第610話 甘く見た報い

 倒れたクファルを見つつも、俺たちは攻めあぐんでいた。

 今ならとどめを刺せるかもしれないが、そのとどめを刺す手段が、俺たちにはない。

 物理的な攻撃力を持つ者しか集まっていないのが、ここにきて響いていた。


 それにしても、奴も学ばない。いや、学んでいたとしても、それを扱う理性がなくなっていては意味がない。

 これまで奴は、散々コルティナを甘く見ていた。

 確かにコルティナは、六英雄の中でも特に弱い存在だ。

 しかし弱さに釣られた敵をこれまで散々撃退してきたのも、彼女の力だ。


 それは直接的な力ではない。常に逃げ回ったり、時間を稼いだりしつつ、自分に有利な状況に持っていく。

 現に、コルティナはこれまで何度もクファルの企みを防いでいる。

 ゴブリンの大量発生の時も最前線で指揮を執り、街に被害が出るのを防いでいた。

 ベリトでも他の仲間たちを出し抜き、クファルに一矢報いてみせた。その時の弱体化が、のちの俺との戦闘で優位に働いたといってもいい。

 マテウスたちや配下を使ってコルティナを狙ったこともあったが、これもライエルを呼び込むことで撃退されていた。

 そして今回も、俺ばかりに注目して彼女を軽んじた結果が……これだ。


「ぐ、ぬぅぅぅ」


 クファルが呻き声と共に、ぬるりとした動作で起き上がる。もし人間だったなら、手足が震えていたことだろう。

 しかし魔神の身体を写し取り、変化しているため、人間のような反応は起きない。


「まだ生きてるの? しっぶといわねぇ」

「貴様だ……やはり貴様が諸悪の原因だったのだ!」

「え……わ、きゃあ!?」


 起き上がったクファルは、体勢も整わないまま強引い腕を振るい、石壁を殴りつける。

 頑丈な石壁は、しかしあっさりと崩れ落ち、屋根に上がっていたコルティナとライエルはかろうじて屋根から飛び降り、難を逃れていた。

 着地し、地面で一回転がってから、起き上がるコルティナ。そこへ向けてクファルは再び腕を振るう。

 しかしそれを何度も見逃す俺じゃない。糸を飛ばしてコルティナへの攻撃を防ごうとしたが、糸は奴の身体をヌルリとした感触のみを残してすり抜けてしまう。


「あ、あれ?」

「しっかり助けなさいよ、アホー!」

「んだとぉ!?」


 憎まれ口を叩きつつも、コルティナはクファルの攻撃を避けていた。

 これはコルティナが鍛えられたと同時に、クファルがあまり接近戦を得意としていなかったという面もある。

 もしこれが俺やライエルだったならば、彼女は反応すらできなかっただろう。


「ええい、次だ次! ティナ、次の手はなに!」

「ちょっと、その顔でティナとか呼ばないでよ!?」

「今はそれどころじゃないだろ!」


 再び逃げ出したコルティナを追って、俺も駆け出した。

 今度は村の西側に向けて走り出している。そっちは三つ目の井戸がある場所でもある。


「いい、レイド。次の手は――」


 並んで走りつつ、西の柵沿いに辿り着いた。今度は柵を背負って、クファルと対峙した。


「死ねぇ!」


 狂気の叫びを上げつつ、俺たちに向かって突撃してくるクファル。

 俺とコルティナは二手に分かれてその突撃を躱す。

 クファルは勢い余って柵にブチ当たり、それを突き破って村の外に飛び出していく。


「ひ、ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!」


 先ほどよりも高い声が、柵の向こうから聞こえてきた。

 開拓村の周辺には水場は存在しない。しかし農作物を育てる上では、大量の水を必要とする。

 特に――米の栽培には地面がぬかるむほど大量の水を必要とする。

 クファルは村の隣にある水田の真ん中でのたうちまわっていた。


「き、貴様――このクソ猫おおおぉぉぉぉぉ!」


 クファルの周囲には再び湯気が満ちている。しかしそれだけではない。泥が周囲の水を吸い上げ、蒸発し、再び吸い上げていく。

 土という保水性分を持つため、クファルの周囲の水は先ほどよりもしつこく纏わりついていく。


「さらに……くらえぇぇぇ!」


 井戸のそばに駆け寄ったコルティナが、とどめと言わんばかりに手漕ぎポンプを動かし、その先についていた太い蔓を利用したホースをクファルに向けた。

 本来は水田に水を満たすための物だけに、飛び出す水の量は村の中の物よりも多い。 

 放水機のように一直線にクファルに向かい、その身体を湿らせていく。

 そのたびにクファルは悲鳴を上げ、弱っていった。

 

「おのれ、おのれ、おのれええぇえぇぇぇぇぇぇ!?」

「しぶといわね、そろそろ死になさいよ!」

「こうなったらラウムを攻めるために取っておきたかったが……」

「あん? まだ何か手があるって――」

「来い、コルキス!」

「……え?」


 クファルの叫びに思わず言葉をなくす俺たち。

 しかしそれを危機から逃れるためのハッタリと断じることはできなかった。

 翳る太陽。腹の底に響く咆哮。そして震えすら覚えるほどの圧力プレッシャー

 山を越え、開拓村のすぐそばに舞い降りてくる漆黒の邪竜。

 地響きを立てて地に降り立ち、再び振動すら伴うほどの咆哮を上げた。


「レイド、コルティナ! いったい何が……邪竜だと!?」

「そんな、他にも居たっていうの?」

「二人とも下がれ! 俺の後ろに――」


 駆け付けたライエルたちが、口々にそう叫んでよこす。

 その声音から、彼らがどれほど混乱しているのか、手に取るようにわかる。

 だが、俺たちの足は張り付いたように動かなかった。

 完全に邪竜の威圧感に飲まれてしまっていた。


 以前はこちらが巣に押しかけ、優位な状況で戦うことができた。

 邪竜は空を舞うことができず、巣穴を潰されて動きを封じられ、そこをライエルとマクスウェルの連続攻撃によって討伐された。

 しかしここには動きを封じる屋根もなく、罠を仕掛ける時間もなく、何より決め手となるマクスウェルがいなかった。


「勝ち目が……ねぇじゃないか」

「ごめん、私も何も考え付かない……」


 呆然と口にする俺たち。そんな俺たちを見て、クファルは勝ち誇った哄笑を上げていたのだった。

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