第621話 英雄は新たな人生を歩み始める
食堂に入ると、先客の目が一斉に俺に向いた。
その視線に晒され、俺は身体を硬直させる。
そんな俺の背中を、マリアが優しく押してくれた。
「ニコル様、目が覚めたのですか!」
「あ、うん。フィニアとコルティナも大丈夫そうで良かった」
「はい、私たちは魔力切れで気絶しただけでしたので」
「ホント、閃光が収まったらあんたが倒れてて、びっくりしたわよ」
フィニアとコルティナは、いつも通りの反応を返してくれる。
いや、コルティナの口調が、昔の俺に向けていたものに変わっているが、それは仕方ないだろう。
彼女は特に、俺との関係が複雑だ。
「ニコルちゃん、あの……」
そんな俺に、ミシェルちゃんはおずおずと語りかけてきた。
おそらく俺の正体について、聞かされたのかもしれない。
どのみち、ライエルとマリアに知られた以上、彼女たちにも秘密にはしておけない。
ならば、この場ですべてを話してしまおう。
「うん、ミシェルちゃん、わかってる。全部話すから、聞いてくれるかな?」
「う、うん」
それから俺は、その場にいた人にこれまでの話を聞かせた。
ミシェルちゃん、レティーナ、クラウド……そしてすでに事情を知っているかつての仲間たちとフィニア。
フィニアの膝の上にちょこんと座ったフィーナにも。
もちろんフィーナには俺が話すことは理解できないだろう。薬学のギフトにより驚異的な記憶力を示すフィーナだが、その効果範囲は薬関係に限られる。
一般的な会話には、年齢相応の理解力しか持っていない。それでも、俺は聞いてほしかった。
すべてを話し終わった後、ミシェルちゃんは口をOの字に開いて感動していた。
「ニコルちゃんってレイド様だったんだぁ」
「いや、わりとあっさりしてるね?」
「すっっっごく、驚いてるよ?」
「うん、それは見ればわかる」
とはいえ、彼女はびっくりしたの範疇を出ていない。聞いたことを聞いたままに受け入れている。そしてそれを聞いても、態度を変えようとはしていなかった。
この辺りの素直さは、俺にとってもありがたい。
対してレティーナは困惑を隠せずにいた。六英雄の熱烈な信奉者である彼女にとって、親友がその六英雄だったと聞けば、混乱しても仕方ないだろう。
そしてそれは、クラウドにも言える。
「いや、本人から直接聞いて納得はしたけど……いや、できないけど。その、なんだ、えっと……これからも俺、仲間でいいのかな?」
「俺……ってか、わたしはこれからも冒険者を続けるつもりだから、まだ仲間でいてくれるとありがたい」
「なんか、男だか女だかわからない口調だな」
「うっさい。こっちも混乱してどっちに統一していいのかわからないんだ」
「その、本当にレイド様ですの?」
「うん。レティーナには黙っていて悪いと思ってる」
おずおずと、レティーナらしくない態度で俺に話しかけてくる。
しかしそれを受け入れがたいのか、ワタワタと手を動かしたり、あちこちに視線を飛ばしたりしていた。
「でもあの、高等学院の一件では……」
メトセラ領の高等学院では、俺がハウメアに変装し、ガドルスがニコルに変装していた。
ニコルとレイドの転生体を同時に見たことがあるレティーナは、ミシェルちゃんほどあっさりと納得できなかったようだ。
その時の状況を俺とマクスウェルから説明してやると、彼女はどうにか納得の表情を浮かべていた。
「見事に騙されたということですわね?」
「マクスウェルやガドルスを責めてやるなよ? 俺の手伝いをしてもらっただけなんだ」
「そこまで狭量ではないつもりですわ。でも本当にレイド様だなんて……」
「まだ信じないの?」
俺は壊れた手甲から糸を引っ張り出し、軽く振ってティーカップを糸で絡めとり、手の代わりに糸で口元に運ぶ。
こんな真似は彼女の護衛の糸使いサリヴァンにもできない技だ。
「そういえばときおり糸を使ってましたわね。どうして気付かなかったのかしら」
「先入観って大事だよな?」
レティーナの場合、ニコルという先入観と、レイドを美化したイメージのおかげで俺に繋がりにくい状況にあった。
