番外09話 降臨する神々

 マタラ合従国、沖合い。

 指揮官の負傷により、急遽防衛部隊の指揮を執ることになったサリカ・ヘリオンとザナスティア・アマミヤの二人は微妙な感情のまま、街を見つめていた。

 高等学院のクラスメイトのニコルの教えに従い、魔神に勝てないと判断した彼女たちは、市民と軍隊の避難を優先した結果、街を見捨てることになってしまった。

 人的被害は最小限に抑えることに成功した。それは学院を出たばかりの彼女たちからしたら、快挙と言っていい成果である。


 だからと言って、故郷の街を見捨てる結果を手放しに喜ぶことはできなかった。

 街の港から沖合いに浮かぶ船を似た見つける、三体の魔神。

 わずか三体。このわずか三体の魔神によって、彼女たちの街は敗北した。

 その事実に血が滲むほど拳を握り締め、怒りを抑える。


「全砲門、港の魔神に照準を。ただし撃ってはだめです」


 追撃の可能性を考え、サリカは冷静を装って指示を下す。

 今や彼女の指示に疑問を挟む兵士はいない。彼女たちの指示が無ければ、どれほどの被害が出たのかわからなかったのだから。


「ハッ、周知いたします」


 こちらが先に砲撃を加えてしまうと、魔神を刺激する結果になるかもしれない。

 そうなると、勝てるかどうかわからない魔神との泥沼の海上戦が始まってしまう。

 砲を向けるのはあくまで牽制。魔神とて、海での戦いの不利は理解しているはず。

 こちらを無理に追ってはこないと考えての指示だった。


「問題は、どれだけ街が破壊されるかね」

「ザナス……」

「いえ、人が無事ならやり直せる。それはわかっているんだけどね」

「今はみんなが助かったことを喜ぶべきよね」


 港でこちらを見据える魔神を、憎々し気にサリカは睨み返す。

 温厚な彼女からすれば、珍しい視線のきつさだった。


「問題はあの魔神をどうやって排除するかよね」

「どっか行ってくれたらいいんだけどね」

「戻って来る可能性もあるから、誰かが倒してくれるとありがたいんだけど……冒険者ギルドの方は対応してもらえるかしら?」

「すぐには難しいかも。急な襲撃だったし」


 冒険者ギルド自体も、避難船の中に移動している。

 今、街には人っ子一人いないはずだ。

 誰か残っていれば、魔神はそれを倒しに向かうはずだから。

 他の場所で魔神に対抗できる冒険者が現れたり、倒せる手段が開発できたとしても、受け入れる街が存在しない状態になる。

 沖合いの避難船までその情報が届くまで、かなりの時間が経過してしまうだろう。


「問題は食料と水ね。どれだけ積み込めた?」

「ざっと三日分。切り詰めても一週間は持たないわ」


 街全員を避難させたため、魔術師の数は結構いる。海水を魔術で浄水すれば、飲料水はどうにか維持できる。

 しかし食料が致命的に足りていない。

 ましてや積み込む時間すらなかったのだから、三日分を確保しているだけでも上出来と言えよう。


 しかし三日では、他からの救援は期待できそうにない。この街の危機を知り、準備を整え、今の状況を悟るまで、三日は優にかかるはずだ。

 ましてや魔神の襲撃はこの街だけという保証はない。

 他の街も襲撃されていた場合、救援はさらに遅れるはずだった。


「厳しいわね」


 歯ぎしりするように、サリカは声を絞り出す。

 為す術もない現状に、歯噛みするしかないことを自覚する。

 しかしその時、突然魔神が別の方向に視線を向けた。

 明らかに避難船から視線を外し、細い路地へと向けている。

 そしてその路地から一人の少年が姿を現した。


 遠目にも明らかに少年とわかる、細身の身体。その背には身の丈を超える巨大な券を背負っている。

 少年は魔神を目にすると、静かに背の剣を構える。

 魔神はその雰囲気に圧されたのか、三対一にも関わらず周囲を囲むように動くに留まっていた。

 先手を打ったのは少年だった。

 海上から見ていたにもかかわらず、その動き出しをサリカは目にすることができなかった。


 後から考えると、少年の動きは決して早かったわけではない。

 魔神ならば余裕で対処できたであろうはずの速度。

 だが少年を見ていた誰もが、その動きを認識することができなかった。

 意識の隙間を縫うような滑るような動き。

 認識できなかったのは魔神も同じだったようで、少年の正面からの大上段の一撃を、防御すらできずにまともに食らっていた。


 剣も槍も、矢すらも通らなかった魔神。しかし少年の一撃はそんな魔神を、まるで柔らかな果物を両断するかのように真っ二つにする。

 遠目に見ていたサリカたちからは、まるで冗談のような光景。

 予定調和のように、抵抗すらできずに両断された仲間を見て、ようやく他の魔神たちが動き出す。

 少年をけん制するかのように右に回り込み、刺突を繰り出す魔神。

 それを虫を払うかのように弾き返し、蹴りを叩き込む。

