第132話 深夜の鍛錬

 その夜、コルティナ宅は混沌の渦に飲まれた。いや、酒の混沌と言うべきか。

 エルフやドワーフのマクスウェルやガドルスから見れば、見る見る衰えていくライエルの姿は痛ましい程だっただろう。

 それは彼等からすれば、まるで病気なのではないかと思える勢いに見えたはずだ。


 しかしそのライエルとマリアの老いがこれで止まる。一時的とは言え、これから先しばらくは、彼等とその娘と共に暮らしていくことができる。

 それがどれほど喜ばしいか、一緒に冒険してきた俺ならば理解できる。

 その日は俺に酒を勧めてくるライエルをあしらい――そもそも俺は七歳だ――眠りに就く……振りをした。


 数日の間を開けてしまったが、クラウドの剣の修業が残っている。

 仲間たちは泥酔して酔いつぶれてしまっている。おかげで楽に、誰に気付かれる事なく、抜け出す事ができた。


 いつもの貯木場の、いつもの時間。

 クラウドが来るより先に着いた俺は、自分の能力の確認を行う事にした。

 まず短剣を槍に変え、幻影を纏ってみる。いざという時は二つのアイテムを併用するので、それにも慣れておきたかったのだ。


 衣装ごと姿を変えて糸を飛ばし、材木や建物の合間を飛び回る。

 魔力を込めて槍の長さを調整し、前世から愛用の手甲から糸を飛ばす。


「すごいな、これは……」


 一周回る間にかかった時間は、生前と比較しても明らかに速い。

 これまでと身体能力はそれほど変化していないのだが、槍の取り回しと重心の操作で、より激しい機動が可能になっていた。


「俺の体が軽いから、より効果がある感じだな」


 槍が大きくなり重量が増した分、軽い俺の身体がそれに振り回されている。

 それを有効に利用すれば、今まで以上に機敏に動くことが可能となる。しかし……


「その分、負担も大きい、か?」


 振り回される身体を糸で強引に補正しているだけあって、関節への負担は今まで以上に高い。

 一周回るだけで、すでに身体の節々が悲鳴を上げていた。


「これはしばらく限界を探らないと、下手したら前みたいに大怪我してしまうな」


 糸の強化をしくじって、ここで大怪我したのは数か月前の話だ。

 俺は学べる男なので、そんな失敗は二度としないのだ。


「っと、そろそろクラウドが来る頃合いか」


 とは言え奴が来る前に、すでに俺の身体は限界が近い。

 こんな状態では剣の修業どころの話ではない。彼には悪いが、今日はやはり鍛錬は止めておいた方がいいかもしれない。

 そんな風に決断したところで、軽い足音が聞こえた。


「うぇ!? もう来た! あの野郎、無駄なところで勤勉な……」


 自身の身体に意識を向けていたので、気付くのが遅れてしまった。

 慌てて幻影を解除し、元の姿に戻る。そこでクラウドが貯木場に姿を現した。


「師匠、もう来て……あれ、師匠?」


 そこにいたのは俺……つまり、いつもの変装をしていない状態の俺だ。

 俺が少女である事はクラウドも知っていたが、顔は半分隠していたし、髪もマフラーを巻いて隠していた。

 つまりスッピンの素顔を晒すのは、今夜が初めてという事だ。


「あー、やあ?」

「本当に師匠なんだ? そんな顔してたんだね」

「ちょっと目立つ風貌だから。信頼できない相手には隠すようにしている」

「つまり、今まで信頼してもらえなかったんだ?」

「そう言うな。こっちはか弱い美少女だぞ。警戒もする」

「は? か弱い?」


 威厳が全くない外見なので、クラウドの奴もいつもより口が軽い。

 だがそれより今日は修行できないことを告げねばなるまい。先ほどのテストで、想像以上に身体に負担がかかっていた。


「悪いけど、今日は身体の調子が良くないんだ。修業は中止して、基礎体力練成だけやっててくれない?」

「まったく、師匠は俺に剣を教える気があるのか……いや、今でも充分強くなってるけどさぁ」


 文句を言いながらも、『なぜ』とは聞いてこない。

 今日に関しては完全に俺のペース配分ミスなのだが、その辺りは気を使ってくれているようだった。


「悪いね。少し体を痛めてて」

「どうせ師匠の事だから、また無茶なことしたんでしょ」

「失礼な。実験に熱が入り過ぎただけだ」


 俺は材木に腰を掛けながら、貯木場内をぐるぐると走り始めたクラウド相手に軽口を叩く。

 だが女に気を使えるのは悪い事じゃない。少なくともこいつは、生前の俺よりは気が利く方だ。

 お詫びに今度、お土産のハンカチでも渡してやるとしよう。

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