第237話 あくまでも治療です

 よく見ると、大通りから外れた路地裏の上空に光明ライトの魔法が打ち上がっている。

 何かを砕くような音はそちらの方から響いてきた。


「ママ、あれ――!」

「このタイミングで偶然のはずないわね。行くわよ、ニコル。ママから離れないでね」

「うん!」


 先ほどの破砕音は尋常なものじゃなかった。ひょっとしたら、マテウスがすでにコルティナと接触しているのかもしれない。

 見たところ大通りから少し離れた裏路地でのことらしい。行きかう人も何事かと顔を見合わせている。

 しかし、そちらに向かおうという人はいない。この街では暗殺者を育成する組織が存在する。

 下手なことに首を突っ込んだ場合、一般人など瞬く間に『謎の死』を遂げてしまうだろう。


 マリアと共に街路をいくつか曲がると、急激に人目が減っていく。

 これだけ人目がないのなら、襲撃するにはもってこいの環境だ。


 そしていくつかの街路を曲がった先に、コルティナはいた。

 左足に怪我を負い、地面にへたり込んだ彼女。見たところ、それ以外に怪我はなさそうなので、少し安心した。

 周囲にはなぜか木くずが散らばっており、彼女が倒したのか、男が二人軽傷を負って倒れていた。


 そして壁際には壊れた人形のような有様のマテウス。その前に拳を掲げたライエルがいた。

 壁にはあちこちヒビが入った個所があり、地面もへこんだ場所が何か所かある。二人の激闘の様子が窺える。

 いや、どうせライエル相手なら一方的にブチのめされたのだろう。それくらいライエルの戦闘力は群を抜いている。


 マテウスは見たところ、足も腕も、骨まで砕かれてしまったのか、人の形として怪しいところまでダメージを受けている。

 そこへライエルの拳を撃ち込まれたら、確実に命はない。

 だが、ライエルにそれを止める様子はなかった。珍しく完全に頭に血が上っていた。


「ライエル、ダメ!?」


 コルティナが慌てたような声を上げている。その制止の声も奴には届いていない。

 おそらく、コルティナはマテウスから情報を引き出す目的で止めているのだろう。だがライエルは俺を傷つけられたことを憤っていた。さらにコルティナを襲撃したことで、完全に堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 怒り心頭に発したライエルに、容赦など存在しない。

 邪竜の鱗すら打ち抜ける剛腕を受けて、身動き取れないマテウスが耐えられるはずがない。


 俺は反射的に足元の筋肉と腱に操糸の力を掛け、凄まじい勢いでライエルに向けて突進した。

 俺のことで怒ってくれるのはありがたいが、すでに勝負は決まっている。それに奴はクレインに繋がる貴重な情報源だ。ここで殺されるのは非常に困る。


 サードアイの矢もかくやという勢いで俺はライエルにタックルをかます。

 本来なら俺の体格でぶち当たっても、こちらが跳ね返されるだけなのだが、強化された足腰がそれ防いだ。

 ライエルは横から飛び込んできた俺に押し込まれ、拳の軌道を逸らす。

 それはマテウスの顔面のすぐ横を通り過ぎ、背後の壁を粉砕した。


「パパ、ダメ!」

「に、ニコル!? なぜここに……いや、そうか。すまないコルティナ、少し頭に血が上ってしまったようだ」


 ライエルも俺の姿を見て、ようやく自制心を取り戻したのか、コルティナに向かって謝罪の言葉を飛ばす。

 その様子を見て、コルティナは大きく息を吐いた。


「まったく、冷や冷やさせないで。なんだか様子がおかしいと思ったら、実は最初からキレてたのね?」

「本当にすまん。ニコルを傷つけた野郎が目の前にいるかと思うと、つい……な」

「気持ちがわかるけど、殺すのはやめてね。クレインにまた逃げられちゃう」

「わかってる、さっきのはちょっとした弾みだから」

「弾みで殺されかけたのか、俺は……?」


 マテウスが弱々しく苦情を言ってくるが、敵にそれを聞いてやる筋合いはない。

 しかし、見れば見るほど、こっぴどくやられたモノだ。

 左足は折れて関節が一つ増えたようになり、右肩は砕けたのか肩が完全に垂れ下がっている。

 肋骨にも損傷があるのか、口元からも血を吐き出していた。内臓にも損傷がある可能性がある。


「ママ、さすがにアレは危ない」

「ええ、そうね……正直言って治すのは非常に不本意なのですけど、このまま世界樹の魂の輪廻に戻しちゃってもいいと思うんだけど、本当に嫌々ながら治してあげる」

「すっげー嫌そうな顔してるけど、感謝する――ぎゃああああぁぁぁぁぁぁ!?」


 嫌そうなマリアにマテウスが礼を言った直後、その声は悲鳴へと変わった。

 メキメキと音を立てて、強引に元の位置に戻る骨格。

 肉の形も人のそれへと戻っていくのだが、その過程で凄まじく痛そうな音が鳴っている。


「あ、あれは痛い治し方だ……」

「おう、俺も久しぶりに見た……『お仕置き』だ」

「ひ、ひぎいいいぃぃぃぃぐううぅぅぇぇぇぇぇ!? あががががっがががが!!」


 ビクンビクンと、断末魔のごとき痙攣を繰り返すマテウス。

 治癒魔法の際に痛覚を遮断する工程を省いた、マリア独特の拷問法。現在進行形でそれが炸裂している。

 俺も何度か経験があるが、あれは本当に痛いのだ。


「あら、ちょっと雑な術になってしまったみたい。ごめんなさいね?」

「う、うぞだ、ぜったいわざど――」

「えい」

「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁ!!」


 人聞きの悪いことを言うマテウスの左足を踏みつけるマリア。

 それもそっと踏むのではなく、ごりっと音が鳴るような、踏み躙るような踏み方。


「どうやら足も治ったようね。よかったわ」

「お、お前さっき、わざと踏んで――」

「肋骨の治り具合も調べようかしら?」

「いや、なんでもないです。治していただき、ありがとうございます?」


 にっこりと意味深に微笑むマリアに、マテウスはあっさりと陥落した。

 人を治す術というモノは、反転すれば人を壊す術でもある。

 俺たちの仲間の中で、マリアはある意味最も人を壊す術を熟知している存在でもある。

 その技術の前には多少の対拷問訓練など、何の役にも立たない。マテウスもそれを察して、降伏したのだろう。


「素直な子ね。その調子でクレインの居場所についても話してくれると助かるのだけど?」

「それはさすがに……」

「お嫌かしら?」

「いえ、話します! ですが他の者も聞いているので、場所を変えません?」

「ふむ……?」


 マテウスの申し出に、マリアも周囲を見渡す。

 さすがに騒動の中心を覗きに来ようという物好きはこの街にはいない。しかし先ほどライエルがぶち抜いた壁の向こうには、腰を抜かした住人が床にへたり込んでいた。

 確かにこの場は離れたほうがいいだろう。

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