第583話 王都出発

 今すぐ出ると言い出したエリゴール王女だが、それに従うのはやぶさかではない。

 吝かではないが、一応警告をしておくのも、護衛としての仕事の一環だろう。


「今から出発しますと、次の宿場まで辿り着けないので、野宿になりますよ?」


 ラウムからストラールの間は定期的に宿場町がつくられており、商人たちがそこで宿泊できるようになっている。

 しかしそれは『朝から出発した』と仮定した距離で作られているため、昼過ぎの今から出発した場合、宿場まで辿り着けないはずだ。

 もちろん早馬を飛ばすなどの手段を講じれば、間に合うことはできるだろう。


「あら、ダメよ。朝一に出た場合は私とクラウドくんが仲良くするところを、民に見てもらえないじゃない」

「うっ、確かにそれが目的ではありますが……それなら、町を出る必要も?」

「どうせ視察に行く予定だったのだから、それに付き合ってもらう方が建設的でしょ?」

「あうぅ……この人はどうしてこう、論理的に無茶を通してこようとするのか」


 俺の泣き言に、マクスウェルはさもありなんとばかりに項垂うなだれていた。

 恐らく奴も、この王女には振り回されてきた経験があるのだろう。

 安全第一に行くなら、出発は明日にした方がいい。しかし今回の目的はクラウドとエリゴール王女を市民の目に見せつけることなのだから、人目の多い昼に出発することになる。

 この考え方は、間違いではない。


「仕方ありませんね。まず間違いなく途中野宿することになりますが、そこは覚悟しておいてくださいよ」

「ええ、それに噂のニコルさんとミシェルさんが一緒なんだから、野宿もきっと楽しくなるわ」


 パンと手を叩いて、うれしそうに微笑むエリゴール王女。その邪気のない笑顔に、俺はそれ以上言い募ることができなくなっていた。

 なるほど、確かに人を惹きつけるカリスマは充分に持っているようだ。

 この柔らかい雰囲気でありながら、決して引かない押しの強さは強烈な個性になり得る。


「わかりました。ではその方針でいきます。出発は三十分後、王城の門の前に集合ということで」

「はい、よろしくお願いしますね」

「じゃあ、わたしたちも個別に準備してきますので」


 旅に出る用意はしてあると言っても、馬車の用意までしていない。それに保存食の積み込みもしないといけなかった。

 先ほどはいつでもと言ったが、やはり長旅となると、今すぐに出発とはいかなかった。


「じゃあ、クラウドとミシェルちゃんは馬と馬車の用意。水の積み込みもお願いね。フィニアとわたしは食料を買ってくるから」

「うん、わかった」

「任せとけ」

「エリゴール殿下は――」

「エリィで結構ですわ。これから一緒に旅をする仲間なんですもの」

「うっ……では、エリィは夜営するための寝具とか持ってますか?」

「寝具? 毛布とかならいつも使っているモノが……」

「それじゃダメなので、こちらで用意しますね。かなり粗雑な品ですけど我慢してください」

「ええ、もちろん」


 城の寝室で使うような毛布なんか、旅に持ち出したら一晩で廃棄処分だ。

 もっともそれすら気にしないのかもしれないが、何泊もする可能性を考えると、頑丈な物を用意した方がいい。

 俺たちは大至急で出発準備を整え、予定通り三十分後には王城の門を出ることになったのだった。



 王城から門に続く道は、基本的に大通りになっている。

 そこは商店が立ち並ぶ、経済のメインストリートにもなっていて、相応に人通りも多かった。

 ましてや昼時のこの時間は、商店の客だけでなく職人たちも昼食を買いに訪れているため、馬車の足が止まるほどの混雑を見せていた。

 そんな中を、荷台の幌を外した俺たちの馬車が、ゆっくりと進んでいく。


「あれ、エリゴール様じゃない?」

「やだ、本当! 一緒にいるのってニコルちゃん? ラウムに帰って来てたんだ」

「え、ウソ。クラウド君、カッコよくなってない?」

「ミシェルちゃんハァハァ」

「フィニアさんは俺の嫁!」


 などと、エリゴール王女に気付いた民衆が声を上げ始めるが、それと同じだけ俺たちに対する話題も耳に入ってきた。

 中には成長したクラウドに色目を使ってる女性の声もあって、俺としては弟子の評価に誇らしいやら憎たらしいやらである。

 すでにクラウドの身長は前世の俺よりも高くなっているため、見栄えだけは非常に良い。

 半魔人への偏見が少ないラウムでは、この野郎は意外にモテていた。

 それと最後の女性はミシェルちゃんには近づくな。あとフィニアはやらん。俺のだ。


「あなた方も、結構人気なんですね」

「えっと、まぁ、目立つ人間が多いですし」


 エリゴール王女は愛想よく民衆に手を振りながらも、馬車の横で愛馬に乗るクラウドに話しかける。

 いまだ緊張している感が拭えないクラウドではあるが、今回の依頼のコンセプトを考えると答えないわけにはいかない。

 彼がエリゴール王女と仲良く会話することで、半魔人への敵愾心を少しでも減らしておく必要がある。

 しばらくすると、北から半魔人によるフィーナ誘拐の報も届くだろうから、今のうちが正念場である。


「皆さんと一緒に、レティーナも冒険をしていたのですよね?」

「ええ、その頃はフィニアさんは一緒にいませんでしたけど」

「彼女も社交界では注目の的だったんですよ? マクスウェルに掻っ攫われてしまいましたが」

「あー、そうなりますよねぇ」


 マクスウェルとレティーナは、城に残してきた。彼女たちが一緒だと、クラウドが目立たなくなってしまうためだ。

 特にレティーナは、年頃のエルフの美少女。魔法の腕もよく、六英雄とのパイプもある。しかも民衆の人気も高いとなれば、妻に迎えたいという貴族もさぞ多かったことだろう。

 その野望を暴走させたのがレメク公爵家だった。


「まぁ、長く組んでいた仲間からすると、マクスウェル様と婚約できたのは、素直に祝福できるかな? 信頼できる人柄だし、尊敬に値する方だから」

「ええ、その面では私も頼りにさせていただいてますわ」


 二人の会話は次第に弾みだし、クラウドの口調からも硬さが取れてきていた。

 エリゴール王女のこの人当たりの良さは、さすがというべきだろうか。

 俺は感心すると同時に背中に冷たい視線を感じていた。

 恐る恐る背後を覗き見ると、そこには不機嫌を隠そうともしていないミシェルちゃんの姿があった。

 日頃クラウドと組むことが多い彼女は、気安く話すエリゴール王女に何やら嫉妬心を燃やしているようだった。


「だ、大丈夫かな、今回の仕事……」


 ミシェルちゃんとエリゴール王女が敵対したら、どっちの味方をすればいいのか……俺は真剣に悩みだしたのだった。

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