第285話 戻ってみれば……

 翌朝、俺たちはマクスウェルの持つ小島まで戻ってきていた。

 北部三か国同盟は少し寒い国で、しかもその北限の山を登ってきたのだから、寒暖の差が激しい。体力の乏しい俺としては、この気温の差は非常に堪える。


「なんだか、生きているだけで疲労しそう」

「それ、死んじゃう!?」

「例えだよ。ミシェルちゃんは大げさだよ?」

「ニコルちゃん、今までさんざん心配かけてきたのを忘れてない?」

「うぐっ!」


 まあ、今回ばかりは彼女たちにも気を使わせてしまった。しかし、体調の変化というのだけはどうしようもない。

 水着用の糸の調達という、余計な日程を挟んでしまっただけに、今回の合宿のスケジュールはかなり押している。

 今日の課題は、持ち帰ったファングウルフの牙を加工して、タリスマンの形を削り出し、そこに魔法陣を刻む作業だ。

 この作業を今日と明日、二日以内にやらねばならない。もっとも、すでに魔法陣は俺が設計済みで、後は牙を成型してその図の通りに刻むだけだ。


「ま、まあ、それはともかくとして、今日は素材の加工だよ? これも冒険者のお仕事の一つだし」

「うぅ、細かい作業は苦手なんだよね」

「わたしもできるだけサポートするから」

「なに、それほど心配するとこはあるまいよ。失敗しても、この牙の大きさなら多少は余裕があるでな」


 マテウスたちをラウムに送り届けてきたマクスウェルが、気楽そうにそう保証してくれる。

 俺たちが作る分には適当な大きさでかまわないが、赤ん坊に持たせるとなると、大きさもある程度考えねばならない。


 小さすぎると飲み込んでしまう危険があるし、大きすぎると持ち運びに不便だ。

 そのサイズを計算すると、一本の牙で一つのお守りタリスマンを作り、多少余る程度という大きさになる。

 太さで言うと三センチほどの棒状、長さは五から十センチの間という感じか。


「結構大きいのですわね、マクスウェル様」

「もっと小さく作ることも可能じゃがの。まあ、これくらいが首に吊るすにはちょうど良い。それに小さすぎると赤ん坊には危険じゃ」

「飲み込んじゃいますしね」

「慣れてくれば、小さいサイズで作り直して来ればよかろう。それができる技量を手に入れてからの話じゃがな」

「あうっ、精進しますわ」


 小屋コテージに戻り、レティーナが順調に墓穴を掘っている間、俺はミシェルちゃんとフィニアに、加工の手順を説明していた。

 学院に通っているレティーナには基礎知識があるが、この二人にはそれがない。詳細に説明せねばならない。オマケでクラウドにも。


 そうして丸一日かけて狼の牙を削り出し、俺が夜なべでその牙に魔法陣を刻み込む。

 後は魔力を魔晶石に込める要領で流し込めば、完成だ。

 内部に保有する魔力が持つ間、このお守りタリスマンの持ち主をある程度守ってくれる。

 せいぜい薄めの革鎧程度の防御だが、それでも赤ん坊の危険を大きく軽減してくれるだろう。


 貯め込んだ魔力が切れれば、俺がまた注入してやればよい。

 これで『俺の贈り物』という体裁が整えられるわけだ。


 そうして順調に合宿の日程をこなし、最終日は予備日として想定していたので、もう一度海で遊ぶことにした。

 そうやって季節に似合わぬ日焼けをしてから、俺たちはラウムへ帰還したのである。




 マクスウェルの屋敷で、集めてきた素材をそれぞれに分担し、利益を分配する。

 それはいつもの作業で、代り映えのしない光景でもあった。

 レティーナとクラウドがそれぞれの家に帰る。俺もミシェルちゃんとフィニアと一緒に、通い慣れた帰路についていた。

 いつもと違ったのは、俺たちがコルティナの家の前に来た時だった。


「ちょっと、本当に大丈夫なんでしょうね!?」


 家の中からいつもでは想像できないくらい取り乱した、コルティナの声が響いてきた。

 その声に俺は二人と、思わず顔を見合わせていた。


「な、なんだろ?」

「わかんない。でもいつものコルティナなら、あんなに取り乱したりしない」

「そうですね。いつもは悠然と構えている方ですから、珍しいです」


 彼女は基本的に冷静な人間だ。その分、内にため込みやすい性格ではあるが、その冷静さは戦場では一つの武器になる。

 その彼女が、いつにないほど我を忘れ、奇声を上げていた。


「そ、そんなの俺に聞かれても……なぁ、ガドルス、大丈夫だよな?」

「ワシが知るか!」


 続いて聞こえてきたのはライエルとガドルスの声。この二人も、戦場の猛者である。

 その二人が狼狽する声というのは、本当に珍しい。

 だがその声がヒントになったのか、フィニアはパンと手を叩いて歓声を上げた。


「あっ、もしかしたら……」

「フィニア、何か思いついた?」

「ええ。ひょっとすると、マリア様のお産が始まったのかもしれません!」

「えっ!?」


 マリアの出産予定には、まだひと月近い日にちが残っていたはず。少し早いのではないだろうか?


「予定日は来月だったよね?」

「少し早く生まれるのかもしれません。これくらいなら充分あり得ます」

「そ、それって大変なんじゃ!?」

「はい。ですので私も行ってお手伝いしてきます!」


 フィニアはいつになく乱暴にドアを開け、荷物を玄関の脇に放り出した。

 物を大切にする彼女にとって、非常に珍しい行動。


「わ、わたしもなにか……てつだうこと!」

「ニコルちゃん、落ち着いて! えっと、えっと……わたし、お母さん呼んでくるね!」


 家の奥に駆け込んでいくフィニアと、自分の家に戻っていくミシェルちゃん。

 それを見て俺は、何をしていいのかわからず、あわあわと挙動不審のまま立ち尽くしていたのだった。

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