第538話 教育と成長

 その日、マリアとコルティナは困惑した表情で、裏庭で戯れるフィーナを見ていた。

 ライエルは今日、自身の偽物を確認するため、メトセラ領へ向かっていた。


「あれ、いいの?」

「うーん……でも一応ニコルがお世話になった人だし?」


 視線の先では、庭先に植えたハーブを指差し、フィーナに教示する白い姿。

 物怖じしないフィーナは疑うこともなく、その後をついて回っている。

 もっとも彼女に薬学のギフトを与えた本人なので、警戒心は最初から無いようだった。


「このミルドは葉っぱが解熱剤になるんですよー」

「へー、お姉ちゃんすごい、ももしりー」

「そこは物知りと言ってほしいですね。実際は桃でも正解ですが!」

「もももの?」

「そっちにつけますか。なかなかやりますね?」


 どこか三歳児と同レベルで会話しているのは、破戒神を名乗った少女。かつてニコルを死の危機から救った当人である。

 で、あるがゆえに、マリアも無下に扱うわけにはいかない。

 フィーナの薬学の才を伸ばすために、家庭教師を買って出たのを、断り切れなかった。


「まあ、ニコルの命の恩人でもあるし、聞いてる限り変なことは教えてないみたいだし」

「桃尻が?」

「フィーナ、どこから覚えてきたのかしら?」

「アレじゃないの?」


 コルティナは容赦なく破戒神を指さすが、マリアはさりげなく視線を逸らせていた。


「あ、お茶ですか、お茶ですね! それではフィーナちゃん、ここいらで一休みしましょう」

「わーい、おやつー」

「その前に手を洗いましょう。カーくん、ぷりーず」

「うきゅー」


 彼女の言葉に、フィーナのそばに控えていたカーバンクルが妙に疲れたような唸り声をあげる。

 その声に反応して魔法陣が生成され、そこからチョロチョロと水が流れ出していた。

 フィーナは迷うことなくその水に手を突っ込み、手を洗う。動きに淀みがないところから、いつもの行為なのだろう。

 続いて破戒神が手を洗おうとしたところで、カーバンクルは魔法の展開をやめた。

 そこにはあからさまに意地悪な意図が見えている。


「うぬ、まだ私には懐いてくれませんか」

「キュッ!」

「いったいどこが気に入らないというのです? わたし、こんなに可愛いのに!」

「キュキュッ!」

「自分で言うな? 失敬な、事実です!」


 カーバンクル相手に低次元な言い争いを行いつつも、魔法を発動させる。彼女の手足に着いた土埃などの汚れが、一瞬でその場に落ちた。

 遠目に見ていたマリアやコルティナですら気付かないほどの早業。同じく無詠唱魔法の使い手であるマリアすら、発動の気配を掴めていなかった。

 素知らぬ顔でガーデンテーブルにマリアが用意していた茶菓子を貪るべく、席に着く。


「えっと、その、すみませんね。フィーナの教育とか?」

「いいんですよ、これもなかなかメス堕ち……いえ、こちらの思惑通りに動かないニコルさんのためですから」

「思惑って、ニコルちゃんに何か悪いこと企んでいるんじゃないでしょうね?」


 破戒神の言葉尻を捉まえ、コルティナが追及する。

 しかし白い少女はそんな警戒心をまったく意に介さず、マリアの淹れた茶に手を伸ばしていた。


「いえいえ、そんな悪い事じゃないんですよ。ほら、ニコルさんは少し少年っぽいところがあるでしょ?」

「そ、それは否定できないわね」


 今やすっかり美少女と化し、外を出歩くだけで周囲の視線を誘引してしまう姿をしているというのに、ニコルはどこか女性特有のガードの固さがない。

 コルティナには最近になって、その無防備さが特に増した気がしていた。

 これはレイドに戻れるようになった副作用ともいえる現象だったのだが、彼女にはそれを知る由もない。


「そこで彼女をきちんと女性として教育するために、いろいろと手を回そうと思ってるんですよ」

「ふむ、例えば?」

「そこは企業秘密で。まあそのためにはフィーナさんの助力も必要ということで」

「ふぃーにゃ、がんばう」


 用意されたマフィンをもふもふ口に含みながら、フィーナがガッツポーズをする。

 その口元に着いた食べくずをカーバンクルが舐め取りながら、マリアがその跡を拭う。


「ニコルよりもフィーナのしつけの方が先決かもね。お行儀が悪いわよ?」

「うー、ごめんなしゃ」


 マリアに叱られしょんぼりと肩を落とすフィーナを、コルティナが頭を撫でて慰める。

 コルティナもこの屋敷にやって来て三か月が経つため、すでに家族同然の気安さがあった。

 叱った当のマリアはというと、しょんぼりしたフィーナの姿にメロメロになっていた。

 そんな二人を無視して、破戒神は懐から茶葉の入った小瓶を一つ取り出す。


「そうそう。ちなみにこちらのお薬をお茶にひと匙混ぜると、脂肪の分解が促進されるそうですよ。味も狂いませんから、おすすめです」

「なにそれ、ほしい!」

「わ、私も最近ちょっと腰回りが……」

「コルティナさんは脂肪をもっとつけた方がいいとは思うのですよ?」


 勢い込んで食らいついたコルティナに、破戒神は腰が引けたように言い返す。

 これはフィーナを産んだことでスタイルに少し乱れが見えていたマリアを気遣っての発言だった。

 しかし元々が華奢なコルティナでは、少々痩せ過ぎになってしまう。


「いや、それは確かにわかるんだけど、実は少し前まで外食が増えちゃっててね?」


 レイドとのデートの度に、コルティナは外へと食べに出ていた。フィニアの管理されたメニューと違い、好きなように頼めてしまうため、彼女の健康面にも少し不安が出ていた。

 もっともそれも、この北の辺境での健康的過ぎる毎日のおかげで解消されつつあるが、代わりに筋肉が増えた身体が心配になっていた。

 彼女の理想は、マリアのようなふくよかな体型だったのだから。


「まったく、お二人ともこちらの夫婦が理想とか、どういう縁ですかね? とにかく、あなたの場合は毒になりかねないので却下です。これはマリアさんにと思って持ってきた物ですので」

「そこをなんとか!」

「ダメよ、ティナ。身体に悪いといってるんだから。それに私の分が減っちゃ――ゴホンゴホン」

「今、なんか黒いところ晒した?」

「いえ、なにも。ティナ、何も聞いていないわよね?」

「いや、さっき……」

「聞いてないわよね?」

「あ、はい」


 戦闘では最も発言力の高いコルティナだったが、日常ではマリアに手も足も出ない。

 どこか座った目のマリアに気圧され、大人しく席に戻る。

 そんな家族のヒエラルキーを目にしながら、フィーナは日々成長していったのだった。

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