第13話 英雄の姿
左半身を血に染めた姿に、幼いながらも鬼気迫る物を感じたのだろう。コボルドたちは一瞬、たじろいだような仕草を見せた。
コボルドは元々、モンスターの中でも最下層に位置する実力しかないのだ。
それでも気を取り直してこちらを取り囲み、襲い掛かる態勢を取る。
その動きに呼応するかのように、こちらも姿勢を下げて対応した。
互いに飛び掛からんとするその刹那――俺達の間に飛び込んでくる影があった。
「俺の娘に何してやがるうぅぅぁぁぁぁぁ!」
叫びと共に
その光は圧倒的質量と破壊力を持って、コボルドの一匹を跳ね飛ばし、粉々に粉砕した。
俺達を背に雄々しく立ち塞がる背中は、俺の目指す英雄の姿そのものだった。
それは駆け付けた現世の俺の父、ライエルだったのだ。
「ライ――パパ?」
「無事か、ニコル?」
「う、うん――後ろ!」
無造作に俺達に背を向けるライエルの背に、コボルドたちが襲い掛かっていった。
それも当たり前の話である。殺し合いの場で堂々と背を向けるなど、本来ならばありえない。
だがそれをしても問題がないほどに、ライエルとコボルドの間には歴然たる実力差があったのだ。
肩口に噛み付いたコボルドを全く意に介さず、俺達の無事――ではないが、まだ生きている事を見て取り、安堵の息を漏らす。
それからおもむろにコボルドの頭をあいている左手で鷲掴みにして、地面に叩き付けたのだ。
本来なら柔らかく受け止めるはずの草叢に叩き付けられたコボルドは、しかし、ありえないほどの勢いで砕け散った。
地面の柔らかさなど意に介さないほどの、ライエルの膂力をまともに受けたからだ。
頭部を粉砕されたコボルドがびくりと震え、息絶える。
ここに来て、ようやくコボルドは実力差に気付いたのだろう。僅かに目配せをして一斉に逃亡を企てはじめる。
だがそれすら、この村の英雄『達』は許さなかった。
突如、光の壁が周囲を囲い、コボルドの逃亡を阻んだのだ。
この魔法には俺も見覚えがある。
マリアの使う、神聖魔法
ライエルほどの身体能力を持たない彼女は、離れた場所からその魔法で敵を封じ込めたのだ。
いつも通りの、にこやかな笑顔を浮かべたまま近付いてくる彼女は、しかしいつもとは違う迫力を感じさせた。
半身を血に染めた俺を見て、その笑みは一層深い物になった。
ただし、多大なる殺意を籠めて。
「マ、ママ……」
「大丈夫――じゃないわね。ニコル、ちょっと待ってなさい」
一言そう言い捨てると、即座に魔法を発動させ、淡い光が俺と少女に纏わり付く。
見る間に傷が塞がったのを見て、ようやく俺はマリアが治癒魔法を使ったのに気付いた。
彼女の魔法は、高速詠唱のギフトの影響もあって、誰よりも早く発動する。
「残りのコボルドは三匹だけね?」
「うん」
「それじゃ、あなた。お願いね?」
「ああ、まかせろ。うちの娘に噛み付いた駄犬は地獄でしっかりと躾けてもらわないとな」
両手で剣を握り、一振りする。
それだけで草原が裂け、下の地面が剥き出しになった。ライエルの剣の威力を、十二分に思い知らせるに足る一振りだ。
「ガ、ガルル――」
「ワゥ……キャウン」
生き延びたコボルドは股の間に尻尾を挟み込み、怯えたように毛を逆立てていた。
無論、そんな姿を見せた所で、ライエルは容赦するはずもなかった。
咆哮にも等しい雄叫びを上げて斬り掛かり、まさに鎧袖一触に斬り倒し、叩き潰し、蹂躙していく。
その姿はまさに戦鬼。
今の俺でも、かつての俺でもできない――『戦士』の豪快な戦いっぷりだった。
それを見て俺はつくづく思い知る。あの位置に辿り着くために、俺もまだまだ鍛えねばならない。
そのためには、自分だけの力では無理だ。
俺は前世で暗殺術を極めてはいた。だがそれは俺が望んだ姿ではない。
ライエルのあの姿こそ、俺がなりたかった戦士の姿だ。
その近道はやはり、奴に師事する事から始まるのだろう。
そこに考えが到り、ようやく俺は気を抜く事ができた。
その直後、視界が真っ黒に染まっていく。
傷は既にマリアが治したはずなのだ。それなのに――?
「あ、ニコル。かけた治癒魔法は基礎的なモノだから出血まで回復させきれてないの。だから今はゆっくり休みなさい」
「な、んで……」
「強引に組織を再生させると、色々体に悪い事が起こる例もあるのよ。だから、できる限り自力で治ってもらうのよ」
そこまで聞いた所で、俺の意識はぷつんと途切れた。
目が覚めた時、俺は自室に運ばれていた。
そばにはライエルがついていて、マリアの姿は無かった。
そしてあの少女の姿も見当たらない。
「お、目が覚めたかい、ニコル」
「……パパ」
「マリアも、ああ見えて地味にスパルタなんだからなぁ。リフレッシュくらい掛けてやればいいのに」
リフレッシュは欠損部位すら治癒してしまう治癒魔法の最上級のものだ。
これならば、失った血液すら補完する事ができる。
だが以前からマリアは必要最小限の治癒の術のみを施し、自力での治癒を推奨する傾向があった。
これは過剰な治癒魔法の結果、癒された部位とその周囲の部位になんらかのズレが生じて、逆に微妙な障害を残す可能性が示唆されていたからだ。
「でも、ちゃんと治してくれたでしょ。悪くいっちゃダメだよ」
マリアは決して、怪我人を見捨てたりしない。
治せる傷は最後まできちんと治す。
より安全を期しているためにリフレッシュを控えているのに過ぎないのだ。
それはもちろん、ライエルだってよく知っている。コイツが珍しくマリアに愚痴をこぼしているのは、俺が――最愛の娘が怪我をしたからなのだ。
「ああ、それは知っているとも。別にママを責めていた訳じゃないよ」
「うん――そうだ、パパ。お願いがあるんだけど」
この三年で充分思い知った俺の必殺技、『上目遣い』でおねだりしてみる。
案の定、効果は抜群。ライエルはあっさり陥落した。
「なにかな! パパ、ニコルの言う事なら何でも聞いてあげるとも!」
珍しく『お願い』をしてきた娘に、ライエルは無駄に張り切った答えを返す。
勢い込んで乗り出してきたため、こちらが引いてしまったくらいである。
俺は少々仰け反りながらも、媚びた態度を崩さず、言葉を繋いだ。
「わたしに、剣を教えて?」
その言葉を受け、ライエルはハトが豆鉄砲を食らったような顔をして見せたのだった。
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