番外10話 祝福の日

 着慣れない服に身を包んだ俺は、我ながら緊張した面持ちで扉の前に立っていた。

 目の前の扉がギシギシと軋んだ音を立てて開いていく。

 この辺境の小さな教会にしては、かなり立派な造りの扉。

 その向こうには、この村の住人が押し寄せていた。

 彼らの視線が、扉が開くと共に俺に向かって一斉に集中した。


「……っ!?」


 ニコルの状態だと注目されることには慣れていたが、今のレイドの身体ではほとんど注目されることは無かった。

 なので、俺は一瞬身体が硬直してしまっていた。

 その足を床から引き剥がすようにして、前へ進む。

 来場者全員、俺が動き出すのを見て、万雷のような拍手を行う。

 いつもはマリアが説法を行う説教台は取り払われ、いつもよりも豪奢な法衣を纏ったマリアと、補助を行うアシェラが立っていた。

 その後ろには、見慣れない聖堂騎士の恰好をしたライエルがいた。

 マリアの前に進み出た俺に、彼女は小さく笑みを漏らす。


「結構似合うじゃない。その礼服」

「……うっせ」


 日頃濃紺のコートか、暗い色合いの服を好む俺だが、この日は白い礼服を纏っていた。

 もちろんニコルの時は魔術学院の制服か、それに似たデザインの服を好んでいたが、この日は違う。

 白を主体とした礼服で、目立つことこの上ない。日頃の俺では絶対に選ばない色合いだ。


「やっと……あなたたちの結婚式を執り行うことができるわね」

「待たせたみたいだな」

「それはもう」


 満面の笑顔で、マリアはそう告げてくる。彼女にしてみれば、前世から二十六年待った計算になる。

 そう、今日は俺とコルティナ、フィニアとの結婚式を行うことになっていた。

 俺が前世のレイドの姿をしているのも、着慣れない白い服を着ているのも、前世、今世を問わず知人が押し掛けているのも、すべて結婚式のためだ。

 来賓席には村の住民たち以外にもガドルスやマクスウェル、レティーナにミシェルちゃんたち。俺と……というか、ニコルと関わりのあった者たちが大挙して押しかけていた。

 中には白いのや師匠……風神の姿まであるのだから、もはやカオス極まっている。


「まさか神様たちまで押しかけてくるなんて、大したものね」

「あいつらに関しては、放っておいてくれ。どこにでも顔を出す連中なんだから」


 白いのと師匠の隣には、ストラールの街のギルドマスターまで出席している。

 どうやら、彼女も白いのの知り合いだったらしい。

 白いのと並んで手に持ったクッキーをぼりぼり齧っている。完全に見世物を見物する体勢だ。


 そうこうしていると、再び大扉が開き、コルティナとフィニアが入ってきた。

 俺は彼女たちを振り返り、そして固まってしまった。

 楚々としたロングドレスを身に纏ったフィニアと、対照的に裾の短めの活発な印象のドレスを纏ったコルティナ。

 二人の間にはフィーナが可愛らしいドレスで着飾って随伴しており、二人のために道に花びらを撒きながら先導していた。

 必死にバッサバッサと花びらを撒いていたフィーナだったが、途中で花弁が無くなってしまい、足を止める。

 おろおろと左右を見回す姿も可愛らしい。さすが俺の妹である。

 とはいえ、放置しておくわけにもいかず、どうした物かと思案していると、来客の一人がフィーナにバスケットを手渡した。

 そしてコルティナに向けて親指を立ててみせる。

 どうやら、この事態は彼女にとって計算済みだったらしい。


「ありがとう!」

「どういたしまして」


 元気なフィーナの声に応える来客。その声は聖堂内に響き渡り、各所から笑い声が漏れ聞こえていた。

 俺の目の前までやってきたコルティナとフィニアに、俺は言葉を失って見惚れ続ける。

 そんな呆けた俺を見て、二人は視線を交わして小さく笑う。


「レイド様のそんな顔、初めて見ました」

「なに寝ぼけた顔してんのよ」

「いや、綺麗だったから……」


 絞り出すように、それだけを口にする。二人は顔を赤くしてフィニアはうつむき、コルティナはプイッと視線を逸らせた。

 実際、フィニアは神秘的な美しさを醸し出しており、触れるのが躊躇われるほど美しかった。

 コルティナも、まるで妖精のようなあどけない愛らしさを出しており、フィニアとは逆に構い倒したくなるような雰囲気だ。


「あー、フィニア、綺麗だよ。まるで女神みたいだ」

