第264話 大混戦

 浮きワカメは視覚も聴覚も持たず、海中に漂う匂いで獲物を判断する……らしい。

 なので海底から奇襲を仕掛けた俺たちには、ほとんど気付いていなかったはずだ。

 俺は隠すことなく呪文を詠唱し、フィニアとクラウドに強化付与エンチャントを掛けた。水中では動きが制限されるため、筋力を強化するこの魔法は効果が高いはずだ。


 今回は海の中ということで、糸が使えない俺は後衛に下がっている。フィニアという前衛が増えたのも、理由の一つである。

 慣れない水中戦で、一体の敵に多数で襲い掛かった場合、同士討ちを起こす危険性もあるからだ。

 俺という手数が減った分、二人を強化することでより確実性を上げようという目論見だった。

 しかしそれでも、こちらの先制攻撃は効果を発揮することができなかった。


「行くよ、みんな気を付けてね!」


 ミシェルちゃんの声とともに、手に持った槍が投擲される。

 射撃ギフトを持つ彼女の投擲は、平時では百発百中の命中精度を誇っている。しかし今回はあまりにも勝手が違っていた。

 水中で身体中にまとわりつく水の感触。緩やかに前後する波や海流。そこを不規則に漂う標的。あらゆる要素が彼女から、いつもの命中精度を大幅に奪っていた。

 投擲された銛は命中することなく、浮きワカメの脇を通り過ぎていく。彼女が狙いを外したことなど見たことがないクラウドは、驚愕を隠せなかった。


「うそっ!?」

「ミシェルが……外した?」

「海だからそういうことも……なら、わたくしが!」


 その攻撃を見て次に仕掛けたのはレティーナだった。しかしこの攻撃も不発に終わる。

 放たれた火弾ファイアボルトの魔法は五メートルも進むことができず、周囲の海水によって消火された。

 いや、海中で火弾ファイアボルトは無理があるだろ、とツッコミたくもなったが、しかしそれを初見の子供に指摘するのは、酷という物か? これも経験と思っておこう。


 浮きワカメが捕食するのは、木材を主体とした植物など。生物を襲ったという話はあまり聞かない。

 漁師の銛を狙って水中に引き摺り込み、溺死させてしまったという超希少例くらいしか聞いたことがない。

 なので俺は、この段階ではこの敵を過小評価していた。それはもう、これ以上ないほど大甘に見下しきっていた。


 浮きワカメに辿り着くことなく、周囲の海水で消火されてしまった火弾ファイアボルトを見て、生温い視線を送る俺。

 ここまでは、まあ、俺の事前の想定内。ミシェルちゃんもレティーナも、水中戦の厄介さを身をもって思い知ったことだろう。

 後はクラウドとフィニアが近接戦闘で処理してくれれば、事は簡単に終わる……そう思っていた。


 だがその思惑は外れ、フィニアの攻撃が大きく逸れる。

 比較的小柄なフィニアは、剣を振った際の水の抵抗で、むしろ後ろへと後退してしまったのだ。

 下がった分、剣が届かず空振りに終わった。


「えっ?」


 ほとんど海を漂うだけのモンスター相手に空振りするとは思ってなかった彼女から、間の抜けた声が漏れる。

 そしてクラウドは……フィニアに大きく後れを取っていた。新調した金属の盾が、これまた水の抵抗を受けて彼の進みを大きく遅らせていたのだ。


「バカ、クラウド、早くフォローを――!」


 期せずして、フィニア一人が突出した状況になってしまう。

 無論、ここを見逃す浮きワカメでもない。いや、奴にはそんな思考能力は持っていないのだろうが。

 ただ何かに反応するように、浮きワカメは触手(?)をフィニアに伸ばす。水中で動きの鈍いフィニアは、それを躱すことができなかった。


 そこへようやくクラウドが辿り着き、大きく剣を振るのだが、これも同じように水の抵抗で押し戻され、有効打にならない。

 フィニアに巻き付いた浮きワカメは、掬い上げるように絡みついたため、フィニアの左足を胴体と一緒に縛りあげている。

 そしてそのまま、胸元を意味ありげな動きで締め上げていた。


「な、なんで……人は襲わないはずじゃ?」


 フィニアは水着に剣を持っただけで、木製の物は持っていない。今回浮きワカメの生態を調べたとき、木製品が危ないということで、クラウドは愛用の木製盾を金属製に新調したくらい、念を入れている。

 ミシェルちゃんの銛も、持ち手まで金属製な念の入れようだった。

 それなのに、浮きワカメは明らかな意図をもってフィニアにまとわりついていた。


「……あ、そういえば水着って綿じゃったの」


 そこへ水上から気の抜けたマクスウェルの声が届いてきた。この辺りの水は奇麗なので、船の上からでも状況を確認できたのだろう。

 だが俺にとっては、それよりも内容のほうが重要だった。

 木綿……つまり植物でできた素材。それは浮きワカメの捕食の対象になるという証でもある。ただし水着だけ。


「このジジィ!?」


 そもそも浮きワカメにこんな生態があるのなら、前世のうちに教えとけ! そうすれば是が非でもコルティナを連れ出していたのに。そしてお前から転写機を強奪していただろう。

 いや、今はそれどころではない。このままではフィニアがワカメの触手(?)プレイで危険な状態になってしまう。

 後衛の役割を忘れ、俺はフィニアに巻き付いたワカメを剥ぎ取りに向かった。

 

 いつもは腰の後ろに縛り付けている短剣だが、それではボディラインが隠れるということで、フィニアが太腿につけるタイプの剣帯を用意してくれていた。

 そこから一挙動で短剣を抜き放ち、絡みついた浮きワカメを剥ぎ取りにかかる。


「クラウド、手伝って!」

「いや、俺もちょっと……」


 俺一人の力では、膂力が足りないと判断してクラウドに助言を求めたが、クラウドもすでにワカメに絡めとられていた。

 しかも奴の股間辺りに集中的に絡みついている。生態からすれば、クラウドの水着を捕食している最中なのだろう。


 うねる触手と表面のぬめり、その目の前にはあられもない姿のフィニア。

 クラウドは今、空前絶後にヤバい状況にあった。


「クラウドのアホォォォ!?」


 その状況に、俺は罵倒の言葉しか出てこない。

 振動能力を起動すると斬れ過ぎてしまうため、フィニアを傷つける危険性がある。絡まれた状態ではミシェルちゃんも手出しできない。

 火属性が得意なレティーナも、水中では対処法が思いつかない。

 そうこうしているうちに、俺までも浮きワカメに絡みつかれてしまう。

 俺の場合、上半身はフィニアの解除に向かっていたので、クラウドのように下半身に巻き付かれた。


 こうして状況は、さらにグダグダと化していったのである。

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