第398話 気持ち良くない朝

 窓から差し込む日の光で、俺は目を覚ました。

 どうやら少し寝過ごしたようだ。昨夜はガドルスと手合わせしたのだから、それも無理はないというところか。

 だがフィニアが様子を見に来るほどじゃない程度には、早い。そんな時間帯である。


「くぁあああぁぁぁぁ」


 ベッドの上で半身を起こし、アクビ混じりのまま伸びをして背筋を伸ばす。

 ピキピキと背筋が引っ張られる感覚が心地いい。


「ふぅ」


 昨日までの試験はギルドの依頼も兼ねていたので、相応の報酬を貰えている。

 その額は銀貨にして十五枚。今までの三倍にも及ぶ額である。

 これは街を出なければならない危険も勘案して、報酬が高めに設定されているのだろう。おかげで数日は余裕のある生活ができそうだ。


「ん~、でも装備の調整もあるからな」


 俺は胸甲のベルトを調整する程度で済むが、ミシェルちゃんの装備は少し問題だ。

 彼女の立派な山脈の形に合わせたセッティングをする必要がある。それは新品をあつらえるのに近い出費を要求するだろう。

 俺たちは新人で、資金的に余裕はない。稼げるときに稼いでおかないといけない。


 寝ぼけ眼をこすりながら、着替えをするべくベッドから足を下ろす。

 するとその一歩で俺の眠気は一気に消し飛ぶことになった。


「ふぎぃ!?」


 足首に走る激痛。見ると、細い足首が真っ赤に腫れ上がっていた。

 どうやら昨夜の勝負の決め手になった、上空からの蹴り下ろしで捻挫してしまったらしい。

 それもひどく。


「あぁぁ……あの石頭め!」


 何が『ワシの負けだ』だ。よく考えてみれば、頑健のギフトを持ち邪竜の攻撃すら耐え凌いだ奴の耐久力が、どれほど勢いをつけたと言っても小娘の蹴りごときで揺らぐはずもなかった。

 蹴った足の方が壊れても当然である。


 このままではベッドから出ることもままならない。

 俺は手早く詠唱を済ませ、治癒光キュアライトの魔法を発動させる。

 無論、気休めに近いこの魔法では完治するには程遠い。


 重ね掛けすればいいと思うかもしれないが、治癒系の魔法はその効果が定着するまでは、同じ魔法をかけても効果が薄いという難点がある。

 その時間は数分程度とはいえ、戦闘時には致命的になる問題だった。

 マリアが聖女と呼ばれていたのは、その瞬時に魔法を発動させる能力だけではなく、治癒魔法を多彩に使いこなす手札の多さがあったからだ。

 初級、中級、上級、最上級の治癒魔法に加え、干渉系や精霊系の治癒魔法まで使いこなすため、別種の治癒魔法を続けざまに掛け続けることで戦線を支えることができていた。


 言うまでもなく、俺にはその手札の多さはない。

 それどころか治癒魔法はこの初級のものしか使えない。


「……まあ、それでもないよりはマシか」


 足に体重をかけるたびに鈍痛が背筋を駆けのぼるが、歩ける程度には回復していた。

 このまま部屋から出ないのではフィニアたちに心配をかけかねないので、食事くらいは顔を出すようにしよう。


 足を引き摺りながら階段を降りると、一階のホールではガドルスがフィニアに頭を撫でられている場面に遭遇した。

 その向こうには、羨ましそうにそれを見る宿泊客の冒険者の姿もあった。


「フィニア、どうしたの?」

「あ、おはようございます、ニコル様。ガドルス様が転んだとかで、頭に大きなたんこぶができていたんですよ」


 どうやら俺の渾身の一撃は、奴の頭部にコブを作る程度のダメージを与えていたようだ。

 それだけでも少しだけ、溜飲が下がる思いがした。

 俺だけが痛い目を見たわけでないという事実が、わずかながらに慰めになる。


「そういうニコル様もどうかしたのですか? 足を引き摺ってますよ」

「……す、少し転んじゃって」


 ガドルスと同じ言い訳を使うのは業腹だが、そうとしか言い訳ができない。

 だがフィニアは心配そうに俺の元に駆け寄り、その足元に蹲って俺の足首を取る。


「っつ!」

「かなり傷んでますね。どれだけ派手に転んだんですか、もう……」


 その動きに再び痛みが走り、俺は思わず声を漏らしていた。

 だがフィニアが足元で精霊系の治癒魔法を使ってくれたことで、痛みが急速に引いていく。

 光属性や水属性の精霊の力には治癒を促進させる魔法もある。それを使用してくれたらしい。


「あれ、ニコル、どうかしたの?」

「足をひねった見たいです。転んだとか」


 俺が治癒を受けていると、裏口に続く廊下からクラウドが姿を現した。

 奴は意外と朝は早いので、裏庭で素振りでもしていたのだろう。ほんのり汗の浮かんだ顔が暑苦しい。

 そこで俺は、一つ奇妙なことに気が付いた。ミシェルちゃんの姿がない。

 彼女は子供らしく夜も朝も早い。だというのに、まだ起きてきていなかった。


「フィニア、ミシェルちゃんは?」

「それが……風邪をひいてしまったようです」


 少し心配そうに、彼女は眉を顰める。


「はぃ?」

「多分、この季節に水に入って遊んだからだと思います」

「あー……」


 まだ夏には早いこの時期。大きな湖というモノを見たことがない彼女は、テンションを上げてはしゃいでいた。

 そして湖の水も、湧き水らしく非常に冷たかった。

 いくら健康優良児の彼女とはいえ、やはり耐えられなかったようだ。


「そういえばわたしとフィニアには保温ウォームをかけていたけど、ミシェルちゃんにはかけてなかったかぁ」


 保温ウォームの魔法は一時間ほど持つ。

 モリーア草を回収して地上に戻り、それからしばらく遊んだとしても、その効果時間内だった。

 自分にかけ直す必要が無かったから、ミシェルちゃんにかけることを忘れていた。

 そして元気な彼女は、そんな魔法の補助を必要とせずはしゃいでいた。

 そのしわ寄せを受けてしまったらしい。

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