 体格差からその蹴りは魔神の膝に入り、あっさりと砕いてみせた。


 体勢を崩す魔神のもう片方の腕を掴み、背負い投げで地面に転がし、喉に剣を突き立ててとどめを刺した。

 残された魔神は少年の強さに警戒心を示し、ジワリと距離を取る。

 少年はだらしと剣を下げ、挑発するかのように左手を前に出す。

 その意図を図りかねた魔神は警戒するかのように腰を落とし、剣を構え直した。

 しかし突然、魔神の胸に刃が生える。


「グア?」


 その現象を目にした魔神が、間の抜けた声を漏らす。

 しかしその刃は魔神の命を奪うべく半回転し、抉るような動きをした後背後へと抜けていく。


「囮、お疲れ様」


 唐突に魔神の背後から、少女が姿を現す。

 美しい容姿をした少女だが、どこか印象が薄い。

 戦場から見るサリカたちは、そこで奇妙な事実に気が付いた。

 彼女たちがいる沖合いは、それなりに距離がある。

 少なくとも、普通に会話する声が届くはずがない。

 だというのに、魔神の声も、涼やかな少女の声も、彼女足りの耳に届いていた。


「え、どういうこと……?」


 その不思議な現象に、サリカは思わず隣のザナスティアを見る。

 彼女も耳に手を当て、不思議そうな顔をして見返してきていた。

 そんな二人に答えるように、港の少年は声を上げる。


「この街の魔神は、戦神アレクと地神マールが討伐した! 民衆よ、街に戻るがいい!」


 戦神アレクに地神マール。その名に二人は聞き覚えがあった。

 否、この世界で知らぬ者はいないだろう。

 大陸南東にある武の国、暗殺者レイドを輩出したアレクマール剣王国の由来となった神々の名である。

 千年の昔、破戒神ユーリと風神ハスタールと共に世界樹に上り、魔王を倒したとされている神々だ。

 その時の功績で神へと昇神し、生まれた地がその名にあやかったと伝えられていた。


 伝説の存在である神々が、いま彼女たちの目の前にいる。

 そんなとんでもない事実を突きつけられ、思わずサリカたちは顔を見合わせる。

 しかし港の少年たちは、そんな彼女の疑問に答えることなく、その場を足早に去って行った。

 魔神の死体だけが残された港を見て、言葉もなく立ち尽くす避難民たち。

 そんな中、真っ先に我を取り戻したのは、やはりサリカだった。


「と、とにかく偵察隊を編成して! 魔神が街中に残っていないか確認しないと!?」


 ここで呆然としていても状況は変わらない。

 サリカはそこに思い至り、即座に街の安全を確認するために指示を飛ばす。


 ◇◆◇◆◇


 戦神を名乗った少年は足早に港街を出て、そのまま北を目指していた。

 その横には地母神を名乗った少女も付き従っている。


「あーあ、せっかく久しぶりに人里に降りてきたってのに、この騒動だもんなぁ」

「むしろ騒動が起きてるから、わたしたちが出てきてるんだよ?」

「ユーリ姉は頻繁に顔を出してるみたいじゃない?」

「まぁ、ユーリさんだから……」


 愚痴っぽく不平を漏らす少年の姿は、先ほど魔神を一蹴した達人とは思えないくらい、子供っぽい。

 窘める少女も負けず劣らず幼げに見え、まるで兄妹がじゃれあっているようにすら見える。

 戦神アレクは破戒神ユーリと共に世界樹の迷宮を踏破した神として有名だ。

 マールもまた、それに同行した一柱である。

 仲間であっただけに彼らの仲は非常に良く、破戒神は弟妹のように可愛がっていた。


「ユーリさんも今は手が離せないみたいだから、わたしたちがきちんとしないと」

「ユーリ姉を出し抜くとか、怖いことするよなぁ。絶対なんか反撃されるよ」

「……そう、だね」


 やや引き攣った顔でマールが頷く。


「それより、北の方は大丈夫かな?」


 魔神の群れの発生源である北部三か国連合は、かなり危険な状況らしいと聞いている。

 そちらには彼らの仲間だった漂神レヴィが対応したと聞いていた。


「レヴィさんがいるから大丈夫だろ。邪竜騒動の時に人を動かせるようにって北に居座ってたみたいだし」

「それっていいのかなぁ?」


 神々は人の営みには手を出さないという不文律があった。

 そのルールがあるために、彼らはあまり人と関わらない生活をしていた。

 そんな彼らと反対に、漂神レヴィは積極的に人の中に身を置いていた。

 積極的にトラブルに手を出すというわけではなく、あくまで人材育成や戦術教導などを目的とした干渉である。

 ルールに抵触するギリギリを攻めているとも言えた。


「今は北の方でギルドマスターをやっているんだっけ?」

「対魔神戦術とか言って、破城槌を搔き集めてたよ。あと腕利きの冒険者も」

「レヴィさんに振り回される冒険者さんも可哀想」

「マールも言うようになったなぁ」


 格で言えば、漂神レヴィは彼らよりも高い。

 そんな彼女を揶揄するような発言は、本来ならば許されない。

 しかし、当の漂神がそれを気にする性格ではなかったため、軽口の対象になっていた。


