第102話 微妙な不便

 表向きは渋ってみせるフィニアを説得し、まずは宿にある大浴場で汗を流す事にした。

 このエルフの集落では、前開きのガウンのような衣装で過ごす事が推奨されている。

 気温の上がってきた昨今、しかも温泉街という事で湿度と気温が上がっており、そういう風通しのいい衣装が非常に心地良い。


 みんなでお揃いの衣装に身を包み、大浴場に向かった。無礼講で俺にマッサージをしてもらえると聞いて、フィニアの足取りが弾むように軽い。

 顔だけはいつもの無表情っぽく取り繕っているところが、少し笑いを誘う。


 後ろを歩く俺がミシェルちゃんの脇をつつき、フィニアの足元を指差す。

 その先にはかろうじてスキップを抑え込んでいる様な、そんな楽し気な足取りがあった。

 彼女もその歩調に気付いたようで、口元を押さえて笑いを堪えている。

 レティーナも俺達の動きでフィニアの浮かれ振りを察したようで、両手で口を押えて吹き出すのを押さえていた。


 彼女たちもフィニアとの付き合いは浅くない。

 だが基本的に使用人のスタイルから外れず、彼女たちには作り笑いしか送らないフィニアは、少しばかり距離感のある相手だった。

 そんな、少しばかり近付き難い雰囲気を纏っていたフィニアだが、この旅行で彼女に親しみを感じてくれたのなら、それだけでも来た価値がある。


「フィニアさん、おかしいね」

「うん。よろこんでる」

「もっとクールな方だと思ってましたわ」


 本人の後ろで、三人で顔を寄せ合ってそんな事を囁いていると、唐突にフィニアがクルリと振り返る。

 いつも通りの済ました口調。


「ニコル様、なにか?」

「ううん、なんでもない」


 顔だけ見れば、何の異変もない。だが膝から下がうずうずしているのが隠せていない。


「ぷふっ、くふふ……」

「ちょっと、ミシェルさん!?」


 ついにはミシェルちゃんが噴き出し、それを慌ててレティーナがたしなめた。

 悪戯がバレないように、必死で口を塞ぐ子供のような有様だ。


「ミシェルちゃんはときおり、唐突に笑いだす病気があるの」

「そんな病気聞いた事ないですよ」

「きにしない、きにしない」


 フィニアを前に向かせ、後ろから押して先を急がせる。

 せっかく楽しそうにしているのに、それを指摘して水を差す必要もないだろう。

 俺の背の高さでは彼女の背中には手が届かない。彼女の腰に手を当てて押しているのだが、薄い布地の向こうに感じるフィニアの身体の細さや柔らかさに、少しばかりドキリとした。

 マリアもコルティナも、冒険者時代は結構しっかりした防具を身に着けていたため、その身体の柔らかさなどは経験する機会は少なかったが……やはり男とは違うな。


「うーん、やはりフィニアはかわいい」

「ちょ、ニコル様なにを――」

「いつもフィニアが言ってくれてる事だよ?」

「確かに今日はお世話してくださるという話でしたが、そういう所まで真似なくても……」

「いいの、いいの」


 なごやかに廊下を歩き、裏庭にある大浴場を目指していると、宿の従業員が唐突に俺達に声を掛けてきた。

 少し困ったような声音で――


「あの、お客様。獣族の方は申し訳ありませんが、この先の大浴場はご遠慮いただけますと……」

「――あぁん?」

「ヒッ!」


 従業員の言葉は、あまりにも差別的に聞こえた。

 それを感じ取った俺は、生まれ変わってかつてない程の敵意を込めた声を出してしまう。

 殺意すら込めた俺の声に、従業員は腰を引かせて対応する。

 引きつったような悲鳴まで上げていたのだから、よっぽど怖かったのだろう。幼女から、ありえないほどの殺気を向けられ、完全に気圧されていた。


「あの、その……獣族の方を差別する意図があるのではありませんが、その、毛が……毛とかが、その……」

「毛? ああ、そういう事ね。ニコルちゃん、これはいいのよ」

「え?」

「ほら、私達は尻尾とかに毛が生えてるでしょ。抜けたそれがお湯に浮くのを嫌がるお客さんもいるのよ」


 そういうとコルティナはシュルリと俺の前に尻尾を差し出してきた。

 それは彼女の自慢の尻尾で、ふさふさの毛が艶やかに生え揃っている。

 確かにそれが湯に浸かれば、抜けた毛が湯に浮かぶ事もある。潔癖症の客などは、それを嫌がる可能性も充分に考えられる。


「なるほど、そういう……えと、ごめんなさい」

「いえいえ! 私こそ言葉に配慮が足りませんでした」


 俺と従業員はお互い頭を下げ合い、謝罪する。

 一般人相手に俺のような熟練者――幼女だけど――が殺気を突き付けたのだから、彼女の覚えた恐怖は計り知れない。

 俺は友好の証として右手を差し出し、握手を求めた。あと二日逗留するのだ。少しでも愛想を振りまいておいた方がいいだろう。


「本当にごめんなさいね、お嬢ちゃん」

「ううん、わたしも」

「お姉ちゃんのこと、大好きなのね」

「お、お姉ちゃんだなんて!」


 コルティナを姉と勘違いした従業員の言葉に、彼女が身をよじらせて悶える。

 なんだかいけない妄想とか、してないか?


「違う、あれはロリババァ。しかもお腹が黒いタイプ」

「なんですってぇ!?」


 コルティナが俺の背後に回り、頬を引っ張って抗議する。

 だがお前、もう四十歳近いだろう?


「ふぁっふぇ、ふぉんふぉぅふぁもん」

「私は種族的にみるとまだ若いのよ! おわかり?」

「ふぁい」


 初対面の人間に、変な顔を晒す羽目になり、俺は大人しく降参する事にした。

 だが、なるほど。こういう宿では風呂一つとってもそんな気配りが必要になるんだな。


「獣族の方も楽しんでいただけますよう、あちらにも浴場を設置しておりますので、そちらをご利用ください」


 従業員はもう一つの廊下の先を指し示し、誘導した。

 よく見ると廊下には『獣族の方はこちらをご利用ください』という張り紙もしてあった。


「あ、ホントだ」

「ありがとうございます、じゃあこっちで」


 俺達は従業員に指示された方に方向転換して、獣族用の浴場に向かったのだった。

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