第29話 到着
確かにフィニアは、戦闘の心得が多少はある。
それは俺と言う重要人物を守るための最小限のものでしかない。
本格的に戦う術は、彼女は手にしていなかった。
「私はライエル様達に仕えるべく家政婦としての勉強を主としてしか、してきませんでした。あの方々に仕えるにあたって、戦闘力は必要ないと考えていましたから。半端な技量を身につけても、足手まといになるだけですので」
それはそうだ。俺やライエル達のレベルで戦闘をこなすなんて、それこそ世界を救える強者になると言う事である。
彼女にそこまで求めるのは酷というモノだ。
「ですが、ニコル様の足手まといにならないようにするくらいなら、私でもできるはずです!」
「それ、わたしが弱いって言ってる?」
「い、いえ、決してそのような事は……」
まぁ、確かに今の俺は貧弱極まりない。
多少、本格的な剣術を学んでいて、過去の経験を持っているので、駆け出しよりは戦える、という程度だ。
「でもこの先の事を考えると、強くなっておくのも悪くないね」
「そうですよね!」
ラウムにはライエルもマリアもいないのだ。代わりにマクスウェルとコルティナがいるが。
問題は二人共、後衛職であると言う事である。
獣人のコルティナは種族的に身体能力は高いが、それでも本職には程遠い。
年老いたエルフのマクスウェルに到っては、一般人にすら勝てるかどうか怪しい所だろう。
いや、エルフなら十年程度なら誤差の範囲か?
「なら私がレオンに話を付けてあげるわ! 残念だけど、私は剣の心得が無いから、教えられないし」
「えー」
俺が不満気な表情を浮かべると、エレンは少しばかり頬を膨らませた。
「彼は剣術のギフトを持ってないけど、その分充分苦労してきてるわ。その経験はバカにできないわよ?」
「むぅ、それもそうか」
考えてみたら、俺やライエルの経験は桁が違いすぎて、一般人のフィニアの参考にはならない。
むしろ、ギフト持ちの師匠というのは、一足飛びに成長しすぎていて、人に教えるのに向いてない人間が多い。
俺もかつて、コルティナに隠密術の教えを乞われた事があったが、上手く教える事ができなかった。
「じゃあ、フィニアに基礎を教えてあげてくれる?」
「ニコルちゃんは必要ないの?」
「わたしはラ――パパに教えてもらってたから」
「パパ……ああ、ライエル様! 羨ましいわ、英雄の教えを乞えるなんて」
「そこだけは利点」
不本意だが、ライエルは戦闘術のギフト持ちにしては、人に教えるのが上手かった。
それは奴が、根気よく教える事に向いている、基本的に穏やかな性格だったからかもしれない。
俺はそういう、根気が無かったのだ。
だからこそ前世では剣を捨てて、鋼糸術に走ったとも言える。
「それに、今のわたしは休みが必要だし」
右手がこの有様では、剣を振るなんてしばらくはできそうにない。
しばらくは休養に費やさねばならないだろう。
まぁ、闇雲に鍛えていい事はあまりない。それは前世から今世にかけての経験で、嫌というほど思い知っている。
休む時は休む。これが上達のコツである。
「あ、そうだったわね。ふむ……特にひどいのは左腕よりも右手首ね。そこ以外は大体打ち身くらいで、骨折はなし」
「私の所見もそうですね」
「なら間違いないわね。危険な傷はないし、休息を取ればすぐ治るわ。右手は固定しておくわね」
「おねがい」
フィニアが俺の右手首に湿布を張り、エレンが添え木を使って俺の右手を固定していく。
そうやって支えを付けてもらうと、痛みがジワリと引いていくのを感じ取れた。
「ふあぁぁぁ」
ひんやりした湿布の感触が気持ちよくて、思わずそんな鳴き声が漏れた。
それを聞きつけて、フィニアがクスクスと笑い声を出す。
「くす……ニコル様って、気持ちいいとネコみたいな鳴声出すからすぐわかりますね」
「む……?」
昔から、暗殺者にしては顔に出やすいとは言われた事がある。
そう言った仕事中はまるで感情が麻痺したように冷たくなるのだが……
「はい、ニコル様。毛布を敷いておきましたから、ここでお休みください」
「はーい」
フィニアが作った寝床に横になる俺。
エレンとフィニアはヴァルチャーの後始末があるので、馬車から出ていった。
羽毛も肉も売り物になるヴァルチャーは、それらを剥ぎ取るためにそれなりの手間がかかるのだ。
その日の夕食から、俺の試練は始まった。
右手をがっちり固定されてしまったため、食事に手間取ってしまうのだ。
これを見てフィニアとミシェルちゃんが俺に『あーん』してくるので、辟易してしまった。
しかも調子に乗ってエレンまで便乗してきたので、事態は混迷を極めた。
「はい、お口を開けてください。ニコル様」
「あーんして、ニコルちゃん」
「あ、私も私も! ほらニコルちゃん、お口開けてー」
「むぐぅ! うぐぅ!?」
休みなく口にねじ込まれる干し野菜を戻したスープに、俺は悶える。
特にミシェルちゃんのスープは冷ましていないので、やや猫舌気味の俺にとっては拷問に等しかった。
「も、もーお腹いっぱい」
「えー、まだ全然食べてないじゃない!」
「いえ、ミシェルちゃん。ニコル様は大変食が細いので……今日はよくお食べになられた方ですよ?」
フィニアの擁護にミシェルちゃんとエレンさんが意外そうな顔をする。
「そーなの?」
「子供にしても食べなさ過ぎじゃない?」
「いえ、これでもマシになった方なんですよ。赤ん坊の頃はマリア様の乳すら吸わなかったくらいで、私も心配していましたから」
「それ危ないじゃない!」
フィニアの報告にエレンさんは目を剥いた。赤ん坊が母親の乳を吸わないという事は、それくらい危機的な状況なのだ。
牛の乳を代用するまで、マリアは生きた心地がしなかっただろう。オマケでライエルも。
その点に関しては、俺も彼女達に頭が上がらない。俺の我が儘で心配をかけたのだから。
「牛の乳なら口にしてくれたので事なきを得ましたが、本当に肝を冷やしましたよ」
「それじゃ体も大きくならない訳だわ……」
「ニコルちゃんはかわいーからいいの!」
横合いからミシェルちゃんが俺にぎゅーっと抱きしめてくる。
その愛情表現は嫌じゃないが、右手首が挟まってて結構痛い。
「ミシェルさん。右腕、挟んでますよ?」
「あ、ごめんなさい!」
フィニアに指摘されて、ミシェルちゃんはばっと離れた。
とっさに謝罪の言葉も出てくるところに、素直な性格が垣間見える。
多少不便な状況ではあったが、そんなサポートもあって生活には苦労しなかった。
さすがにトイレは多少の苦痛も我慢して自力で処理したが、それ以外は必ずフィニアとミシェルちゃんが手伝ってくれたのだ。
そして右手の痛みが引き、左腕が完治する頃――森とエルフの国ラウムに到着したのだった。
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