第351話 クリティカルヒット

 イノシシの解体はミシェルちゃんとクラウドに任せ、俺はレティーナに怪我の様子を見てもらっていた。

 怪我と言っても打ち身程度で、出血があるわけではない。

 だが患部を見るためには胸元という場所を晒さないといけないため、人目……特にクラウドの視線を遮る必要性があった。


「少し腫れてますけど、怪我というほどの物ではありませんわね」

「だから痛くないって言ったじゃない」

「あなたは大怪我でも同じことを言うから、信用できませんの」

「仲間に対してヒドイ言いよう」


 とはいえ『大丈夫』を連呼して気絶した経験も数多い。レティーナが疑うのも無理はない。

 今回はアストが調整してくれた革鎧のおかげで、衝撃を上手く逃がすことができた。

 雑な調整をした鎧だったら衝撃がダイレクトに身体に伝わり、肋骨の一本も折れていたかもしれない。

 そんなことを考えていたらレティーナが不意に俺の胸元をつついた。


「あら、これは何の跡ですの?」

「それはフィーナのイタズラ。あの子、わたしの胸にすぐ吸い付くんだから」


 レティーナがつついていたのは、俺の低い山頂付近にある赤い痣だった。

 毎度的確に咥えてくれるため、その近辺が赤く跡が残っている。


「ひょっとしたら母親と勘違いして……それはないですわね」

「ちょっと、どこ見て判断したか言ってみ?」

「明言して欲しいのです?」

「自分だって無いくせに。わたしはレティーナより大きいよ」

「言いましたわね!」


 レティーナが飛び掛かってくるが、さすがに体格差が大きい。

 俺がレティーナの頭を押さえてやると、彼女は俺に到達することなく手を振り回すだけに終わる。

 それよりも俺には聞くべきことがあった。


「ミシェルちゃん、さっきの一撃だけど」

「ん? あー、あれ。なんだか『ここだぁ!』って感じで、そのまま撃っちゃった」

「ああ、そう……」


 俺も前世では剣士を目指したことのある身だ。ミシェルちゃんの言いたいことは理解できる。

 剣を振っていると、ときおり、本当に稀にだが、するりと敵の急所に刃が滑り込むことがある。

 その感覚は糸を使うようになってからも起きていた。むしろ糸を使うようになってからの方が、頻繁に起きていたかもしれない。

 その感覚についてライエルに聞いたことがあるのだが、奴も同じような感覚を経験したことはあるが、それが何かまでは説明できないと言っていた。


 暗殺業に手を染めてからも、その感覚は起こっていた。おそらくはこれが急所を射抜く感覚というものなのだろう。

 そしてミシェルちゃんもギフトの効果で、それを感じ取ることができるようになってきているのだ。

 だとすれば……


「これからミシェルちゃんは、もっともっと強くなるかも」

「え、そうなの?」

「うん。わたしも詳しいことは全然わかんないんだけどね」

「へー……あ、こら、そっち見ちゃダメでしょ!」

「いって! いや、偶然だから。ちょっと視界に入っただけだから」


 俺との会話で手を止めている間に、クラウドがこっそりこちらを盗み見ていた。

 現在の俺はシャツの前を開いた状態で、いろんな物が剥き出しのままだ。


「クラウド、焼く」

「せめて文章にして喋って!?」

「鍛えれば大きく強くなるって言うよ?」

「誰だよ、そんなこと言ったの。後でぶっ飛ばしてやる。それ絶対嘘だからな!」

「ちなみにパパ」

「絶対倒せねぇ……」


 がっくりと地面に手を突き、絶望したクラウドに免じて体罰はやめておいた。

 さすがに子孫を残せなくなるのは、かわいそうだからな。





 イノシシからは皮や肉が三十キロほど手に入った。

 内臓は処理に困るため、レティーナに陥穽トンネルを使ってもらい、手早く埋めておく。

 食べられる部位もあるのだが、総じて日持ちしないので、持ち帰るには適していない。

 今回は一人当たり七キロ少々の肉が手に入ったので、クラウドも孤児院のいいお土産になると喜んでいた。


「こうやって新鮮な食材を持ち帰れるのも、あと少しですのね」

「侯爵家なら依頼を出せば獲ってきてもらえるでしょ」

「それだけのために依頼を出すのも気が引けますわ。それに、自分で倒すからこそ美味しく感じますのよ」

「だからって一人で獲りに行くのはダメだからね? あと使用人の人に無茶させるのも」

「わたしを何だと思ってますの……そこまで傍若無人ではありませんわ」

「初めて会った時のレティーナは、かなり傍若無人だったよ?」

「こ、子供の時の話じゃないですか!」

「今でも子供じゃない」


 肉は皮で包んでから持ち運ぶ。

 ただしこれほどの量になると、臭いを嗅ぎ付けて余計な野獣が現れかねないので、今日の狩りはここまでだ。

 俺たちはラウムへの帰路につき、リラックスした空気を漂わせていた。


「それに私も卒業後は高等部へ進まないといけませんし、子供ではいられませんもの」

「魔術学院の高等部っていうか、貴族のお勉強だからね。わたしは絶対ご遠慮願いたい」

「わたしだって肩が凝りますわ」

「わたし、もうお勉強はイヤ。実戦がいい」

「ミシェルちゃんはもっと学んだ方がいいよ、うん」


 素直な彼女は教えられたことを鵜呑みにして覚え込んでしまう。

 それはそれで効率がいいのだが、そこから思考を発展させることが難しくなってしまうのだ。

 これから先のことを考えたなら、彼女はもっといろんなことを知らねば。厄介ごとに巻き込まれた時に困るかもしれない。


「ニコルたちは、卒業後はストラ領でしたわね」

「うん。そこでガドルス……さんの新しい宿にお世話になるつもり」


 どうもガドルスをさん付けで呼ぶのは慣れないな。

 あの野郎はライエルと違って人当たりが悪い。というかあの外見で人見知りが激しいというべきだろうか。

 旅の間に慣れた俺だから結構話はしてくれたが、初期のころなど俺とガドルスが一緒にいると沈黙が流れて空気が重いと、コルティナに愚痴られたくらいだ。

 仲間になる前から知り合いだったコルティナと違い、ガドルスとは初対面だったから仕方ないんだが。


「わたしはあまりお会いしたことは無いんですけど、大丈夫ですの?」

「意外と優しい人だよ。面倒見もいいし。ライエル師匠よりよっぽど優しいかな」


 クラウドはどちらかというとガドルスの評価の方が高いようだが……それはライエルがお前を警戒しているから、厳しいだけだ。

 俺にその気はないと言っているのに、いまだにクラウドが俺についた虫じゃないかと疑っているのだから、始末に負えない。

 まあ、その勘違いはマリアも同じなので、似たもの夫婦と言えるかもな。


「なんにせよ、それは五か月も先の話だから。今はできるだけみんなで一緒にいよ?」

「そうですわね。せっかく残り少ない時間を一緒に過ごせるんですもの。先を憂いても仕方ないですわ」

「それにわたしたちも、ときおり戻ってくるからね。もう会えなくあるわけじゃないし」

「その時は高等部で学んだ高位魔術を披露して見せますわ!」

「期待しないで待ってるよ」


 和気あいあいと騒ぎながらラウムの門を通っていく。

 門番の衛士も、俺たちの顔は知っているので、ことさら引き留めたりはしなかった。

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