細かいことは気にしないミシェルちゃんや、糸使いへの知識が乏しかったクラウドとは少しばかり事情が違う。
それでも、黙っていたことは少しばかり心苦しく思う。
「そんなわけで、実は俺、レイドだったんだ。黙っていてすまなかった。でも今まで通りに接してくれると嬉しい」
「でも、ニコルちゃんはニコルちゃんなんでしょ? だったら問題ないんじゃないかなぁ?」
「ミシェルさん、今ほどあなたの器の大きさに感嘆したことはありませんわ」
「俺も、今まで通りってのはすぐには無理だけど、できるだけ今まで通りにやっていくから」
ミシェルちゃんとクラウド、二人の言葉に思わず涙がこぼれそうになる。
この二人は、今の俺をちゃんと受け入れてくれているのだから。
そしてレティーナも、自分もと言わん限りに首を縦に振っていた。フィニアに関しては、言わずもがなだ。
そんな感動に浸っている俺に、冷水をぶっかけてくる声が聞こえた。
「麗しい友情だけどね、レイド?」
「ひぃ!?」
聞こえてきたのは、もちろんマリアの声。先も言っていたが、彼女も俺の事は受け入れてくれてはいる。しかし、どこか今までと違って冷たい感じがした。
いや、冷たいというのは語弊があるか。前世のレイドだった時代の対応に近くなっている気がする。
「さて、レイド。あなた、受け入れてもらうためには何でもするって言ったわよね?」
「あ、ああ。そんな感じのことも言ったかな? そんな気がしないでもない、気がする……かもしれない?」
「言い逃れしないの。それでね、私いろいろ考えたのよ」
「な、なにを?」
マリアがこちらを見る目は、まるで猫がネズミを目の前にした時のような、酷薄な目をしていた。
その視線を受けて、俺の背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
「私ももう歳なのよね。だから早く孫の顔が見たいわけ」
「そ、そうか……でも俺は――」
「フィーナが成長するまでまだまだかかるし、何よりライエルが妨害してるし」
「待て、俺はそんなことはしてないぞ!?」
マリアの言葉に嫌な感覚を覚えたのか、ライエルは慌てて抗議する。
しかしマリアはその言葉に冷たい視線を返した。
「この間のフィーナのお誕生日会で、近所の男の子を軒並み牽制してたでしょ!」
「い、いや、そんなこと……したかもしれないけど」
「女の子はともかく、男の子はみんな強張った顔でお祝いしてくれてたのよ。少しは加減しなさい」
「……はい」
亀の子のように首を竦め、ライエルは大人しく首肯した。
矛先が逸れたので俺はホッと一息吐いていたのだが、それもつかの間、マリアは再びこちらを振り返る。
「それでね、レイド。あなたを許す条件として……わたしたちに孫の顔を見せなさい」
「はぃ?」
「孫、見せて?」
「言い直さなくてもわかってるけど!?」
「じゃあ聞き返さないで」
「つまりあれか、俺に産めと? 相手もいないのに!」
俺の精神はいまだ男であった部分を色濃く残している。そんな俺が子供を作るために男とアレコレするというのは、正直勘弁してもらいたい。
「む、無理! それにコルティナとフィニアもいるのに、浮気なんていけないと思います!」
「二人に手を出しておいて、いまさら何を言ってるんだか」
呆れたような視線を向けるマリアと、何とも言えない表情を浮かべているコルティナとフィニア。
そんな女性陣三人の視線に晒され、なんだか俺はいたたまれないような気持になる。
そこへさらに高く幼い声が会話に割り込んできた。
「はーい、そこでここに性転換薬をつくってみましたぁ」
「フィーナぁ!?」
そちらに視線を向けると、フィニアの膝の上で立ち上がり、小さな小瓶を掲げているフィーナの姿が目に入った。
フィーナの顔はまさに得意満面という有様で、そのドヤ顔はそれはそれで可愛らしいのだが、言葉の内容が不穏すぎる。
「白いかみさまが、これがあれば『家内安泰』とかいってたよ?」
「あの野郎!?」
俺はフィーナの手からその『危険な薬』を取り上げようとした。むしろこの薬は、俺にこそふさわしいのではなかろうか?
