第216話 クラウドの意思
いくらライエルがやる気になっていても、クラウドの同意がなければ、さすがに稽古をつけるのは無理な話だ。
そこでクラウド本人の意思を確認しに行かねばならない。
俺は翌朝早く、学院に登校する前にクラウドの元を訪ねることにした。
「それじゃいってくるね」
玄関口でフィニアにそう挨拶をしてからドアに手をかける。
今回はマリアはついてこない。ライエルの稽古を受けるのに、その妻のマリアが背後にいたのでは、断るにも断れなくなってしまうからだ。
「行ってらっしゃいませ、ニコル様。クラウド様にもよろしく」
「うん、フィニアが気にしてたって伝えとく」
フィニアが救助を渋ったことはクラウドにも伝わっている。そういう点では、彼女はクラウドにとって不利な判断をしたことになる。
しかし彼女の先導があったからこそ、救助隊は素早く到着する事ができた。
そういう観点から見れば、今度は逆にフィニアは命の恩人にもなる。
クラウドは後者を重視し、フィニアのことは命の恩人の一人として見ていた。それがフィニアには少々心苦しいらしい。
二人は同じように孤児院出身なのだから、仲良くしてくれればいいのにとは思う。
その未来を想像すると、少しばかり暖かい気分になった。足取り軽くドアを押し開けると、そこにはミシェルちゃんが待ち受けていた。
「おはよー、ニコルちゃん!」
「お、おはよう。はやいね?」
「うん、最近ずっとクラウドくんの所に行ってたでしょ? わたしもお見舞い行きたくて」
「お見舞いって、クラウドは別に入院しているわけじゃないよ?」
彼の怪我はマリアの
今彼が抱えている障害は、怪我を受けたショックによる精神的要因が大きい。
「それでも、わたしはお礼言いたいし」
「……そっか。じゃあ行こ!」
俺はミシェルちゃんに向けて手を伸ばす。
彼女だって、クラウドの頑張りによって生き延びたことに変わりない。クラウドはいまリハビリ中だが、その間一度も顔を出さないというのも、不義理と思われるだろう。
体温の高いミシェルちゃんと手を繋ぎ、教会への道を急ぐ。ニコニコしている彼女の笑顔を守ったのは、間違いなくクラウドの頑張りだ。そこは褒めてあげねばなるまい。
もっとも危険に引っ張り込んだのも彼自身なのだが。
孤児院の朝は早い。
いつもより早い時間帯にやってきたが、数人の少年たちはすでに起き出し、朝食の用意を始めていた。
人手の無い孤児院では、食事の用意も子供たちが行う。
俺はその指揮を執るシスターに挨拶をしてから、クラウドの元に向かう。彼は例によって、裏庭で素振りをしているらしい。
半魔人の彼は食事の用意にすら参加できない。食材を持ち込むようになったとは言え、やはり深々と根付いた嫌悪感というモノは拭い難い。
そのためにシスターが、特別に賄いの参加を免除しているのだった。
「おはよう。今日も素振り?」
「あ、師匠――ニコル」
クラウドは二人だけだと俺のことを師匠と呼ぶが、第三者がいると名前で呼んでくる。
その基準がどういうモノに拠るのか、俺にはよくわからない。
今日も俺の背後にミシェルちゃんがいるので、口調を改めたのだ。
「おはよ、クラウドくん。元気にしてた?」
「ああ、マリア様のおかげですっかり元通りだよ。心配かけた……それと、悪かったな」
「えっ?」
「ほら、ミシェルが嫌がってたのに、無理に轍の跡を追ったせいで……」
「それはいいよ。クラウドくんが頑張って守ってくれたし。ありがとうね?」
年齢としてはクラウドの方が年上なのだが、その頭をミシェルちゃんが撫でて礼を言う。
その、見てるだけでほっこりと頬が緩む光景を見て、俺はふとここに何しに来たのかを思い出した。
「そうだ、クラウド」
「ん、なに?」
「実はパパが今回の事件で、クラウドに力が無いのが原因だって言いだして」
俺の言葉の最中で、クラウドは泣きそうな眼をした。俺を巻き込んだことを責められていると勘違いしたのだろう。
世界に名を馳せた六英雄からのダメ出し。そんなことになれば、心が折れるなんてモノじゃない。
俺はその不安を掻き消すべく、言葉を続ける。
「それでクラウドに稽古をつけてやるって。弱いなら強くなればいいって言ってたよ」
「へ……ラ、ライエル様が稽古を!?」
「それだけじゃなくて、ガドルスも」
「ガドルス様まで!!」
「盾役をこなすなら、パパよりガドルスの方がいいだろうって言ってたから」
「そ、そう言えばニコルって、六英雄の娘だったっけ……そういうコネもあるのか」
「なにをいまさら。その腕くっつけたの誰だと思っているの?」
「いや、それはもちろん知ってるけど!」
余りにも豪華すぎる申し出に、クラウドは混乱状態に陥っている。
目をぐるぐるさせて、アワアワと手を振る姿を見ると、正常な判断はできそうにない。
俺はその頭をパコンとはたき、落ち着かせる。
「ほら、落ち着いて。パパはあくまで稽古をつけてやってもいいって言ってるだけ。クラウドが無理だって言うなら断ってもいいんだよ?」
「いや、でも……」
「何だったら、わたしから断ってあげてもいいし」
「そんな、もったいない!」
クラウドの生活はわりとハードだ。
俺の鍛錬に冒険者の実践。それに孤児院の用事だってある。
くたくたになった夜に、さらにライエルの稽古を受けるというのは、いくら年上と言えどオーバーワークだ。
だから彼が無理と言うのなら、俺の口から拒否の意思を伝えてもいい。それならば角が立たないはずだ。
だがクラウドの反応を見る限り、その心配は杞憂だったようだ。
「六英雄の教えを受けれるなんて、この上ない幸運だよ。こっちから申し込みたいくらいだ」
「じゃあ、いいの?」
「よろしくお願いしますって伝えてくれる? いや、むしろ挨拶に行った方がいいのかも!」
「わかった。でも挨拶は別にいいから」
興奮して、先走ったことを口にするクラウド。正直、余計なことを口走られないように、口止めしておかねばならない。その面倒さを考えると、俺は塞ぎ込みたくなるところではある。
しかしクラウドにとって、ライエルの稽古は将来的に、明らかにプラスになる。だからこそ、俺は彼に提案して見せたのだ。
こうしてクラウドは、俺の弟子から六英雄の弟子にランクアップした。
後悔しないといいけど……
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