第347話 匂い袋

 ◇◆◇◆◇



 マクスウェルはコルティナの元を訪ねる前に、ライエルとマリア、それにガドルスもつれてラウムに戻ってきた。

 本来なら一か月以上もかかる距離を一瞬で移動してしまうのは、彼の常軌を逸した技量ゆえと言える。


 そしてコルティナの家に皆を集め、レイドが経験した事情を自分の事情として語って聞かせていた。

 まだ手のかかるフィーナはフィニアに任せ、この家で最も大きい部屋で――事態の説明を行う。

 カーバンクルも子守りを手伝ってくれるので、説明を行う食堂の隅に椅子を運んでそこでフィニアがフィーナをあやしていた。

 今回の話は彼女にも聞かせておいた方がいい、というマクスウェルの判断だ。


「なにそれ、レイドに変装した何者かが現れたって言うの?」

「今さらレイドの姿を知るものが、それほどいるとは思えないんだが……」


 あからさまに不快の感情を表すコルティナに、疑惑を口にするライエル。

 レイドの死は、すでに二十年以上も昔の話になる。

 暗殺者と言う境遇上、レイドと親密に友誼を結んでいたものは数少ない。さらに敵対者となると、数えるほどしか生き残っていないだろう。

 その職業上、名は知れ渡っていても、姿まではそれほど知られていない。それが六英雄の中でもレイドの特殊なところでもある。

 それなのにレイドの姿に完璧に化けて見せるというのは、よほどの縁がないと難しいはず。


「確かに。それにあのレイドが敵を放置しておくとも思えんしな」

「血の気は多かったわよね。怪我してちょっと血が抜けた方がちょうどいいくらい。まあその分、手がかかったけど」


 深々と頷くガドルスと対照的に、マリアは弟のことを話すかのような態度を取っていた。

 実際、打たれ弱い彼は、最もマリアの世話になった存在ともいえる。


「そこでワシら個々人を識別するために、とある筋からこれを入手しての。これが発する匂いを目印に識別するようにしようと思う」


 そう言ってマクスウェルは懐から皮袋に入った霊薬エリクサーの破片を取り出した。

 封を開けた瞬間、濃厚な緑の匂いが食堂中に広がっていく。


「結構きつい匂いね。これは?」

「重ねて言うが入手経路は教えられん。じゃがエリクサーの破片と言うことは確かじゃ」

「エリクサー!?」


 神話内に存在する万能薬。それが五つの破片になって目の前にある。

 その事実にその場にいた全員が驚愕の表情を浮かべる。

 特に世界樹教徒のマリアは口に手をやったまま硬直していたくらいだ。


「そんなものどこで――いえ、話せないんだったわね」

「そうじゃ。そしてこれはこうして密封しておけば匂いは漏れん」

「そんな貴重品の匂いが目印なら、偽物に真似られる危険性はないと言うわけか。しかしよく手に入れたものだな」

「まあ、そこはワシの伝手つてと言う奴でな。レイドの奴にもすでに渡してあるから、今後はこの匂いがせん奴は偽物と思っていい」

「わかったわ。それにしてもレイドに化けるなんて、不遜なことを考える奴もいたものよね」

「おそらくお主に近付くために選んだのじゃろうて」


 今のコルティナは、レイドのこととなると、その眼を曇らせるくらい冷静さを失っている。

 彼女に近付き、害を加えようと思えば、その姿を取るのが最も効果的であることは間違いなかった。

 その自覚はあるのか、コルティナは頬を膨らませてテーブルに肘をついた。

 しかしいつもならそんな彼女の頭を妹にするかのように撫でて、取りなしてくれる相方が――今回はまったく反応がない。


「ん?」


 そこでコルティナは、初めてマリアの異変に気が付いた。

 彼女は既に硬直から解け、涎を垂らさんばかりの表情でエリクサーに見入っていた。


「ちょ、ちょっと、マリア――?」

「こ、これが伝説の……世界樹の樹液を濃縮した……あの……」


 ハァハァと息を荒げ、恍惚とした表情で欠片を手に取るマリア。

 その目は今にも舐め掛からんばかりに常軌を逸していた。


「落ち着くんじゃ。それはそんな成りをしておっても薬じゃ。舐めたら溶けてなくなるぞ!」

「ハァハァ、おっと、自重自重……ねぇ、あなたのなら一口くらいいいわよね?」

「全然自重できてない! ダメに決まっているだろう。マクスウェル、どうにかできないか?」

「このまま放置して置いたら、夜中にこっそり口にしかねんの。そうじゃな……小さな籠っぽい入れ物でもあればいいのじゃが」

「それなら、これなんてどうでしょう?」


 そう口を挟んできたのは、フィニアだ。

 彼女が腰から取り出したのは、いつも身に着けている匂い袋ポプリだった。

 北の村にいた頃は小さな袋だったが、今では蔓を乾燥させた小さな籠のようなものに進化していた。

 そのままでは隙間から欠片が抜け落ちてしまうが、目の粗い布に詰めて籠の中にしまっておけば、匂いだけが漏れ出す匂い袋になるだろう。


「なるほど、それなら匂いのきつさも適度に抑えられるし、持ち運びの邪魔にはならんな」


 ガドルスは感心したようにヒゲをしごく。

 彼は武骨なドワーフ族だけあって、そのような身を飾る装飾品にはあまり興味がなかった。

 作る方には興味があるらしいが、それはまた別の話である。


「では、フィニア。悪いけど人数分の袋を用意してもらえるかしら?」

「はい、あの……今は少し手が離せませんので、あとでもいいですか?」


 申し訳なさそうに告げてくるフィニアだが、その胸元にはフィーナがしっかりと食いついていた。

 彼女は身近な女性の胸に食らいつく習性があるらしい。


「あらまぁ……マリアと勘違いして――はないわね」


 大きさが違うとまで言わなかった辺りは、コルティナなりの気遣いだったかもしれない。


「後でも構わんよ。ガドルスとライエルたちには、あとでワシから配っておくわい」

「申し訳ありません、そうしていただけると助かります」

「ついでにレイドにもな」

「そう言えばアイツ、ゴブリン戦の時に戦場にいたのに挨拶もしないで姿を消したのよ? ひどいと思わない!」


 コルティナが憤慨した様子でパンパンとテーブルを叩き出す。

 その様子を見て、男性陣はげんなりとした表情を見せていた。他人の惚気話ほど面倒な話題はない。


「まあまあ、あやつも事情があるのじゃろうて」

「マクスウェルはもうエリクサーの欠片を渡したんなら顔を合わせてるんでしょ? なんで私のところには顔を出さないのよ」

「そりゃ、本性を知っておるかどうかの問題じゃよ。知られたくないと思っておるのじゃから、そっとしておいてやらんか」

「そーだけどぉ」


 膨れっ面のコルティナを見て、乾いた笑いを浮かべてからその場は解散となった。

 フィニアがフィーナをマリアに返し、食事の支度を始めていく。

 この日は久しぶりに、六英雄総出(レイドを除く)での宴会になったのだった。

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