第286話 出産

 マリアの出産が始まった。

 俺はそれを聞いて……なにをしていいか、わからなくなった。

 コルティナの玄関口で、手をむやみに動かし左右をおろおろと見回す。無論そこに、誰もいない。

 フィニアは産婆の手伝いに行き、ミシェルちゃんは自宅へ母親を呼びに行った。


 いや……二人、廊下の奥に存在していた。

 でかいのと小さいのが。


「ががががガドルス、大丈夫だよな? な?」

「わわわわワシにわかるわけがなかろう!?」


 俺と同様の仕草で狼狽するライエルと、硬直したように動かず、だが足だけは高速で震えているガドルスだ。

 こういう状況で男は全く役に立たない。

 奇しくも合宿出発前にライエルが言っていた通り、ガドルスはまったく役に立っていない。


「ライエ――パパ!」

「おお、ニコル。戻ってきてくれたのか、マイハニー!」

「きもい」

「帰って早々、愛の籠った罵倒をありがとう。どうしよう、マリアが!」

「うん、たぶんそうなのじゃないかって。フィニアが行ったし、ミシェルちゃんがお母さんを連れてきてくれるって」

「それは心強い!」


 ライエルは感謝の言葉を口にし、俺をハグしようと近付いてきたが、俺はその攻撃をするりとすり抜ける。

 そしてそのタイミングで玄関口に新たな影が現れた。


「ほらほら、なぁに突っ立ってるんだい! 六英雄様ともあろう方がだらしない。邪魔だからそっちで待ってな」


 威勢のいい言葉を飛ばして入ってきたのは、ミシェルちゃんのお母さんだ。後ろにはミシェルちゃんの姿も見える。

 かつてはライエルに恩義を感じ、かしこまった態度を取っていたが、今回ばかりは緊急事態だ。その大雑把な態度が今はすごく頼りになる。

 いつもミシェルちゃんに使うような荒い言葉遣いで、ライエルたちを追い払い、居間へと退去させた。


「ニコル様はお湯を沸かしてきてくれるかな? それと奇麗な布。たくさん必要だよ!」

「あ、はい!」

「ミシェルも手伝ってきな」

「はぁい!」


 指示を受けて、俺はようやく動くことができた。出産という大事に立ち会い、困惑して何もできなくなるなんて、実に男らしいじゃないか?

 自身の動揺をそう解釈し、俺は湯を沸かすべく厨房へと駆け込んだのだった。




 翌朝、数時間にも及ぶマリアの奮闘の末、無事赤ん坊は生まれ落ちた。

 性別は破戒神が予言した通り、女。つまり妹だ。


 周辺の家に迷惑かけるんじゃないかと思わんばかりの、元気な産声が響き渡っていた。

 俺の時はほとんど産声を上げなかったらしいので、マリアは逆に安心したらしい。

 ベッドの上に横になり、軽く身を起こして赤子に乳を与えるマリアを見て、俺はライエルと並んで安堵の息を漏らしていた。


「あら、おかえりなさい、ニコル。合宿は楽しかった?」

「え、うん。あ、これはお土産」


 俺は赤子用の洗髪剤とお守りタリスマンを差し出し、横のサイドテーブルに乗せた。


「洗髪剤は身体を洗うのにも使えるらしいよ。それに赤ちゃん以外でも使えるって」

「へぇ。そういえばニコルの髪はいつもキラキラだからわからなかったけど、ミシェルちゃんとフィニアの髪は急にツヤツヤになっているわね」

「でしょ!」


 洗髪剤は完成した後、実験としてみんなで使っている。

 俺にはあまり効果は体感できなかったが、フィニアとミシェルちゃんの髪は目に見えて艶を増していた。

 俺そっくりの綺麗な髪を持つマリアにそう指摘され、照れくさそうに身をよじらせるフィニアと、にへへとだらしない笑顔を浮かべるミシェルちゃん。

 

「それより見て、ライエルも。この子が新しい家族よ。女の子」


 そう言って、少し抱いていた赤ん坊の向きをずらし、俺に顔が見えるように動かしてくれた。

 その赤ん坊は小さくて丸くて、そして赤くて――


「なんか、しわくちゃ?」

「プッ、ククク……アハハハ!」


 俺の率直な感想に、マリアは身を震わせて爆笑する。その震えが不快だったのか、赤子が身じろぎした。

 それを見て、マリアは笑いを収めていたが……まだ少し身体が震えている。


「ニコルも最初はこんな感じだったのよ?」

「うっそだぁ」


 無論、俺だって生まれたときから……自分で言うのもなんだが、可愛かったわけではないだろう。

 だけどこれは正直、まるでプラムの漬物みたいな顔はしていなかったはずだ。


「赤ん坊なんて、みんなこんな感じなのよ? でも新しい家族だって思うと、すごく可愛く見えてくるんだから」

「そんなものかなぁ」

「ニコルはドライだからね。俺はすごく可愛いと思うよ、マリア」

「あなたは口が上手いから信用できないわね」

「ひっどいな!?」


 ライエルは大仰に頭を抱えて見せたが、すぐに破顔して娘自慢を始めた。


「ほら見ろ、コルティナ。ニコルの妹だ、可愛いだろ」


 そう言って少々はしたない格好でへたり込んでいたコルティナに、話を振った。

 その横ではカッちゃんもぐんにょりと伸びていた。

 コルティナとカッちゃんは、一晩中マリアの出産に付き添い、場合によっては回復ヒールを使用していたため、疲れ切っていたのだ。


「あー、はいはい。かわいい、かわいい」

「投げやりな反応ね。祝福してくれないの?」

「それは一休みしてからよ。もう疲れちゃって。血とかいっぱい出るし、死ぬんじゃないかと心配で……」

「ゥキュ~」

「あはは、ごめんなさいね。二人目だからもう少し楽かと思ったんだけど」

「それで、その子の名前は? もう決めてあるんでしょ」

「うん、この子は……ニコルの妹の名前は――」


 そこで一度言葉を切り、ライエルと視線を交わす。

 そして満面の笑顔で俺に告げる。


「フィーナ、よ。親友のコルティナとフィニアから取ってね」


 こうして俺に、大事な家族がまた一人増えたのだ。

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