「あと西側はマリエールさんだっけ?」

「うん。まぁ大軍相手なら俺たちよりは向いてるさ」

「じゃあ北に向かっているのは、レヴィさんのフォローのためね?」

「レヴィさんというか、レヴィさんに振り回されているであろう冒険者のためだな」

「なら急いであげないと可哀想」


 にっこりと慎ましやかな笑顔を浮かべ、戦神の前に進み出る。

 気配を消し、敵の背後を取る達人という恐ろしい技術を持っていながら、戦い以外ではそんな素振りを一切見せない。

 そういう意味では、彼女はおそらくこの世界でも有数の暗殺者だろう。


「噂のニコルって娘よりも、怖いかもなぁ」

「アレクくん、何か言った?」

「……いや、何でもないよ」


 聞こえないように言ったつもりなのに、耳聡く聞きつけてきた彼女に、冷や汗を流しながら返す。

 再び彼女を追い越して顔を見えないように隠し、足早に北部に向かっていった。


 ◇◆◇◆◇


 ラウム森王国、保養地。

 温泉で有名なこの町にも、魔神の脅威は押し寄せていた。

 冒険者やエルフたちが弓や魔術で対抗していたが、歯が立たないことは一目瞭然の状況だった。

 かつてニコルに命を救われた少年、マイキーも防衛戦に駆り出されていた。


「くっそ、反則みたいな連中だな……」


 彼の手には柄まで鉄でできた槍があったのだが、その柄はすでに折れ曲がっていた。

 魔神に突き込み、反撃の一撃を受け止めた結果だ。

 武器を破損させた彼は後方へと一旦下がり、代わりの槍を受け取っていた。

 その間別の冒険者が前線を受け持っていたが、長くは持ちそうにない。


「あいつなら、持ちこたえるんだろうな……」


 かつて模擬戦をしたことがあるクラウドの姿を思い浮かべる。

 彼の堅牢な防御ならば、魔神の攻撃に耐えきることもできるだろう。

 それがマイキーのプライドを刺激する。


「くそ、もう大丈夫だ、交代してくれ!」

「いいのか!?」

「構わない!」


 万全とはいいがたい状態で前に出るマイキー。クラウドに対する劣等感が、彼を焦燥に駆り立てていた。

 だが代わりに借り受けた槍は木製の柄で、魔神の剣を受け止めるには到底足りない。

 一太刀でへし折られ、胸元に深手を負ってしまう。


「ぐあっ!?」

「マイキー!」


 肺を傷付けられることは避けられたが、肋骨にダメージを負い、呼吸がままならなくなってしまう。

 結果として動きが止まったマイキーに、魔神が剣を振り上げた。

 死を待つばかりのマイキーに絶望の声を上げる冒険者たち。

 助けに行こうにも間に合わない。そんな状況は、涼やかな声とともに破壊された。


「無茶をしますわね」


 パキンと金属が割れるような音と共に、視界が白く染まる。

 いや、周囲が氷によって閉ざされていた。


「邪魔ですから、後ろに下がっていただけます?」


 氷を踏み割りながら、グラマラスな肢体の女性がマイキーのそばまで歩み寄る。

 豪奢な巻き毛を持つ女性は魔神を一瞥し、鼻を鳴らした。


「のんびり隠遁生活をしゃれこんでいましたのに、騒々しい話ですわね」


 魔神も突如現れた女性を警戒し、双剣を構える。

 警戒する魔神を一顧だにせず、彼女は背後の冒険者たちに撤退を促した。


「ここは私が引き受けますから、あなたたちは村にお帰りなさいな」

「村……? いや、それよりあんたは?」


 温泉町はすでに村と呼ばれる規模ではない。

 その言葉の選び方に疑問を持ちつつ、マイキーは女性に語り掛けた。

 そんなマイキーを見下しながら、女性は高らかに宣言してみせる。


「私はマリエール・ブランシェ。水神エイルと呼ぶ人もいますわね」


 そう言うと腕を一振りして魔術……否、魔法を起動する。

 周辺を水の嵐が巻き起こり、続け様に冷気が吹き付ける。

 魔神の外皮は瞬く間に凍り付き、抵抗する間もなく砕かれてしまう。

 その惨劇を目撃したマイキーは頭が真っ白になり、ただうわ言のように声を漏らす。


「神……様……?」

「そう申しましたわよ? ほら、怪我はもう治しましたから立ってくださいまし」


 水神に告げられ、マイキーは初めて自分の胸の傷が完治していることに気が付いた。

 一瞬、傷一つ付いていない胸元を見て、先ほどの怪我が夢かとすら思う。

 しかし、破損した胸当てが事実だったと理解させる。


「あ、ありがとうございます」

「お礼は受け取っておきますわ。素直な子は好きですの。ほら、さっさと行きなさい」


 水神の言葉に小さく頷き、邪魔にならぬように背を向けた。

 直後、ラウムの深い森が氷で閉ざされるほどの冷気が吹き荒れる。

 その気配を背に感じ、マイキーは一体何が起きているのかと戦慄した。

 少なくとも、自分では考えが及びもつかない事態が起こっていることだけは、理解できていた。

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