第334話 浴場での攻防

 フィニアと一緒に浴場に入っていくと、すでにマリアとフィーナは浴場に浸かっていた。

 俺もいそいそと掛け湯を済まし、その隣へと近寄っていく。

 マリアは気持ちよさそうにフィーナを抱えながら湯に浸かっているが、フィーナは初めて見る広い風呂に興奮が隠せない様子だった。


「あぅー、だぁう!」


 小さな足をバタバタ暴れさせて、湯を弾き飛ばし、笑っている。

 どうもこの子は肝がかなり据わっているようだ。そのくせ人見知りはするのだから、訳がわからない。

 足が疲れたのか、今度は手でバシャバシャ水面を叩いて、水飛沫を立てる。


「うわっぷ」

「あぁう! わぅー」


 水飛沫が隣に移動した俺にかかり、それを防ぐ仕草が面白いのか、さらに勢いを増して水面を叩く。


「もー、フィーナは暴れん坊なんだから!」

「ニコルがそれを言うのかな?」

「わたしはもっと大人しかったよ?」

「大人しかったというか、寝込んでただけだったような」

「それは言わないで」


 フィーナの手を押さえると、今度は足で水を蹴り出した。

 おのれ、まだ赤ちゃんなのに機転が効くじゃないか。


「うぬー!」


 マリアからフィーナを奪い取り、むぎゅっと抱きしめる。

 うむ、このプニプニ感は癖になるな。

 だがフィーナとてただで抱きすくめられるほど甘くなかった。この辺はさすがライエルの娘である。


 彼女は動きを封じられると、今度は口でこちらの胸に吸い付いてきたのだ。

 いつぞやの訓練場とは違い、ダイレクトヒットである。その刺激はさすがに激しい。


「いった、ちょっと待ってフィーナ、直は痛い。痛いから!」

「フィーナは私の胸よりニコルの胸の方が好みみたいね」

「それはうれしいけど攻撃が激しすぎるよ」


 最近は俺も色々独学が捗っている。この攻撃は少々刺激が強すぎるのだ。

 そこへフィニアがやってきて、こちらに声をかけてきた。


「ニコル様、今回はわたしがしっかり揉み解してさしあげますからね!」

「そう言えば前はわたしたちでフィニアをマッサージしてたっけ」

「はい、あの時からいつか仕返し――もとい、お礼を返さないとと思っておりました」

「いま仕返しとか言った?」

「いいえ、なんにも」


 とは言え、俺もゴブリンロードとの戦いで結構ガタが来ている。

 あの馬鹿力を受け流したとは言え、受け止めたのだから、それなりに各所に負担が溜まっているのだ。

 洗い場の隅に設置されたベンチに横になりに行くと、フィニアと、なぜかマリアも一緒にやってきていた。


「あれ、ママも?」

「ううん、今回はママもマッサージしてあげる。もちろんフィーナもね」

「わぅー」


 フィーナも? と疑問符を浮かべながら横になると、腰の辺りに小さな感触が乗っかった。

 しばらくするとその感触がべちべちと腰を打ち始める。


「あ、これ――」

「フィーナの初マッサージよね」


 振り返ると、マリアが腰の上にフィーナを乗っけて、それを喜んだフィーナが足をバタバタさせていた。

 ほとんどマッサージ効果なんてないが、これはこれで気分が暖かくなってくる。

 同時にフィニアが肩から腕にかけてストレッチをしてくれた。


「あれ、ニコル様……妙に凝ってません?」

「最近胸が重くって」

「嘘おっしゃい、そのくらいじゃ凝らないわよ。少なくともフィニアくらいにはならないと」

「ぐぬぅ、これが経験者の言葉の重さか」


 言うに及ばずマリアはたわわな胸部を持っている。

 それはこれまでにその関係の肩凝りを経験したことがあるということだ。

 どの程度から凝り始めるかも、知り尽くしているのだろう。

 別に俺は男だからくやしくなんかはない……断固としてそんな感情はないのだ。


 そうこうしているうちに、フィニアのマッサージが肩回りから腰回りへと移動していく。

 時折密着する胸の感触が心地よい。

 だがそこで、俺は鳥肌の立つような悪寒を感じた。


「むっ!」

「どうしました?」


 唐突に身を起こした俺に、フィニアは疑問の声を上げるが、とりあえずそれは無視する。

 俺の察知能力によると、ことは危急を要するのだ。

 素早く武器になりそうなものを見繕い、そばにあった手桶を手に取って、露天風呂の仕切りの上に向かって投げつけた。

 そのタイミングで、顔を出そうとした何者かに、その手桶は命中し、何者かが落下していく。


「グハァ!」


 ガラガラと何かを崩すような音とともに、悲鳴が聞こえてきた。

 その声は嫌になるほど聞き慣れている声だった。


「あらあら。あれはライエルね」

「やっぱりパパか」

「えっ、まさかライエル様がそんなこと――」

「あの人も昔からヤンチャなことばっかりしてたから」


 にっこりと優し気な笑みを浮かべるマリア。だが溢れ出る殺意は隠しきれていないぞ。

 これは覗こうとした行為よりも、フィニアの理想を砕いたことによる怒りが大きいと見た。


「見ての通り、男はみんな狼だから、気を付けるんだよ、フィニア」

「それ、ニコル様に言われるとは思いませんでした」

「そこまで無防備じゃないし! むしろ警戒心は人より優れてるし!」

「ニコルの警戒心って、命の危険方面にしか働いてないと思っていたわ」

「ママまでヒドイ!?」


 だが今はライエルの身の安全の方が不安である。

 人体を癒すスペシャリスト、マリア。そして人体破壊のスペシャリストでもある。

 この後待ち受けているのは、きっと死ぬほど痛い癒しの魔法に違いないのだ。


「なむぅ」

「あぶぅ」


 俺の合掌の声とフィーナの声が奇妙に一致したのが、少しうれしかった。

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