第380話 商人の老獪さ

 テムルさんを商人ギルドの前まで送り、ようやく俺たちの仕事は終わった。

 レオンさんが代表して全員分の報酬を受け取り、これで依頼完了となる。


「いや、今回もありがとうございました。またよろしくお願いしますよ」

「こちらこそ、ここまで便乗させてもらって感謝してますよ」

「ニコルさんたちも。これが初遠征とは思えないくらいの安定感でしたよ。これだとレオンさんの手が空いてない時は、代わりを頼んでもいいくらいです」

「そういっていただけるとありがたいです」


 この五日間で、俺たちの中心になっているのが俺だと、テムルさんも気付いていた。なので俺に向かって挨拶を向けてくる。

 初見だと唯一の男であるクラウドか、年長者のフィニアが代表だと思いがちなところだ。


「報酬は失礼ですが纏めてレオンさんにお渡ししております。それとこちらは餞別ということで」

「ん、なんです?」


 テムルさんはさらに俺に向かって小さな小袋を差し出してきた。開けてみると、そこには人数分の金貨が収められている。


「この街で冒険者をするなら、私が依頼することもあるでしょう。それに……ガドルス様に縁のある冒険者と縁故を繋ぐのは悪くありませんので」

「そんな、わたしたちだけなんて受け取れませんよ」

「いいからいいから。受け取っておけよ」


 テムルが下心込みで、いわばボーナスを支払っているのは俺も理解していた。

 だがこれを受け取るのはプロとしてダメな気がしたので、断りを入れたのだ。それをレオンは軽い口調で受領を進めてきた。


「でも……」


 言い募る俺に、レオンは耳元に口を寄せれささやく。


「孫に小遣いをやる感覚なんだから、受け取っておけって」

「聞こえてますよ、レオンさん」

「おっと、これは失礼」


 形だけ怒った口調を取るテムルに、まったく悪びれずに謝罪するレオン。

 確かに俺たちは大半が未成年という若いパーティだ。唯一成人しているフィニアにしても、見かけはクラウドとそう変わらない若さに見える。

 孫といっても差し支えない年齢である。

 だが一人はいわばテムルさんよりも年上の俺。小遣いをもらうのはいささか心苦しい。


「しかし、いわれのない報酬を受け取るわけには」

「仕方ありませんなぁ。ではミシェルちゃん」

「はい?」

「この地はハーブが特産品で、特にバジルソースをふんだんに使った鶏のソテーなどはお勧めですよ?」

「……じゅるり」


 あ、ずるい。

 俺は思わず上げそうになった声を、かろうじて飲み込んだ。いや、漏らしたとしても何ら問題はないだろうが。

 だがここでミシェルちゃんを巻き込むのは、さすがに反則だ。


「そんな時、もし懐が寒かったとしたら?」

「うう、かなしすぎるぅ」

「ですよね。そこでこれをどうぞ。緊急用の予備資金です」

「わぁい! ありがとー」


 ミシェルちゃんは綺麗に言いくるめられ、喜んで受け取っていた。


「商人って、ずるい……」

「ハッハッハ、商人を相手取って交渉するには、まだまだ経験不足ですな。ここはおとなしく受け取っておきなさい」

「わかりました、感謝します」


 いくら俺が前世の経験を持っているといっても、毎日海千山千の交渉をこなしているテムルさんには勝てないということだった。

 ここは俺の負けと思って、大人しく引き下がるしかない。

 しかし、それはそれとして。


「ミシェルちゃん?」

「な、なぁに? 顔が怖いよ、ニコルちゃん」

「わたしの顔は置いておくとして。知らない人から物をもらっちゃいけません!」

「し、しらなくもないし! テムルおじさん、知ってる人だし!」

「そういう意味じゃなく!」


 恒例の頬を引っ張る折檻に対し、ミシェルちゃんも反抗してくる。

 互いに頬を引っ張り合いながら口論する俺たちを見て、フィニアですら笑いを堪えている有様だった。

 おかしいな。俺はもっとストイックでハードな世界の人間だったはずだが……


「まぁまぁ。大人としてはミシェルちゃんくらい素直な方が可愛がり甲斐がありますよ。ニコルさんはいささかしっかりし過ぎてます」

「ほぅふぁなぁ?」


 頬を引っ張られたままなので、不明瞭な発音で俺は返事をする。というか空気を読みなさい、ミシェルちゃん。大人のお話をしているのだから。


「そうですとも。私たち商人は不必要な出費は絶対にしません。ならばこれは本当に、あなた方への期待の表れと受け取っていただいていいのですから」

「むぅ、ふぉふぉむぁれおっひゃらふぇふにゃら、ひょひょふぉんふぇ」

「すみませんが、何を言っているのかさっぱりです」

「うにゅう」


 だがここで俺が敗北するわけにはいかない。これはミシェルちゃんと俺、どちらが強者かを決める頂上決戦。

 先に手を放した方が今後の主導権を失ってしまう、大事な戦いである。

 俺がそう決意を新たにした瞬間、ミシェルちゃんが舌を出して指先をペロッと舐めてきた。

 温かくもぬるっとした感触に、思わず俺が手を放す。


「うひゃ!?」

「やった、わたしの勝ちぃ!」

「舐めるなんてずるい。今のは反則」

「戦いにルールなんてないのだ」

「くっ、今度からほっぺじゃなくておっぱい引っ張ってやる」

「やだ、伸びちゃうじゃない!」


 胸を抱えて逃げ出すミシェルちゃんに、俺は追撃をかける。

 テムルさんはここで耐えきれなくなって、腹を抱えて爆笑していた。

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