第12話 命懸けの持久戦



 倒れた俺に飛び掛かってくるコボルド。

 直立した犬のごとき姿。それが殺到してくる。一瞬にして視界の全てがコボルドで埋まった。

 このままでは俺はコボルドに食い散らかされて、あっさりと死ぬだろう。


 だが俺も、数多の死線を潜ってきた身だ。このまま怯えたまま座して死ぬだけの子供ではない。

 このままでは喰われるなら、避ければいいだけの話。

 左足で地面を蹴りつけ、左腕を叩き付けるように地面に突き出す。

 そのまま右側に、コボルドの下を潜り抜けて囲みを抜ける――はずだった。


 カクリと、腕の力が抜ける。

 ズルリと、足が滑る。


 躱せるはずだった攻撃を、真正面から受ける。

 ここまでの戦闘で、俺の身体は予想より遥かに疲弊していたのだ。

 そのせいで手足を滑らせ、攻撃を避け損ねてしまった。

 降りかかるコボルドの牙、俺の頭よりも大きく開かれたそれは、優に首から上を齧り取る事ができるだろう。

 わずかに身体がずれたおかげで致命傷だけは免れたが、その顎は俺の左肩に深々と食い込んだ。


 飛び掛かってきたコボルドの牙が、俺の左肩に食い込む。

 ブチブチと肉を引き裂き、先端が骨まで届く。そのままガリガリと骨を削っている。

 その音が、感触が、痛みが――一息に俺の身体を侵食した。


「ああああああがああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 前世では、この程度の傷は何度も受けた事がある。

 コボルドごときの咬撃など、意に介さず、噛みつかれたまま戦闘を続け、振り払った事もある。

 それなのに、この身体はその攻撃に耐える事ができなかった。

 幼い身体は、痛みに対しても耐性が無かったらしい。


 唯一の武器であるナイフすら手放し、手足をばたつかせて無造作に暴れる。

 それでも噛み付かれた左腕だけはピクリとも動かなかった。


「ああああああああああ、うわああああああああああぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 泣いて、暴れて……だが噛みついたコボルドは離れてくれなかった。

 ぬるりとした感触が腕を伝う。いや、噴出している。

 重要な血管を明らかに傷つけられている。このままでは長くは持たない。


 死を覚悟したその時、コボルドの背に石が投げつけられた。

 モンスターにダメージを与えられる程の投擲ではない。

 それでも、二度、三度と投擲は続けられた。投げつけたのは木に登って避難させたはずのあの子。


「な、なぜ――」

「ニコルちゃんをはなせー!」


 甲高い、悲鳴と間違わんばかりの声で、涙を浮かべながらも精一杯の投擲を放っている。

 無論コボルドにとって、その声は新たな獲物の存在を知らせるだけに過ぎない。

 俺の周囲を取り囲んでいた数匹が、その声に反応して向きを変える。


「グルルアアアアアァァァァァ!」

「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 少女に襲い掛かるコボルド。咄嗟に顔を庇ったのが功を奏したのか、俺と同じように腕に食いつかれ、致命傷だけは避けたようだ。

 だがそのまま押し倒され、やがて悲鳴すら途切れる。

 それが彼女の事切れた証なのか……いや、そんなことは許されるはずがない。


 俺は彼女を生かすために、俺は命を懸けたはずだ。

 それなのに、無駄に終わるのか――?

 いや――今、死に瀕している彼女を、俺は見捨てるのか?


「んな事……許されるはず、無い、だろう――がぁああぁぁぁぁ!」


 今にも彼女は死ぬかもしれない。ならば一刻も早く、助け出さねばならない。

 それができなくて……なにが英雄を目指す、だ!


 俺は唯一動く右腕で、コボルドのの右目に指を突き立てた。


「ギャブッ!?」


 深く突き刺した指をそのまま内で曲げて頭蓋の裏に引っ掛ける。

 仰け反ろうとするコボルドの鼻先に、渾身の力を振り絞って頭突きを叩き込んだ。


「そこから――どけぇぇぇぇぇ!」

「ギャアルルアアァァァァァァァァァァァァ!?」


 頭蓋に残る衝撃に眩暈めまいが起こるが、今はそれどころではない。

 幸い、俺の足はまだ生きている。彼女を助けに駆けつけるくらいはできる。


「その子を、放せぇ!」


 地面に転がった……彼女が投げた石を拾って、少女に襲い掛かっているコボルドに背後から殴りかかる。

 子供の身体では、まともに殴りかかってもダメージにならない。

 そこで背後からしがみつき、目を狙って殴り続けた。

 眼は、生物なら嫌でも庇ってしまう急所である。背後から襲い掛かられる恐怖感と合わせて、俺を無視するのは難しいはず。

 腕に噛み付いていた口を放し、右腕を振って俺を振り払おうとする。


 だが、それは俺の想定内の動きだ。

 タイミングがどこになるかは分からないが、背後から襲う相手を振り払うにはその動きをするしかない。違いが出るとすれば右か左か程度しかない。

 俺はその腕を掻いくぐってコボルドの前に回り込む。

 振り払う動きを利用して、体勢を崩したコボルドの足を払い、敵を突き放す。

 体勢が崩れた状態ならば、俺の力でも、なんとかコボルドを突き放す事ができた。


 距離を離した隙に少女の様子を確認したが、噛みつかれた苦痛と出血で気絶しただけらしい。

 致命傷になるような傷は存在しなかった。


 しかし、これで俺達が助かった訳じゃない。

 コボルドはいまだ、一匹たりとも倒されていないのだ。気絶した彼女を抱えて逃げる事は、この身体では不可能。

 ならば、ここで耐え忍ぶしかない。


 それは……正直言って絶望的だ。


 俺一人ならば、逃げ切る可能性もあるだろう。

 無論、彼女を見捨てるという選択肢は、俺には存在しない。


「徹底抗戦しかない、って訳だ」


 左腕は動かない。

 武器もない。

 出血も放置しておけば危険な量だ。


 それでも俺は退く訳には行かない。助けが来るまで、持ちこたえねばならないのだ。


「……戦って死ぬより厳しいじゃないか」


 戦うだけじゃダメだ。生き延びるだけじゃダメだ。ここで求められるのは、ただひたすら踏みとどまり、戦い続ける事。

 前世で死ぬ直前に経験した、あの戦いだ。


「来いよ、犬ッコロォ!」


 俺は、自身を奮い立たせるため、精一杯の大声で威嚇したのだった。

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