「め、女神ですか……」


 俺の言葉を受け、フィニアはちらりと背後の来客席に視線を向ける。

 そこには、リスのようにクッキーを齧る白いのの姿があった。

 なるほど、確かに『アレ』と同列に扱われるのは、不本意かもしれない。

 そう思い直して、俺は言い直す。


「前言撤回。天使みたいに綺麗だよ」

「はい。ありがとうございます」


 今度こそ、満面の笑みを浮かべて返してくる。それにしても、白いのと同列に扱われて不満に思うとか、彼女も図太くなったものだ。


「ちょっと、私には何もないの?」

「コルティナは妖精みたいに可愛らしいよ」

「なっ、さ、最初からそう言いなさいよ」


 俺の言葉を受け、自分から催促しておきながら、言葉を詰まらせるコルティナ。

 もじもじと指を絡ませる仕草も、なんとも言えず可愛らしい。


「レイドもそんなこと言えるようになったのね。感慨深いわ」

「俺だって女心を理解できるくらいの経験は積んできたんだ」

「実際に女になってまで、ね?」

「うっさい、そこについては触れるんじゃねぇ!」


 俺だって花嫁を褒める言葉が必要なくらい、理解できる。そう思って口にしたセリフを、マリアが茶化してきた。

 しかし、それすらできなかったのが、前世の俺である。

 マリアの言葉は、ある意味正しかった。


「それじゃ、イチャつくのはこれくらいにして、式を始めましょう」


 パンと手を打ち、にこやかに告げるマリア。その意見には同意するが、口調がまるで夕飯の支度でも始めるかのような軽さで、この荘厳な場にはそぐわない。

 だがそれを指摘するのも、それはそれで無粋な気がして、俺は黙っていた。

 俺の隣にコルティナとフィニアが並び立ち、その目の前でマリアが結婚式の宣誓の言葉を述べ始める。


「新郎レイド。汝、健やかなる時も病める時も、コルティナ、フィニアの両名を愛し、守り続けることをここに誓うか?」

「ああ、誓う」


 照れくさくてぶっきらぼうな口調で答えた俺の脇に、コルティナの肘が突き刺さる。

 横目で彼女の様子を窺うと、じろりと剣呑な視線が飛んできていた。


「えっと、誓います」

「よろしい。では新婦コルティナ、フィニアよ……なん、じ……」


 そこで唐突に、マリアの声が途切れ始めた。

 何事かと彼女の様子を窺うと、その顔はまるで泣き出しそうなほど、くしゃくしゃに歪んでいた。


「マリア、どうした? ひょっとして調子が悪いのか!?」

「なん……なん……う、うぇ……」

「ちょっと、マリア?」


 さすがにこの様子に、コルティナも慌てだす。

 マリアは非常に我慢強く、苦しさを表に出さない女性だった。

 邪竜退治の時も、クファルの襲撃の時も、真剣な顔で事態に立ち向かいはしても、決して涙を見せるようなことは無かった。

 そんな彼女が目尻に涙を浮かべ、何かに耐えている様子は、古い付き合いの俺たちからすれば、異常な事態だ。


「うえぇぇぇぇぇぇぇん!!」

「ちょ、なに!?」

「マリア様!?」


 ついに決壊したように泣き出したマリアに、コルティナとフィニアが狼狽した声を上げる。

 なお俺は、あまりの事態に硬直してしまっていた。


「だって、だって! あのコルティナの式を私が上げるのよ? こんなの、嬉しくって……」

「……あ、そういう意味ね」


 どうやら、マリアは感極まって泣き出してしまったようだった。

 そう理解して、コルティナは呆れたような声を上げる。

 考えてみれば、前世の時代から姉妹のように仲良くしていた二人の式を自分で上げるのだから、その気持ちもわからなくはない。

 だが式が止まってしまうのは、非常に困る。


「あーあ。こうなるとは思っていたのよね。しかたない。ここは私が代理で――」


 泣き出したマリアの代わりに式を執り行おうと、補助についていたアシェラ教皇が進み出る。

 しかしその後ろ頭を、俺でも見逃しそうな速度でマリアがどつき倒した。


「ティナとフィニアの式は私がやるんです! こればかりは教皇様でも絶対譲りません!」

「いやお前、その教皇をどつき倒すのは許されるのか……?」


 床に倒れ伏してピクリとも動かない教皇に、戦慄した視線を向ける。

 さすがに教皇がこんなアホなツッコミで死んだりしたら、目も当てられない。

 そんな俺の不安を無視して、アシェラ教皇はむくりと身を起こし、元の位置へと戻って行った。


