第40話 剛弓


 左腕の傷自体は大したことが無い。

 ただ出血が止まらないために、急速に身体が疲弊し、体温が下がっていく。

 目の前の闇は次第に視界の隅を侵食し、俺の動きを制限させていった。


 受け止める動きにも影響は出ている。

 左手が使えないため、受け流しの動作に支障が出ているのだ。

 峰に手を当てて刃をを支えられないので、敵の攻撃を受けると言う行動が取れない。

 そして受け流すにしても、先端がL字に曲がっているため、下手をすればこちらの剣を持っていかれかねない。

 結果、俺は回避に専念するしかなくなってしまった。


 大きく動く動きが体力を余計に消耗させ、ついに俺はその場に膝をついてしまう。


「ケホッ、ハァッ――コホッ……」


 敵を前に膝をつくなど、自殺行為にも等しい。だが俺の体力はすでに限界に達していた。

 その状況に、男もニタリとした嗤いを浮かべ、嘲りの声を上げる。


「どうした、もう限界かぁ? なぁに、貴様のツラなら、売った先でもいい扱いしてもらえるだろうよ!」

「ゲホ、ふざけ、んな……」

「奴隷商共は治癒術師も雇ってるからな。逃げられねぇように、手足の一本も砕いておくか。ああ気にスンナ、傷一つなく元通りにしてもらえるからよ」

「クッソ……ぉ!」


 屈辱に歯を噛み締め、震える手で吊切鉈つりきりなたを構える。

 その時、背後の戦慄を感じ取ったのは、俺の方が早かった。


 これは戦闘経験の差なのだろう。一瞬遅れで目の前の男も気付く。

 目を見開く男に、背後を振り返るまでもなく、迫りくる脅威を感じ取れた。


 とっさに横にステップして、身を伏せる俺。対して男は腰を落として盾を掲げた。

 その防御行動の差が、俺達の生死を分けたと言っていい。


 いや、そもそも矢は俺には直撃しないコースだったので、俺は安全だっただろう。

 だが、男は違う。

 轟音を立てて、突風のように吹き抜ける鋼鉄矢。

 その風圧に俺は吹き飛ばされ、無様に地面を転がりまくる。

 昏睡していた少女をかろうじて抱きかかえ、その身を守ったのは俺にしては上出来だ。


 だが男は違った。

 盾を構え、正面から受け止めるスタイル。おそらく長年染みついたその防御が、彼の命を奪った。

 鋼鉄矢は構えた盾を紙のように容易く引き裂き、その向こうにあった男の身体をも貫通する。

 

「――え?」


 腹に大穴が開いた男は、自分の状況を見て、そんな間の抜けた声を出した。

 そして自重を支える事ができず、縦に潰れてから二つに裂けたのだった。

 




 頭を抱えたままの少女が無事なのを確認して、俺はミシェルちゃんを振り返った。

 彼女は自分が巻き起こした破壊の嵐に、呆然としたまま立ち尽くしている。

 一瞬彼女のそばに、白い人影が見えたような気がしないでもなかったが、気のせいだったようだ。


 だがそれより、俺は気になった事がある。

 それは、ミシェルちゃんが手にしている白銀の大弓だった。

 明らかに魔法のかかった巨大な弓。おそらく市場で手に入れようと思えば、城が買えるほどの金貨を積み上げねばなるまい。

 そんな高価そうな弓を彼女が手にしていたのだ。


「ミシェルちゃん――?」

「え……あ、うん。大丈夫だった、ニコルちゃん!」

「う、うん。こっちは腕の怪我だけだし。少し疲れたけど。それよりその弓は?」


 俺に指摘され、初めて彼女は手にした大弓の事を思いだしたようだった。

 各所に優美な装飾と魔法文字を刻まれたその弓は、近くで見れば見るほどに美しい。


「これ? 白いお姉さんが使いなさいって」

「白いお姉さん? どこ?」


 俺に言われ、キョロキョロと周囲を見回して確認するミシェルちゃん。

 だが周囲には俺達と攫われた少女しかいない。

 他には死体と気絶した男、馬車に繋がれたまま転がって、もがいてる馬くらいだ。


「いなくなっちゃった」

「そっか……」


 さっき見た白い人影。おそらくそれがミシェルちゃんに加勢してくれた者だろう。

 こんな高価そうなマジックアイテムまで惜し気もなく渡すなんて、剛毅な話だ。


「どうしよう、これ返さないと」


 途端にオロオロと慌てふためきだしたミシェルちゃんだが、回収しないうちに姿を消したって事は、返してもらう気が無いのかもしれない。

 そんな事を考えていると俺の足元に一枚の紙切れが張り付いてきた。

 恐らく風で飛ばされてきたのだろう。何気なく拾い上げ、そこに掛かれた文面に目を通す。

 そこにはこんな文が書かれていたのだ。


『その弓はさしあげます。彼女の力にするといいです。それと、あなたは自分のギフトを使いこなせてませんよ? その力は使いこなせば最強にもなれるので、もっと精進する事。とってもやさしい神様より』


 神様……俺をわざわざ幼女に転生させたアイツか。

 女にしたのは許しがたいが、転生の道筋をつけてくれたり、ギフトをオマケしてくれたり、ミシェルちゃんに加勢してくれたりと、意外と協力的ではあるかもしれない。

 今回は本気で危なかったから、そこは感謝しておこう。


「これにくれるって書いてあるよ。遠慮なくもらっておけば?」

「え、ニコルちゃん文字読めるの?」

「おっと……」


 そう言えば学校にすら行っていない身で文字が読めると言うのは、珍しい事だった。

 無論俺は前世の知識を引き継いでいるから読めるのだが、この歳で読み書きができるのは珍しいはずだ。


「えっと、ライ――パパとママに教えてもらったの」

「あ、そっか。ライエル様とマリア様なら教えてくれるよね!」


 実際貴族の子弟ならば、入学前に家庭教師などを雇って予習させておくことも多い。

 特にマリアの見識の広さは、そこらの賢者すら凌ぐ。ここはその評判を口実に使わせてもらう事にしよう。


「それにしても、その弓凄いね」

「うん。白いお姉さんが威力が強すぎるから気を付けなさいって言ってた」

「そうでしょうとも」


 あの衝撃波を撒き散らす矢は、正直シャレにならない。

 うっかり巻き込まれたら、こちらまで肉片になる所だ。おそらく、射撃のギフトを持つミシェルちゃんでしか使いこなせないだろう。

 だが、その目論見も、彼女の次の一言で崩壊した。


「あ、もう引けないや」

「え?」

「あのね、わたしの力だと、この弓引けなかったの。だから白いお姉さんが強化の魔法をかけてくれて、鉄の矢を使ってようやく使えたの」

「そ、そっか……」


 考えてみれば、そこまで強力な弓ならば普通の矢は使えないし、子供では引く力も足りないか。


「朱の一、群青の一、山吹の三。彼の者に更なる力を――どう? これで引ける?」

「んー、ぐぐぐ……ダメ、みたい。ゴメンね」

「ううん、謝る事じゃないよ」


 使えない弓を渡した神が悪いのだ。

 俺は自分の使える強化の魔法をミシェルちゃんに施してみたが、俺の強化力では弓を使いこなせるほどにはならなかった。

 どの程度の強化を施したのか知らないが、そこは『さすが神』という所だろうか。

 それだけの力があるのなら、直接男を倒してくれればよかったのに。

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