第162話 女性的な疑惑

 コルティナの家に戻った俺は、即座に迎えに出たフィニアに荷物を預け、そのまま足早に奥のトイレに駆け込んだ。

 我慢はもはや限界に近い。

 扉を叩きつけるように閉めた後、便器の上に覆いかぶさるように俯き、盛大に……嘔吐した。


「うええぇぇぇぇ」


 いくら今後のためとはいえ、これはキツイ。

 男に、それも顔見知りの青年に媚びを売り、上目使いや猫撫で声をフル活用して好意をねだる。

 そんな行為に、俺の精神はこれ以上ないくらい、ダメージを受けていた。


「うう、なんというか……こんな芝居をまだ続けないといけないのかと思うと、気分が悪い」


 水を流して汚物を処理し、便座に座り込んでぐったりとうなだれる。

 別れるまでは必死だったので、まだ平気だった。

 別れた後も、しばらくは今後の展望を推測することに必死で、平気だった。

 しかし時間をおくにつれ、己の媚びた態度が思い出され、精神が削れていく。

 しかも過ぎた事だからどうしようもない。


「……にげたい」


 俺は今、心の底からそう思っている。

 しかしそれは、仲間であり両親でもあるライエル達を悲しませることに繋がるので、今はできない。

 どうにも陰鬱な気分でうなだれていると、扉が激しく叩かれた。


「ニコル様、どうかなさったのですか!? 具合でも悪いのですか?」


 どうやら、荷物を押し付けられたまま玄関に放置されていたフィニアが、俺の異常を察して駆けつけたみたいだった。

 あまり心配をかける訳にもいかないので、俺は口元を拭ってから、扉を開ける。

 できるだけ、何気ない素振りで。


「大丈夫、何でもないよ?」

「でも先程、その……」

「あ、うん。ちょっと吐いちゃっただけ。昔からそういうの多かったでしょ?」


 身体が弱いというのは、こういう時の言い訳に便利だ。

 魔力畜過症はすでに完治しつつあるが、それでも俺の身体が平均的女児よりもか弱いことには変わりない。

 それでも糸による身体強化や、瞬間的な機動力を活かして、大の大人に匹敵するほどの戦闘力を持つまでに至っているが、あくまで短時間でのことだ。

 耐久力や持久力的には、むしろ平均を下回っている。


「それは、そうですが……ハッ!?」


 心配そうに俺を見ていたフィニアが、唐突に何かを思いついたような仕草をした。

 そして俺の後ろに回り込み、腰の辺りをしげしげと眺める。


「え、なに?」

「いえ。ニコル様も、そろそろそういう年頃かと思いまして」

「そういう?」

「ほら、生理とか……」

「無いから! 断じて無いから!」


 確かに俺ももう十歳。早い子なら来ない事もない年齢である。

 いや、それが俺に……なんて考えると、また気分が悪くなってきた。


「なんか、もう……寝る」

「え? ああ、お疲れなんですね。ベッドメイクなら既に済ませてますので、夕食までお休みください」

「うん、ありがと」


 それにしても、あと数年もすれば俺にも……ホントにもう――


「冗談じゃない」


 口の中でそう吐き捨て、俺は部屋へと引き上げていったのだった。





 翌日。

 いつもならば校庭の隅の芝生で、ミシェルちゃんとレティーナ、マチスちゃんと一緒に昼食を取るのだが、その日は別行動を取る事にした。

 具体的には、魔術学院の理事長室に押しかけたのである。

 ミシェルちゃん達は一緒に来ていないが、カッちゃんはいつものポジション……即ち俺の頭の上に乗っかっていた。


 すれ違う生徒がギョッとしたような様子を見せるが、それが俺だと知ると納得した顔で妙にふやけた顔をして見送っていく。

 男子は頬を紅潮させたような、女子はまるでお菓子を食べている時のような蕩けた表情。

 カッちゃんを頭に載せた俺は、そんなに珍妙か?


 理事長室の重厚な樫の扉を強くノックして、返事を待たずに中に入る。そこには事務仕事にいそしむマクスウェルの姿があった。


「よう、邪魔するぜ」

「返事くらい待たんか、このバカ者め」


 立場上は学院の理事長と一生徒。その格差は比較するまでもない。

 だが俺も周囲に視線が無いのは確認済み、今更かしこまる間柄でもない。


 つかつかと壁際の書棚に歩み寄り、そこに隠していたクッキー缶を探り当てる。

 少々高い位置にあったので、爪先立ちになって引っ張り出したところが、格好がつかない。


「あ、こら! それはワシの秘蔵の……」

「いいだろ。可愛い娘に奢るくらいの甲斐性は見せろよ」

「自分で可愛いというか。お主も馴染んできたの」

「ヤメロ、それで少しばかりナーバスになっているんだから」

「ほう、何があったのじゃ?」


 半ば自爆気味に自白する羽目になった俺は、正直に昨日の出来事をマクスウェルに報告した。

 街中で散策するエリオットに大人の姿で接触し、好感触を得た事。そしてその自分の姿に激しい嫌悪感を抱いた事。

 上手く誘導され、フィニアに生理を疑われたことまで自白する羽目になった。


「くっくっく、それにしてもフィニア嬢は……なんという勘違いを、いや、確かにあと数年でそういう事態もあるじゃろうが……グッジョブ!」

「グッジョブじゃねぇ!? とにかく、少々先走り気味だったが、そんな感じでファーストコンタクトは成功したから」

「ふむ。で、次はいつ会うんじゃ?」

「ん?」


 そこまで言われ、俺はエリオットの自宅は教えてもらったが俺への連絡法を一切伝えていない事に気付いた。

 これではエリオットが会いたいと思っても、俺に伝わらない。


「これじゃ、俺から会いに行くしかないじゃないか」

「お主、妙なところで抜けておるのぅ……」


 マクスウェルは溜息を吐いて、肩を落としたのだった。

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