第411話 間違った不機嫌
その日、ストラールの宿『大盾の守護』の食堂は、緊迫した空気に包まれていた。
宿に宿泊する名物冒険者の一人である俺が、非常に不機嫌な姿を見せていたからだ。
「つーん」
「いや、口に出されても。どうかしたの、ニコルちゃん?」
「わたしはクールな美女になるのだ。だから愛想を振りまいたりしないんだよ?」
「へぇ……もう遅いと思うけど」
俺が特に不機嫌ではないと知り、興味なさそうに辛味噌野菜炒めセットの攻略に乗り出すミシェルちゃん。
俺が知る限り、それは三セット目の定食に入っているはずだ。
そんな俺の前に。一杯のカクテルが差し出された。それを持つ腕の主は、この宿の主人ガドルスの物だ。
「これ、なに?」
「そっちの男から、お前にだとよ」
「いらない」
「そうは言われても、金を払ってもらったら出さんわけにはいかん。イヤなら口を付けなければいいだろう」
「そうさせてもらう」
カクテルは横に避けて、パンとサラダのセットを口に運ぶ。
そんな俺のそばに、先ほどカクテルを送った男が近付いてきた。
「おや、口をつけてはいただけないのですか、お嬢さん?」
「わたしはお酒は飲まないから」
魔術学院の初等部に入ったころに、こっそり酒を飲もうとして一口でダウンした記憶がある。
あれから八年が経過し、俺の身体も大人のそれに限りなく近付いている。
アルコールへの抵抗力もかなり強くなっているはずなのだが、それを確認する勇気は俺にはない。
下手に人前で正体をなくした時にこの男のような存在がそばにいたら、お持ち帰り待ったなしになってしまうからだ。
「それは失礼した。ではミルクなどはいかがかな?」
「のーさんきゅー。食事の邪魔だからどっか行って」
「……………………」
俺の素気無い態度に、男はたじろいだような表情を見せる。
この態度は先日コルティナから受けたアドバイスがあったからである。
変に場を収めようと愛想を振りまくより、あからさまに不機嫌な態度で不快を表明し、近付く男を寄せ付けないというモノだ。
その効果か、今日は俺に絡んでくる男の数は、いつもよりかなり少ない。
この男はそんな中で勇気を振り絞って声をかけてきた勇敢な男……いや、空気を読めずに声をかけてきたバカな男というべきか?
だが俺のけんもほろろな態度にちょっかいを出すのを諦め、自分の席へと戻っていった。
「邪魔な男の数は少ないんだけど……視線の数はいつもより多いような?」
「そーかもねー」
「なんでかわかる?」
「わからないこともないけどねー?」
なんと予想外なことにミシェルちゃんがわかると言ってきた。
元男の俺より女子力が低いと思っていた彼女の言葉に、俺は驚きを隠せない。
「教えてよ?」
「やだよ。なんだかイラッとしてきたし」
「えぇ」
温厚な彼女がイラッと来るとは、俺の態度はかなり悪いのではないだろうか?
もともとそういう目的だったとはいえ、あまり度が過ぎるとそれはライエルやガドルスの評判に関わるかもしれない。
昔の仲間に迷惑をかけるのは俺の本意ではないため、ミシェルちゃんに問い詰めていく。
だが彼女は答えず、代わりにお代わりを運んできたガドルスが答えてくれた。
「いや、本当にわからんのか、レ――ニコルや」
「わかんない」
「ハァ……」
呆れたような溜息の後、ガドルスは言葉を続けた。
「いいか。お前はヘソを曲げたコルティナを何度も見ておるだろう?」
「うん」
「それを見てお前はどう思った?」
言われて過去のコルティナの態度を思い浮かべる。
ヘソを曲げ。やや頬を膨らませて腕を組み、顔を背けてそっぽを向くコルティナの姿。
それは彼女の若々しい外見とあいまって、俺の嗜虐心を非常にそそる姿でもある。
「うん、すっごくかわいかった」
「だろう? いやワシにはわからんが。つまり今のお前は、そのコルティナと同じように見られておるんじゃ」
「な、なんだって――」
バカな、この俺があんな媚びるような態度に見られているだと?