しかしそれよりも早く、フィーナからその薬を取り上げたものがいた。
言うまでもなく、獣人の機敏性を存分に発揮したコルティナだった。
しかも、俺がその動きを追って目を向けた時には、すでに封を開けて口に運んでいた。
「ちょ、おま――」
「ぷはぁ」
まるでオヤジのような声と共に息を吐きだし、そしてボンという音とともに煙に包まれるコルティナ。
その煙が晴れた後には、コルティナの服を着た、野性的な青年の姿があった。
胸部の薄いコルティナと、青年が小柄だったせいで、服装のサイズ自体は問題がない。
しかし野性的である意味男臭いその青年では、違和感が半端ない。
そんなコルティナの姿を見て、俺は下腹の辺りがキュッと引き攣るような感覚を覚えていた。
「コ、コル、ティナ?」
「それ以外に誰がいるってのよ?」
そういうと自分の股間と胸をパンパン叩いてナニかを確認していた。
「よし、これなら問題なくヤれるわね」
「なにをだ!?」
「なにって……ナニよ?」
「やーめーてーくーれぇ!!」
コルティナに弟がいれば、こんな姿になるのだろう。そんな青年がまさに獣のような欲を込めて、こちらに視線を向けてくる。
「ごめんね、フィニアちゃん。このお詫びはいつかするから」
「い、いえ……」
フィニアは完全に事態から置いて行かれ目を白黒させていたが、ようやく事態を飲み込めたのか、少し残念そうな声でそう答えた。
しかし、我が家のトラブルメーカーはさらなる爆弾を投げ込んできた。
「そう思って実はもう一本――」
そのセリフが終わるより早く、小さな胸元から小瓶を引っ張り出すフィーナの手から、それが消えた。
その状況に反応する俺より早く動いたのは、彼女を膝に乗せたフィニアだった。
その動きは、暗殺者たる俺よりも早い。そして止める間もなくフィニアはそれを口元に運んでいた。
コルティナと同じように煙に包まれ、そこには十歳前後に見えるエルフの少年の姿がった。
「ふぃ、フィニア」
「コルティナ様の時も思いましたけど、この薬を飲むと少し縮んじゃうんですね」
そう言って自分の頭をパムパムと叩くフィニアの姿は非常に愛らしく、胸の辺りを撃ち抜かれたような感触を覚えていた。
これが『萌える』という感覚か。ではなく――
「いや、そういう問題じゃなく!」
「これで問題はなくなったわね。じゃ、二人とも、頼んだわよ」
「頼むんじゃねぇ!?」
変身した二人に動ずることなく、マリアが何かのたまいやがった。
その声に応じるように、マクスウェルとガドルスが席を立ち、隣の部屋へ消えていく。
対してライエルとマリアはニコニコ顔だ。
「お、おい、二人とも」
「レイドや。わしらには彼女たちを抑えることはできんよ」
「そんな恐ろしい真似は、俺もしたくない」
諦め顔でそう告げて俺に背を向ける。
その背には『絶対に関わらない』という、男らしい決意が表明されていた。ド畜生どもめ!
「ほら、あなたもこっちの部屋に。いくらなんでも無粋よ?」
「お、そうだったな。それじゃ、レイド。せいぜい励めよ」
「励めるかぁ!?」
「ならフィニアとコルティナが頑張ってくれ」
「任せなさい!」
「精一杯頑張ります」
「だからやめろってぇ!」
そういう俺の両脇を、フィニアとコルティナが抱え上げていく。
部屋に残されたミシェルちゃんたちはポカンとした顔のまま放置されていたが、事情を察したのか顔を見合わせた後、黙ってマクスウェルの後を追っていった。
「裏切者ぉ!?」
「だって怖いしィ」
「六英雄に歯向かうとか、俺には無理だから」
「わたし、馬に蹴られたくありませんもの」
そして無情にもパタンと扉は閉じられた。
俺はそのまま別室に連行され、ベッドの上に放り出される。
この先の展開を読めないほど、俺は男女の事を知らないわけではない。むしろ男の時は、この二人を相手に率先して行動していたくらいだ。
だから彼女(?)たちの気持ちもわからなくはない。相手が俺でなければ!
そもそも、こんな状況になったのは、あの白い神が俺を女に転生させたからだ。
だからこそ、目の前で小一時間ほど問い詰めたい。
「神様、仲間の娘にするなんて、あんまりだ――!!」
英雄の娘として生まれ変わった英雄は再び英雄を目指す 完
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