第482話 見つからない不審点

「こちらはアンソン侯爵の私室になりますわ。そしてこちらがベンボー辺境伯。どちらも気位が高い方ですから、近付かない方が賢明かと」

「そうなんだ。レティーナでも?」

「侯爵や辺境伯となれば、わたしとほぼ同格ですもの。変なライバル心を持たれて面倒ですの」

「うわ、近寄らないでおこ」


 レティーナに最上階の居住者を説明してもらいながら、俺は警戒を緩めない。

 こうして歩きながらも、歩数から最上階の間取りなどを計測している。

 これは前世からの習い性なのだが、確かに別の階の部屋よりも一部屋の面積が大きい。


「で、こちらの一番奥がレメク公爵の居室になりますわ」

「ここを調べさせようと冒険者を送って、帰ってこなかった……と?」

「まあ、そういうことになりますわね。受けていただいた方には、悪いことをしましたわ」

「ミスして命を落とすのは、冒険者としてはよくあることだよ」


 意図せず第三者を危険度の高い場所に送り込んでしまったと、レティーナは落ち込んでいた。

 だとしても、それは冒険者としては常に覚悟しておかねばならない事態なので、彼女には非はない。

 それはもちろんレティーナも理解しているが、それでも割り切れないところが、彼女の悪いところでもありいいところでもある。

 良くも悪くも、責任感が強いのが彼女の個性だった。


「それにしても、穏やかじゃないな。寮母のおばさんはいい人……とは言えないかもしれないけど、悪人って感じじゃなかったのに」

「それは魔術学院ですもの。いろんな素材を使いますし、しっかりと自分を制することができる方でないと、任せられませんわ」

「それもそっか。それじゃ他の場所も行ってみよう」


 高額な魔術素材も存在するこの寮内で、マスターキーを預かる存在である。

 金銭の誘惑に抗しきれる人間でないと、寮母など務まらないだろう。


「他の場所って……一階から三階まで全部見たのでしょう?」

「新入りが入りにくい場所ってのもあってね。特に薬関係だと必須なのに、入りづらい場所があるんだ」


 そういうと俺はレティーナの手を引き、伏魔殿のような四階から退散した。

 今は授業中のため人目は少ないが、それでも一緒にいることで何が起こるかわからない。

 できるなら、こんな場所に彼女を置いておきたくないので、この場から逃げ出したのもある。



 俺がレティーナを連れてきたのは、一階の厨房だ。

 魔術学院では薬学の基礎も学ぶ。そして薬と塩や砂糖は切っても切れない関係である。

 レメク家の疑惑は違法薬物なので、調合の際に必ず大量の塩や砂糖を調達しているはずだ。

 この物資の調達量が制限される学院内では、ここが最有力の調達場所である。


「こんにちわー」

「おう、レティーナの嬢ちゃんかい!」

「レティーナ、お知合い?」

「ええ、料理長とは初日に挨拶しましたもの。フィニアさんの都合で」

「そういえば、フィニアも料理好きだったもんね」


 それだけではない。

 薬物関係の疑いがある相手だ。どこかで薬を盛られる可能性も、否定できない。

 フィニアにはその対策として、できうる限り彼女の手料理をレティーナに振舞うよう警告しておいた。

 そのためにここで間借りする時も有るので、先に挨拶していたのだろう。


「おう、あの嬢ちゃんは筋がいいな! ぜひここに勤めてもらいてぇもんだが……」

「残念ながら、彼女は今はわたしの従者ですの。その希望は捨ててくださいまし」

「侯爵の娘さんのお手付きとなれば、しかたねぇか」

「て、手は付けてませんし!」

「レティーナ、からかわれてる。ところで料理長、わたしの従者もここを使ってもよいですか?」

「そっちの嬢ちゃんは……?」


 レティーナの愛想の良さに乗せられて、いきなり漫談を始めた料理長だが、ここで俺が新顔であることに気付いたようだ。