絶望に染まり、呆然とする俺を見て、ミシェルちゃんは本気で呆れたような顔をして見せた。
ガドルスと顔を見合わせ、そろって肩を竦めたポーズを取ってみせる。
その拍子にたゆんと揺れた何かを俺は見逃さなかった。むしろそっちの方が嫉妬を誘うんだが?
「とはいえ、こうも男に絡まれては仕事にならんというのは、確かにあるな」
「でしょ?」
俺を置いてガドルスとミシェルちゃんが相談を始める。
ちなみにフィニアとクラウドは買い出しに行ってもらっている。
本当は皆で行きたいところなのだが、俺たちが集まると視線の集中具合もハンパない。
あまり目立つのは俺の主義に合わないので、彼らに任せておいた。なおクラウドを一緒に行かせたのは、重い荷物があるからだ。
「そうだな……少し面白い依頼が入っているから、受けてみるか?」
「面白い依頼?」
「うむ、商人の護衛じゃよ。お主もよく知ってる御仁じゃ」
「誰?」
この街に来て三年。俺の知り合いの数もかなり増えている。
同時に俺たちの力量についても知れ渡っており、一階位から三年で四階位まで登り詰めた俺たちは、いろんな意味で注目を集めていた。
『よく知る御仁』と言われても、心当たりが多すぎて思いつかない。
「テムル氏だよ。旅商人のな」
「ああ、あの」
俺がラウムに向かう時、そしてこの街に来る時に世話になった商人だ。
あれからも何度か世話になっているので、顔は覚えている。
「テムルさんが、なにか?」
「どうやら今度フォルネウス聖樹国に向かうらしくてな。その護衛を探しておるんじゃ」
「レオンさんは?」
「今はラウムにいるらしい。おかげで臨時の護衛が捕まらんとぼやいておった」
いつもはレオンと組むテムルだが、今回はタイミングが悪かったようだ。そこで新進気鋭の俺たちにガドルスが依頼を流してきたということか。
「だけど……いいのかな?」
「なにが?」
「わたしのこともだけど、クラウドのこと」
「ああ、確かにな。だが現実を知るのには、ちょうどいい頃合いじゃ」
フォルネウスは世界樹教の総本山でもある。それは同時に、半魔人差別の最も激しい地域でもあった。
なんだかんだで気の良いラウムの冒険者に囲まれて育ったクラウドにとっては、厳しい旅になるかもしれない。
ひょっとしたら、その厳しい現実に
「だけど、心が折れたらどうするんだ?」
思わず男の口調に戻った俺が、ガドルスに問い返す。
半魔人が受ける差別というのは、本当に厳しい。出会った当初の孤児院での差別とはレベルが違う激しいものだ。
下手をすると命にかかわる物もあるかもしれない。そんな現実を知って、心が挫けてしまう半魔人の冒険者も多いと聞く。
だがガドルスは、そんな俺を鼻で笑っていた。
「フン、それくらいで折れるほど柔な鍛え方はしておらん。それに……いつかは知らねばならぬことだ」
「あいつには、少し早いんじゃないかって……」
「お前もたいがい仲間に甘いな。いや、前世――前からそうじゃないかと思っておったが」
ミシェルちゃんがいる手前、ガドルスもある程度言葉を繕ってくれている。
勘の鈍い彼女は首をひねるばかりで、気付いた様子はないが、それでもガドルスの気遣いはありがたい。
だが今はそれは置いておく。
フォルネウスへの旅――半魔人差別はクラウドにとって、いつか必ずぶち当たる壁だ。
そのタイミングを今と定められるのは、ある意味幸運なのかもしれない。
たいていの場合、そういう覚悟を決める前に現実にぶち当たってしまうのだから。
俺はそう決心し、ガドルスに小さく頷いて返した。
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