第206話 操糸の進化
より低く構えたマテウス。その姿勢に俺は背筋に氷を投げ込まれたような感覚を覚えた。
本能に任せて後ろへと跳躍する。その俺の残像を薙ぎ払うかのように、左右から同時に剣が襲い掛かってきた。
続いて上下からの斬撃が俺を追って迫ってくる。これを槍を旋回させるようにして弾く。
ガツンと言う衝撃。俺の身体のすぐそばを長剣の刃が駆け上がり、そして振り下ろされていく。
その剣勢は重く、どうにか直撃を避けはしたが、俺の腕は激しく痺れていた。
「っつぅ――、お前、まさか今まで手加減して……」
「そりゃ、そっちのガキと違って売り物になりそうだったからな?」
歯を剥き出しにして嗤うマテウス。低い姿勢を取る事により、振り下ろしの威力を強め、その反動を使った斬り上げの威力も増している。
いや、二刀を同時に振る事により双方の反動を増しているのか。
俺の低い身長も、この場合悪い方へと働いた。
本来ならば、低い位置からの攻撃と言う事で盾などで受けやすいのかもしれないが、俺の場合真正面からの攻撃になってしまう。
今までと違いより重くなった攻撃は、受け続ける事が難しい。
しかもそこへ、さらに悪い報告が入った。
背後にいたミシェルちゃんからだ。
「ニコルちゃん、血が――とまらないよ!」
「肩口で縛って! 後、脇に石を挟んで大きな血管を押さえて!」
クラウドの腕は肘の少し上で両断されている。
少々の傷ならば、焼けば塞ぐこともできるが、あそこまでの傷だと、焼いたところで出血は止まらない。
焼き潰した組織の向こうから、血流が傷口を押し開いてしまうためだ。
そのため血流自体を止めないと、出血は抑えられない。
「後ろを気にしている余裕はあるのかなぁ?」
背後に意識の向いた一瞬を突いて、嵩にかかって斬りかかるマテウス。
その一撃を受け損ね、俺の手から槍が飛んだ。
「くっ――」
痺れる腕を叱咤しつつ、俺はピアノ線を両手に構える。
本来、糸の方が俺のスタイルには合っているのだが、今回ばかりは心許ない。
この鋼糸で奴の斬撃を受け止められる気がしない。
だがそれでも、この場は持ち堪えなければならない。
俺が負ければクラウドは死ぬ。俺とミシェルちゃんは……おそらく捕まり、奴隷として売られる。
その先にあるのは暗い将来だけだ。もちろんライエル達が救出に乗り出してくれるだろうが、助け出されるまでの時間は人を
せめて武器を用意してから来るべきだったか? 一瞬その思考が脳裏によぎるが、駆けつけた時、クラウドはまさに風前の灯火だった。
ここまでの時間、一瞬でも躊躇していれば彼の命は失われていた可能性もある。
ならばここまでは最善のはず……途中で衛士にも通報してある。そこからコルティナやマクスウェルにも連絡が行くはず。
持ち堪えれば勝機はあるはず。
しかし、その持久戦こそが、この男を相手には最も難しい。
極端に攻撃に偏重した斬撃は、俺にとって鬼門と言っていい。受け止める事も受け流す事も出来ないからだ。
ならば避けるしかない。
せめていつもの手甲がもう少しあれば、戦い様もあるのに。
「もう、少し――?」
そこで俺は微かな天啓を得た。
今俺の手元にあるのはピアノ線だけ。しかし糸は他にもある。
例えば髪。これを抜けば糸と見做して使う事ができないだろうか?
いや、髪程度の強度ではいささか心許ない。しかしそれが可能ならば、より内側に目を向けて見ればどうだろう。
例えば筋肉。例えば神経。例えば血管。
そのほとんどが
そして俺の操糸のギフトは接触によって発動する。つまり体内への干渉ならば、無制限で発生できるはず。
思考の影響で俺の足が一瞬止まる。その隙を逃すようなマテウスではなかった。
再び左右同時の斬撃が迫ってくる。
奴の攻撃は見切れないほど早い訳ではないが、遠心力をたっぷりと乗せているため、非常に重い。
ピアノ線一本では到底受けきれないだろう。
俺は意識を体内に向け、筋繊維に操糸を施す。
ぶっつけ本番の思い付きではあったが、確かな手応えが帰ってきていた。
そのまま右腕を振り上げ、迫る右剣を下から弾き飛ばす。
ガツンとも、ぐしゃりとも付かない衝突音。
俺の拳は間違いなく奴の剣の腹を叩き、上方へを弾き飛ばしていた。
しかし、その代償は軽くない。
俺の肉体そのものが強化されていたわけではないからだ。俺の右拳は砕け、人差し指はあらぬ方向を向いていた。
背骨にまで響く衝撃を、ここは強引に抑え込む。反対側からの左剣を避けねばならないからだ。
続く横薙ぎの一閃。だがすでに右腕を打ち上げた姿勢のため、下方向への回避は不能。
ならば上へ避けるしかない。俺は背面跳びの要領で地面を蹴り、左剣を飛び越えてやり過ごす。
転がるように地面に着地、これは本来ならば、紛れもなく大きな隙になる。
しかし、マテウスとて強い攻撃を連続して放てるわけではない。右剣は上に弾かれ、左剣の勢いを相殺する事ができずに身体が大きくねじれていた。
おかげで追撃を行う事ができず、俺にわずかな時間を与えてくれている。
その隙を突いて、ジワリと今になって痛みを訴え始めた右腕の痛覚神経を体内で切断しておいた。簡易の麻酔だが、マリアの治癒魔術があれば、怪我と一緒に治せるはずだ。
施療と同時に、右腕に広がりつつあった痛みが嘘のように消え失せた。
対するマテウスは、驚愕の表情で固まっていた。
本来ならば、勝負が決まる攻撃だったはず。それをやり過ごされた事で驚いているのだろう。
しかも右拳が砕けるという重傷を負いながら、平然と対峙する俺。異常を感じないわけがない。
マテウスが躊躇した時間を利用し、俺は大きく離脱。再び体勢を立て直す事ができた。
こうして状況はさらに膠着していった。
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