第164話 夜のお説教

 夜になって夕食の時間になった。

 精神的に疲れていた俺は、フィニアの作った料理に舌鼓を打ち、コルティナ達と他愛も無い会話を楽しむ。

 ストイック路線への回帰を目指してはいたが、これくらいの楽しみは許されるだろう。


「それでニコルちゃんってば、私の話を盗み聞きして、そのまま山蛇を倒しに行っちゃったんだよ」

「まあ! 相変わらずニコル様は油断も隙もありませんね」

「いや、提案したのはミシェルちゃんだし。わたしは主導してないし」

「またそうやって人のせいにしちゃって。しかも本当に倒してきちゃうから困るんだよなぁ。叱るに叱れない」

「それもまたニコル様らしいですね。無茶を無理矢理押し通しちゃうんですから」


 フィニアまで呆れたように口にするのは、さすがに参った。

 俺は呻くようにテーブルに突っ伏し、睡眠前に入れてくれた蜂蜜入りのミルクをすする。


「フィニアまで怒らなくてもいいじゃない。もうたっぷりコルティナに叱られたし」

「ニコル様、そう言う問題じゃありませんよ? これがライエル様の耳に入ったりしたら――」


 フィニアが口を濁したところで、玄関の扉を叩く音が聞こえてきた。

 続いて悲痛とも言える叫び声も。


「ニコルゥゥゥゥゥゥ!?」


 その声は無論聞き覚えがある。

 前世では散々聞いた声だし、今世でもそれなりに聞いている。言わずと知れた、ライエルの絶叫だ。


「フィニア、噂をすれば影がって言う格言を知ってる?」

「でもライエル様は三日に一度はいらっしゃいますし……そろそろ来てもおかしくない頃合いですよ?」


 ライエル達が以前この家を訪れたのは、遠足前の前夜。ちょうど三日前に当たる。

 フィニアの言う通り、そろそろ押しかけてきてもおかしくないのだが、このタイミングの悪さはどうだろう?


 マリアの負担もあるので、転移魔法による来訪は以前より回数が減っている。

 それでも二、三日に一度。週に三回は顔を出すようにしている辺り、ライエルもマリアも、実にまめである。

 それだけ愛されているとわかる証拠ではある。しかし、子供なら単純に嬉しいのだろうが、中身が俺だから微妙な気分だ。

 転移先として指定されているのがマクスウェルの屋敷というのも、回数を減らした遠因だろう。

 転移魔法はあまり大っぴらに使っていい物ではないので、転移先をマクスウェルの屋敷に設定している。

 つまり、この二人が飛んで来るたびにマクスウェルが叩き起こされるのだ。


 玄関を合鍵で開け、ずかずかと乗り込んでくる二人。

 その顔は心配と怒りで真っ赤に染まっていた。


「いらっしゃい。パパ、ママ」

「いらっしゃいませ、ライエル様。マリア様」

「ちょっと、せめて家主の断りを待ってから入ってきなさいよ」


 三者三様の言葉で二人を歓迎する。いや、コルティナのはちょっと違うか。

 とにかく、二人がが怒っているのは――特にマリアが怒っているのは理解できた。おそらくは山蛇の顛末を耳にしたと推測される。

 俺としてはその矛先を、どう逸らすかが至上命題になってくる。


「ニコル、正座」

「は? え?」

「正座」

「……はい」


 矛先逸らしは最初の一歩すら踏み出す事ができずに失敗した。

 俺はマリアの剣幕に、反論の機会すらなく従う。こうなるとマリアは怖い。それはもう、ライエルよりも遥かに怖い。

 口答えしようものなら、汚物を見るような目で見つめられてしまうのだ。いや、これは前世の事だが。


「山蛇を倒したんですって?」

「うん」

「子供達だけで?」

「カッちゃんもいたよ?」

「アレは除外なさい」


 マリアにまでアレ扱いか。カッちゃんも哀れな。


「危ないことしちゃダメでしょ! 心配したじゃない」

「でも勝算は充分にあったし。コルティナの策だから、万が一はあり得ないし……」

「ちょっとニコルちゃん、私を巻き込まないで!?」


 ニヤニヤ様子を傍観していたコルティナは、突然自分の名前が飛び出したことを受けて、大いに慌てた。

 彼女もマリアの怖さを知る一人。ここで余計なとばっちりを受けたくないと思っているだろう。

 だが死なば諸共なのだ、コルティナよ。策を漏らしたお前が悪いのだ。


「コルティナには後で物理的に折檻しておくからいいの」

「物理的!?」

「精神的にもね」

「ダブルで!!」


 絶望の悲鳴を上げるコルティナ。だがそれを無視してマリアの説教は続く。

 むしろ、哀切に満ちた声に変わりつつある。これはキツイ。


「ねえ、ニコル。私たちはあなたにすごく悪い事をしたと思ってるの。あなたの身体が弱いのは、幼い頃私のお乳で育てられなかったから」

「それはわたしが飲まなかっただけで……」


 そうだ、あの頃の俺はマリアの胸に吸い付くという行為に遠慮して、半ばハンガーストライキのような状態にあった。

 それが幼少時の成育に影響を及ぼし、俺の虚弱体質の土台を作り上げてしまった。

 だがそれは、俺が望んでやった事であって、マリアには何の責任もない。


「例え嫌がってでも、無理矢理飲ませればよかったと何度思った事か。でもあなた可愛さに私にはそれができなかった。結果的に今のあなたは、とても身体が弱くなってしまったわ」

「だからそれは違うと――」

「幸いあなたは成長するとともに、身体も丈夫になっては来てる。でもそれはあなた自身の修練の成果であって、私たちの力じゃない」

「いやでも――」

「いい、ニコル。一度失敗した私だから、言わせてもらうの。あなたの身体は、言わばボロボロの馬車に近いわ。それを最高の軍馬を繋いで牽かせているようなものなの」


 マリアは俺の身体を馬車に例えて解説し始めた。

 ボロボロの馬車は俺の身体。最高の軍馬はライエルとの訓練の成果。そうやって過剰な出力で振り回された結果、やがて俺の身体は崩壊する。

 確かに子供にあるまじき戦闘力を誇る俺は、その無理から身体を壊してしまう可能性を、常に抱えている。


「だからせめて、もう少し成長するまでは大人しくしていて欲しいの。お願い」

「う、うん……」


 目尻に涙まで溜めて、マリアにそう言われては俺としてもこう返事をするしかない。

 俺は忘れがちではあるが、この身体は俺の物であると同時に、マリアの娘の物なのだ。ある意味、一人の身体ではない。

 前世のような無理は、彼女に心労を与える事を、俺は心の底から思い知らされたのである。

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