第167話 襲撃の後

 まさに血の海とも言える惨状の中、微動だにせず倒れ伏すプリシラ。

 俺は即座に彼女を仰向けに寝かせ、息を確かめた。

 その処置の最中、うめくような声を漏らす彼女に、俺は大きく声をかける。


「プリシラ、生きていたか……待ってろ、今、回復魔法をかけてもらうからな!」


 幸い、ここには全ての魔法を網羅したマクスウェルというバケモノがいる。

 マリアほどではないが、マクスウェルも最高位の治癒魔法が使える。マリアほど迅速に発動はできないし、効果も低いが、それでも一般的な治癒術師よりよっぽど効果はある。


「ニ――ハウメア、無理はさせるな」


 人目を気にして、俺をエリオットに名乗った偽名で呼ぶマクスウェル。だがその手は迅速に魔法陣を描き、魔術を発動させていた。


「マクス……ウェル、様……エリ、オット様が……」

「襲撃を受けたのじゃな?」

「はい。抵抗、しました、が……力、及ばず……」


 途切れ途切れにだが、はっきりとそう告げてくる。

 エリオットの身を狙うものがいるとすれば、こんな裏道は確かに絶好の襲撃場所になる。

 これはエリオットの失態という他はない。


「くそ……だけど一体誰が……」

「あの坊主にも敵は多い。この街にも結構な数が潜り込んでおるじゃろうな」

「爺さん、推測はできないのか?」

「多すぎて、無理じゃ」


 エリオットの敵。本来ならば、招かれざる客と言って拒否したいところではあるが、ここはラウム。北部三ヵ国連合とは違う。

 派遣されてくる貴族を、怪しいからという曖昧な理由で拒否することはできない。

 それが政治の世界というモノだ。

 だがそこにプリシラの声が割り込んできた。


「奴ら、逃亡に……馬車を……」

「馬車? なら結構足がついているかも?」

「その、馬車に、糸……私の服の袖……繋いで……」


 他にも敗れている個所は多いので気付かなかったが、言われて見てみれば、プリシラの服の左袖が破られていた。

 馬車に服の袖を繋いだ? 何のために?

 そんなもの決まっている。この惨状を巻き起こすほどの出血。その時着ていた服ならば、たっぷりと血を含んでいる事だろう。

 そして、それを引き摺って逃げたのなら、痕跡が残っているはず。


「でかした、プリシラ。お主はさすが、ラグラン家の隠密じゃよ」

「あとは任せて。絶対連れ戻して見せる」


 プリシラは俺の言葉を聞くと、再び意識を失った。

 最後の力を振り絞って、俺たちに情報を残してくれたのだ。

 力が及ばない事は確かにある。だがその中で、彼女はできる限りの手を打った。

 ならば――それに応えてこそ、英雄というモノだろう。


「行くのか、レイド?」

「ああ。彼女の事はよろしく頼む」

「エリオットは後継問題で多少揉めておってな。ひょっとすると、その絡みかもしれん。戦力を集めておるかもしれんから、気を付けるんじゃぞ」


 そういうマクスウェルはプリシラの治療に手一杯だ。

 マリアならば、見る間に傷を癒せてしまうのだが、ここは熟練度の違いという奴か。


「任せろ。俺を誰だと思ってるよ?」 

「幼女じゃな」

「ぐっ!?」

「急げ、あまり時間はないかもしれんぞ。それとこいつを連れていけ」


 マクスウェルは懐から小さな鳩を取り出した。

 無論、ただの鳩のはずがない。こいつはマクスウェルの使い魔ファミリアだ。


「そいつを連れて行けば、ワシは視覚と聴覚を共有できる。すぐに助っ人に向かう事もできようて」

「そりゃ心強いな」


 爺さんほどの達人になると、ファミリアの質もコルティナとは桁が違う。

 この鳩は自意識を持って行動でき、五感を共有し、言葉を発し、そして戦える。

 その戦闘力は駆け出しの冒険者よりも多少強い程度だが、充分に戦力になる。


 ただしその意識はマクスウェルに主導権があるため、常時戦力として考えるのはやはり危険だ。

 それでも背後を見張ってもらう程度の期待はできる。

 単独行動をするとき、背後を警戒してもらえるのは、何よりもありがたい。


「それじゃ行ってくる!」


 今はとにかく、時間が惜しい。

 マクスウェルが手を離せないのならば、俺が事に当たるしかない。

 幸い、今回はマクスウェルが最初から味方に付いてくれている。エリオットの安全さえ確保してしまえば、あとは時間を稼げばいいだけだ。

 そんな目算を立てて、俺は路地から飛び出していった。





 狭い路地に馬車は入れない。表通りは人が多い。ならば路地の反対側に馬車を停めていた可能性が高い。

 そう思って路地の反対側にやってきたら、想像通り曲がり角に血の跡が残っていた。

 まるで刷毛で掃いたような掠れた赤。間違いなく、プリシラが仕掛けた血濡れの布切れの成果だ。


「こっちか」


 ラウムは石畳で舗装されている場所が多いため、馬車の轍の跡は追えない。

 しかしその石畳に所々掠れた赤い血が点々と続いていた。

 これを追えば、迷うことなくエリオットの元へ辿り着けるはず。


 そうやっていくつもの路地を駆け抜け、角を曲がり――


「やけに遠回りしてるな。人を攫っているのだから当然かもしれないが……」


 攫った人間に現在地を悟られないように回り道をするのは、基本的なテクニックだ。

 しかし、マクスウェルが一刻を争うと言っていたのに、ずいぶん悠長な手を打っているとも見れる。


「殺す気はない……はずがないか」


 一国の元首を拉致して、ただで済むはずがない。

 ならば目撃者は確実に始末するはず。という事は、放置すれば確実にエリオットは死ぬ。

 そうすると、一刻も早く要件を済ませ、始末しないと自らの危険につながるはずなのに……まるで時間が掛かってもかまわないかのように、丁寧に回り道していた。


「これは、エリオットの護衛の少なさを把握されている?」


 そして追撃者を追い払う確信がある、と見るべきだろう。

 そこまで推測したところで、俺は一軒の屋敷に辿り着いた。

 貴族たちが多く住まう、高級住宅街。その中でも国外から来る貴族が多く所有する一角だ。


「ここは確か……タルカシール伯爵邸だな」


 タルカシール伯爵は、北部三ヵ国連合に組み込まれたグリトニル王家の遠縁にあたる貴族だ。

 伯爵の領地はグリトニル王国の中でも南部に位置し、ラウム森王国のストラ領に隣接する位置にあった。

 その位置だったからこそ、邪竜の災害を免れていたとも言える。

 そしてエリオットが主権を握ってからは、ラウム森王国へ外交官として出向いていた。


「なるほど。仮にも旧王家の遠縁ならば、エリオットの後釜に座れると思い上がったか?」


 俺はそう呟き、タルカシール邸の周囲を調べ、潜入の算段を立て始めたのだった。

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