 デンも基礎的な料理はできるようになっているらしいので、ここに潜り込ませておくのも悪くない。

 もっともその腕はフィニアには程遠く、前世の俺と同じ程度の雑な料理しかできない。


「失礼しました。わたしは本日からこちらでお世話になります、ニコルと申します」


 そのためにはまずは第一印象。

 一番楽なのは眼帯を外すことだが、やはり自分でも理解できない力を野放しにするのは怖い。

 その眼帯も本来の海賊風のデザインだと怪しまれるので、表面に黒い布をかぶせてごまかしていた。

 ちなみにハスタール神に普通のデザインに変更してくれと注文を出したところ、『カッコ悪いからイヤだ』と返されてしまった。あの神様も地味に白いのと同じくらいメンドクサイ奴である。


 とにかく、礼を失しなければ通る願いなのだから、ここは丁重に対処することにする。

 軽くスカートの裾をつまみ、膝を曲げる。残念ながら、高等部のスカートもそれほど長くないので、あまり持ち上げられない。

 丈の長いスカートで広げると見栄えがするのだが……いや、それは今どうでもいい。


「おう、俺みたいな料理人にそんな挨拶はいらねぇよ。しかし……まあ、料理は俺の仕事なんだが、レティーナ嬢ちゃんの知り合いなら、いいか」

「レティーナ、すごく気に入られてるけど、何したの?」

「え、初日の夕食でお替りした程度ですわ」

「普通はしないよね?」

「引っ越しでお腹がすいてましたの。それにわたし、元冒険者ですし」

「好き嫌いもなく勢いよく食ってくれてなぁ。いや、久しぶりに飯の出し甲斐のある生徒だったぜ」

「それならミシェルも連れてくればよかったですわね。あの子はわたしの倍は食べますもの」

「レティーナ、今はそれよりさらにすごいから」

「え、ほんとに……?」


 ミシェルちゃんの食欲は止まるところを知らない。そのくせ肉は胸と尻にばかり付き、腹回りには余計な肉がないのだから信じられない。

 アレはきっと、何か怪しい神と契約しているに違いない。少なくとも白いのではないだろう。奴は平たいから。


「そりゃ楽しみだ。一度連れてきてくれよ!」

「いや、多分貴族のいる場所って聞いたら、飛んで逃げると思う。実際そうだったし」

「そりゃ、鼻持ちならねぇのが多いのは確かだけどな。しかし残念だ」

「うちの従者が調味料とか結構使うと思うのですけど、その辺は大丈夫ですか?」

「ん? 妙なこと気にするんだな。別に生徒一人分の食材や調味料でどうなるもんじゃないぞ、ここは」


 確かに百人を超える生徒の胃袋を賄うのだから、この厨房の広さも、かなりのものだ。

 おそらく厨房の奥に見える冷蔵室や倉庫にも、大量の食材が収められているのだろう。

 しかしこの答えだけでは、俺の欲しい答えには至らない。


「そうですか。いえ、ここは魔術学院ですので、大量の塩とか使ったりしないのかと。薬学の授業もありますし」

「そりゃたまに融通してくれって通達が来ることはあるけどな。それでも目立って減るようなことはないさ」

「それはよかった」


 つまり、ここから大量の水や塩が運び出されたはないということか。

 水や塩は溶媒に使われることが多い。それが無いということは、別ルートのなにかがあるのかもしれない。

 もしくは水や塩を使わない薬とか……?


「うーん、まだ情報が足りないな」

「あん? なんかいったか」

「いえ、すこし喉が渇いたな、と」

「そうかい。実はここに新作の果実水があってな!」

「うぇ!?」


 こうして俺は、意図せず料理長の実験台になってしまった。

 ちなみに新作果実水とやらは顔をしかめるほど酸っぱく、盛大に顔をしかめてしまった。

 それを見たレティーナが腹を抱えて爆笑したので、ドリル伸ばしの刑に処してやったのだった。

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