病巣があるのかもしれない。

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