「大丈夫よ。あの人、無駄に丈夫だから。きっと冒険者だったお婆様の影響なのでしょうね」

「そ、そうなのか?」

「そうよ。もう、式がめちゃくちゃになっちゃったじゃない」

「主にお前のせいでな」

「めんどくさいわね。レイド、さっさと誓いのキスしちゃいなさい」

「おいィ!?」


 あまりにな言いように俺は思わずツッコミの声を上げる。

 そんな俺の首をコルティナがわし掴みにし、強引に自分の方に向けさせて唇を重ねてきた。


「んぅ!?」

「ぷぅ。こんな堅っ苦しい式はさっさと終わらせたいのは同感なのよね」

「お前なぁ……って――」


 続いてフィニアが俺の首にぶら下がる様にして唇を重ねてきた。


「私も、コルティナ様と同じ意見ですね。人目がある場所だと、レイド様と、その――」


 俺から離れたフィニアが、そう言うと指を絡ませ、言葉を詰まらせる。

 彼女は最近、積極的な面が出てきたようだ。それはそれで、嬉しい進歩なのだが、人前でこれは俺が恥ずかしい。


「フィニア……いや、なんでもない」


 いつものフィニアなら、こんな大胆な行動は取らなかっただろう。

 ひょっとすると彼女も、この状況に酔っているのかもしれない。


「これにて、婚姻の宣誓は為された。三人に祝福を!」


 マリアの言葉に、来場していた観衆から大歓声が起こった。

 祝福の声と同時に、ほんの少しの男たちからの妬みの声。ニコルの時はニコニコしていたのに、現金な奴らである。

 歓声に応えて、振り返って手を上げた俺の視線が、突如として低くなった。


「なっ、なに!?」


 見ると、俺の身体がいつものニコルの身体へと戻っていた。

 変化の魔術を解く時は痛みが伴うというのに、それすらもなく、突然に。


「結婚式なら、あるべき姿で参加すべきでしょう?」


 どこかドヤ顔を想起させる声を聞いて、反射的にイラッとしてしまったが、今はそれどころではない。

 なぜなら、ニコルとレイドでは服のサイズがあまりにも違うからだ。

 身長だけでも、ニコルはレイドよりも二十センチほど低い。

 だというのに、胸回りはレイドよりも大きい。その結果どうなるかと言うと……


「ひ、ひゃわあぁぁぁぁぁぁっっっ!?」


 だぶだぶになった白い礼服に、パツパツになった胸元。

 もちろん女性用下着などは着けていないので、絹のシャツに胸の形が明確に浮き出している。

 先ほどとは違う意味の歓声が上がる観衆たち。

 胸を腕で隠してその場にしゃがみこむ俺の耳に、男の歓声以外にも女性の声も聞こえてきた。


「男装のニコルさん……有りですわね!」

「ニコルちゃん、カッコカワイイね。あ、クラウドくんは見ちゃダメ」

「男装ニコルちゃん、これは薄い本が厚くなるねぇ」


 最前列の席にいたレティーナとミシェルちゃん。最後のは白いのの横にいたストラールのギルドマスターの声か?


「し、白いの! お前!?」


 叫ぶと同時に白いのに飛び掛かる。しかし白いのはその行動を察知していたのか、ひらりと身を躱して

 そのまま正面の大扉を押し開けて外に飛び出していく。

 本来なら、俺たちが真っ先にそこから出て、外で待つ観衆から祝福を受ける予定だった。そこへ白いのが飛び出してきたせいで、待っていた観衆は目を丸くしていた。

 続いてレイドではない俺が飛び出してきたのだから、観衆の混乱はさらに増す。


「え、なに? なに?」

「コルティナ様とフィニアさんが出てくるんじゃなかったっけ?」

「白い子と……ニコルちゃん?」

「男の服で? いいわね」


 混乱しているのか、変に落ち着いた声で斜め上の感想すら飛び出す観衆。

 その俺の背後で、マリアの呆れた声が飛んできた。


「ちょっと、ニコル! もう、式が台無しじゃない!? 本当に落ち着きがない子なんだから」


 レイドの姿をしていない俺に、ニコルと呼び掛けてくるマリア。

 その呼びかけがどことなく嬉しくも感じられる。

 俺はレイドである以上に、彼女の娘のニコルなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

英雄の娘として生まれ変わった英雄は再び英雄を目指す 鏑木ハルカ @Kaburagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