第609話 罠

 俺たちは物理攻撃の効きにくいイフリートに変化したクファルに苦戦していた。

 そこへコルティナからの『村の中へ』という指示が出る。

 本来なら避難の終了していない村の中に、神話級のモンスターを引き入れるなんて案は受け入れ難い。

 だがコルティナが策もなく、そんなことを口にするとは考えられなかった。

 なのでほとんど反射的に、その指示に従う。他の仲間たちも、村の中に駆け込んでいた。

 俺と並走するようにコルティナも、村の中へ向かっていた。


「レイド、耳を貸して!」


 ライエルに鍛えられた成果か、全力疾走の最中でも、安定した発音で俺に呼び掛けてくるコルティナ。

 その内容は常人では無茶な内容だったが、俺の場合は話が違ってくる。

 その口元に糸を飛ばし、小さく頷く。それだけでコルティナは、俺が聞く体勢を整えたと悟る。


「広場の北にある――」


 そこで再度、コルティナは指示を飛ばしてくる。

 俺はその指示で、コルティナの思惑を悟った。殿しんがりを務めるガドルスにもその内容を伝えていく。

 こういう時、俺のギフトの能力は便利である。もっとも、他の者にこれを語った時、呆れた様な顔で首を振られてしまったが。


 しばらく走って、村の中央付近の広場にやってきた。

 俺の後ろでは、ガドルスがクファルの吐き出す炎弾を弾き飛ばしているおかげで、ここまで被害らしいものはない。

 むしろ周囲の方に被害が広がっていて、大勢の怪我人が出ていた。


「クファルの狙いが俺に向いているのが救いか……」


 俺に集中しているおかげで、怪我人は出ているが、追撃を加えないため、いまだ死人は出ていない。

 だがこのままでは時間の問題だ。いかにガドルスと言えど、周囲を気遣いながら守り切れる相手ではない。

 だがそれもここまでだ。俺は目的地に到着し、壁際に張り付くようにして足を止める。

 そこは広場の北側にある、一際大きな石造りの建物の壁際だった。

 村ではライエルの屋敷に匹敵するほど大きな建物で、俺も幼い頃から見慣れていた建物だ。


「本当にここでいいのか、レイド。追い詰められてはおらんか?」

「ああ、コルティナの指示通りだ」


 不安げな表情で俺の前に立ち塞がるガドルスが、背中越しに聞いてくる。

 村のことをよく知らない彼からすれば、不安になるのも無理はない。

 この広場には井戸があるが、それはイフリートの身体を得たクファルを突き落とせるほど大きなものではない。


 井戸に突き落とすという目論見が外れ、壁際に追い込まれたようにも見えただろう。

 そんな俺たちを見て、クファルは舌なめずりをしてその異貌をニタリと歪ませた。


「ついに追い詰めたぞ、レイド……」

「そうかな?」

「俺がおる限り、背後に攻撃させたりはせん」


 俺の前に立ち塞がるガドルスが、クファルにそう言い捨てる。

 なんだそのかっこいいセリフは。一度は俺も言ってみたいぞ。もっとも俺の場合、吹けば飛ぶような防御力しかないけどな。


 いつの間にかコルティナは姿を消しているのだが、俺しか目に入っていないクファルは、それに気付いていない。

 こいつが正気だったら、気付いていたかもしれなかったのに。


「死ね、レイド。今度こそ、俺の勝ちだ!」

「さあ、どうだろうな!」


 勝利を確信し、燃える腕を振り上げるクファル。その前に立ち盾を掲げるガドルス。

 しかしそこへ、コルティナの声が割り込んできた。


「今よ、ライエル!」

「おう!」


 建物の上の方からドンという打撃音が響き渡る。

 同時に俺たちの頭上に、滝のような水が流れ落ちてきた。


 この開拓村の周辺には、川も湖もない。

 しかし人が生活するためには、水は必須である。この村の場合、水源は三つの井戸がすべてまかなっていた。

 幸いにも地下に豊富な水脈があるため、この村で水に困ることはない。そしてそれを汲み上げるため、手漕ぎポンプまで設置していた。

 それらを生活用水や畑の水源に使っている。


 しかし同時にここは辺境の真っただ中。いつモンスターが襲い掛かってくるかわからない場所でもある。

 いかに村の中とは言え、どんな敵が襲い掛かってくるかわからない。そんな時、剥き出しの井戸が汚染される危険は、充分に考えられた。

 だからこそ、貯水槽の設置は必須だった。

 そして貯水槽は、地上にあれば汚染されやすい。どんな不心得者が紛れ込むかもわからない。

 なので、石造りの頑丈な建物の上に貯水槽を作り、ポンプをそこまで繋いで水を溜めるようにしていた。


 先の打撃音は、ライエルがその貯水槽を破壊した音だった。

 炎の塊であるイフリートに変化しているクファルにとって、水は大敵である。

 それが頭の上から大量に降り注いだのだから、たまったものではない。


「ぐぎゃあああああああああああああ!?」


 断末魔じみた悲鳴を上げて、クファルはその場に倒れ伏す。しかし水は容赦なく、とめどなく降り注ぐ。

 そしてクファルの身体の熱に蒸発し、もうもうと周囲が水蒸気で満たされていった。

 視界が奪われ、クファルどころか、目の前のガドルスの姿すら視認できなくなる。


「レイド、ぼやっとするな! 今のうちに離脱するぞ」

「お、おう」


 不意に俺の腰をガドルスが抱え上げ、そのまま水蒸気の中から離脱する。

 水蒸気の温度は急激に上昇しており、あのままだったら火傷した可能性もあった。


「ざまぁ見なさいっての!」


 屋根の上でコルティナの喝采が聞こえてくる。それはともあれ、蒸し焼きにされかけるこっちの身にもなって欲しいと、一言申し上げたい気分だ。

 水蒸気が風によって吹き飛ばされ視界が晴れたら、そこには倒れ伏したままのイフリートの……クファルの姿があった。

 まだぴくぴく動いているところを見ると息はあるようだが、大きなダメージを受けたことには違いなさそうだった。

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