第205話 双剣士
クラウドの右腕は、少し離れた地面に転がっていた。
その身体からは今もなお、血流がどくどくと、定期的な脈動を打って噴出している。
出血が脈打っている、それはつまり彼の命はまだ存在するということでもあった。
そしてクラウドのそばには男が一人立っていて、今にも剣を振り下ろそうとしていた。
「お、前らああぁぁぁぁぁぁ!」
俺はその光景に、一瞬にして我を忘れた。
目の前の連中が許せない。その想いだけに心を占拠され、殺意の感情一色に塗り潰されていく。
せっかくミシェルちゃんが声を上げるのを押さえたというのに、俺が絶叫してはその苦労が無駄になる。
だがそれでも、叫ばずにはいられなかった。
クラウドがここまで、どれほど努力を積み重ねてきたか知っているから。その右腕を切り落とすという事が、どれほど彼にとって絶望的なのかを知っているから。
無論、治癒魔法を極めたマリアならば、腕を繋ぐくらいは容易い。
しかし、マリアは教会に所属しており、治療には費用を要求するのが常である。
そしてクラウドにはその費用を支払うだけの余力はない。
もちろん俺の『お願い』ならば、無料で癒してもらえるだろう。ミシェルちゃんがそうだったように。
しかしそれも、この状況を切り抜けてからの話だ。今クラウドは、死に瀕している。
マリアがここにやってくるのはいつになるかわからない。
一刻も早く彼を助け出し、止血しないと、死亡してしまう可能性が高かった。そして死者を蘇生する事は……マリアでもできない。
クラウドのそばに立つ男に向かって、俺は持っていたピアノ線を打ち放つ。
初見にして不意打ち。普通ならばこの攻撃を避けれる者はいない。
それでもその男は、長い腕を
「っとぉ!? 物騒な攻撃をするなぁ」
惚けた表情で余裕を持って攻撃を打ち払う男。しかしこれは隙でもある。
俺は男が体勢を崩した隙に、懐に全速力で踏み込んで短剣を突き出す。
しかしこれも逆の腕の長剣で弾き返された。
「うひっ、なんだこのガキ。妙に戦い慣れて――?」
俺も攻撃を受けられた事に驚愕はしているが、ここで手を緩めたらこちらの方が危ない。
そこで金的に向かって蹴りを放つ。だが、これも距離を取って避けられてしまった。
「――できる」
「っぶねぇなぁ。お嬢ちゃん、妙に戦い慣れてないか?」
だがクラウドから男を引き剥がす事には成功している。後は、俺が残る五人を引き受けている間に、ミシェルちゃんが回収してくれれば、何とかなるはず。
愛用の手甲は修理中。帰還したばかりなのでカタナも持って来ていない。
手にあるのは短剣一本とピアノ線一本。心許ない事この上ない。
「それでも、退くわけには行かない」
「あ。悪いけど、ここを見られたからには、生かして返せないんだよなぁ。ごめんね?」
「残念だけど、生きて帰らせてもらう!」
男の長い手、そこに持たれた長剣を見る限り、侮れない膂力を持っていることは理解できる。
しかも不意打ちを余裕を持って躱せるほど、熟達した腕前。
惚けた仕草も、強者の余裕と言うべきか。
「マテウス! さっさとそのガキ始末しとけ。知られたからにゃ衛士が駆け付けて来るぞ!」
「そりゃ困る、こっちは一仕事終えたばかりなんだ。目ぇつけられるのは勘弁してくれや?」
広場と言っても草の生い茂った拓けた空間と言うだけの場所。
それなのに男――マテウスと呼ばれた男は足音一つ立てず、間合いを詰めてくる。足運びの滑らかさが尋常じゃない。
それに意識の隙間を突くような、歩法。これは……
「まさか、隠密のギフト持ち!?」
かつてマチスちゃんを攫った盗賊ども。その仲間にいた隠密能力の高い剣士。
そいつと同じ動きをマテウスは行っていた。しかも長さは違うが、同じ二刀流。
もしや、同門の徒か?
「ついでに長剣のギフトも持ってるよ。わかったら降参してくれないかな? お嬢ちゃんは良い商品になりそうだ」
「断固として断る」
「そっか、残念?」
長い腕を鞭のようにして使い、長剣を叩きつけてくる。短剣でそれを受け止めるが、たった一発で腕がしびれた。
これは俺の貧弱さもあるが、男の腕が独特のスイングで、一撃を重くしているせいだろう。
ついでに言うと鋼糸も一本しかないため、身体に纏わせての身体強化もままならない。
「くそ、今度からせめて五本は持ち歩くようにするぞ……」
「おお、受け止めるとは驚き。ラウムにはいい冒険者が揃ってるなぁ? そこの少年もなかなかいい守りをしてた」
男の言葉で俺は状況を思い出した。クラウドにはすぐさま止血が必要だった。
幸い、ミシェルちゃんはまだ固まったままで、戦闘の領域外。彼女ならば連れだすこともできる。
「ミシェルちゃん、クラウドを連れ出して止血して!」
「あ……う、うん!」
返事と同時にクラウドを救出すべく動き出すミシェルちゃん。同時に俺も、短剣に魔力を流して一メートル半ほどの槍へと変化させた。
その変化に目を剥くマテウス。
「おお、すげぇ! それ変わってるなぁ。俺にくれない?」
「さっきも言ったが、断固として断る」
「あらら、残念。じゃあ力ずくで頂くとしますかね」
再び腕を撓らせ、上下左右から嵐のように斬撃を加えてくる。短剣のままだったら、受けきれずに弾き飛ばされていたことだろう。
しかし今度は柄の長い槍の形状だ。刃に近い場所を持ち、棍のように使えば防御に適した武器にもなる。
東の方では、ナギナタとかいう武器がそれに当たる。
意図的に刃元に近い場所を持ち、柄の中央付近でバランスよく保持する。
二刀による連撃を、柄を回転させる事で効率よく受け止め受け流していった。
この戦い方は筋力に劣る女性向けに開発された戦法のため、今の俺との相性は良い。
もちろん、最良はギフトによる糸を使った攻撃なのだが、それでは守りに不安が出る。
数も一本しかない以上、使いどころを考えねばならない。
背後ではミシェルちゃんがクラウドを引き離し、上着を裂いて止血作業を始めていた。
俺の役目は、そこに人を近付けさせない事だ。
「何をグズグズやっている、マテウス!」
さっさとこの場所を立ち去りたい他の男は、マテウスが俺を仕留めきれない事に苛立ち、助っ人に向かおうとしていた。
この男の相手だけでも厄介だというのに、追加で襲われては正直手に余る。
ミシェルちゃんも止血で手一杯な以上、俺が対応するしかないのだが……
「こっちくんな!」
「ぐわっ!?」
斬撃の間隙を縫ってピアノ線を飛ばし、男の膝を斬り付ける。その動きは男達には見えなかったようで、ことさら驚いていた。
おそらく連中はマテウスの雇い主で、彼ほどには腕が立たないのだろう。
ならば牽制はできる。このまま粘れば、じきに衛士が駆け付けてくれる。
そう考えた矢先――
「ふむ? じゃあ、ちょっと本気を出すとしましょうかね?」
マテウスは不敵に笑い、さらに構えを低くしたのだった。
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