第319話 奇襲

 川の中から街を出た俺たちは、そのまま西側に上陸し、森に紛れるように北上していた。

 すでに背後の城壁では、戦闘の激しい音が聞こえている。

 壁に取り掛かられたのなら、一刻も早く背後を突き、ゴブリンロードを仕留めないといけない。

 それくらいには、絶望的な戦力差なのだ。


「クソ、こんな時に戦えないのは歯痒いぜ」

「いいからさっさと先に進め。時間が惜しいのだろう?」


 今回の奇襲に参加するのは、俺とケイルたちパーティの五人。それにこの街に来るときに世話になったレオンとエレンという冒険者二人。

 一時はフィニアが剣の基礎を教わっていた相手でもある。

 この八人でゴブリンロードに奇襲をかける。

 正直人数的には不安しかない戦力だが、これ以上人員を割くとコルティナの方に負担がかかると思って、やや少なめに選抜していた。

 水中呼吸ブリージングの魔法や、水上歩行ウォーターウォーキングの魔法はケイルのパーティにいる魔術師が使えるため、問題なく後ろに回り込むことができるだろう。


 だがケイルとレオンの相性が良くないのか、この二人はよく口論していた。

 もちろん二人とも本気で嫌っているわけではなさそうだが、事あるごとにケイルが愚痴を漏らし、レオンが窘めるという行為を繰り返している。

 それをエレンが溜め息交じりに注意するという行動を、何度も繰り返していた。

 俺としても、この二人には少し黙っていて欲しい。


「二人とも、そろそろ控えてくれ。ゴブリンがこちらを見ていないとも限らない」

「おっと、そうだった。すまねぇな、


 今回も俺はアストという偽名を使っていた。

 ギデオンは一剣術流派を起こしたほどの強者で、それだけにその勇名は知られている可能性もあった。俺がその事実に気付いたのは、出発してからだったのが間の抜けた話だ。


 変装の際、細かな部分で粗が出てはいけないと思い、この街で誰も知らず、しかも俺が良く知るという条件で選んだのが失敗だったかもしれない。

 幸いなことに俺の姿に違和感を持った者はいなかったので、今は事なきを得ている。

 こうなると、この姿から俺へたどり着くことは不可能に近い。ハウメアのように足が着く危険性も少ないだろう。

 いや、本当にアイツには足を向けて眠れないな。


「なあ、この辺なら連中の背後に出れるんじゃないか?」


 しばらくして、ケイルが仲間に向かってそう声を掛けた。

 確かにそろそろ集団の背後に出る頃合いだ。しかし魔術師は黙然と首を振り、その意見を却下した。


「なんでだよ、一刻を争うんだろ?」

「ここからでは場所が悪い。川には流れがある。水上歩行ウォーターウォーキングで渡河する場合、南側に流されてしまう」


 ケイルの苦言に、億劫そうに魔術師の男が答えた。

 南側とは、すなわち街の方角である。敵のすぐ後ろから川を渡って襲い掛かった場合、水の流れに乗って南へと移動し、敵の中ほどに突撃してしまうことになる。

 無論北寄りに進むことでその可能性は排除されるのだが、その場合斜めに進むことで遮蔽物のない川の上を長く渡ることになってしまう。

 それは失敗の許されない任務において、できるだけ避けねばならない事態だった。


「くっ、もう少し北から渡るしかないのかよ」

「そうだ。だから先を急げ」


 それから俺たちは急ぎ足で北上を続けた。

 途中で何度もゴブリンがこちらを注視する場面があったが、そのたびに俺が先回りして注意し、身を潜ませておく。

 幸い発見されることなく充分な距離を稼ぎ、後ろに回り込めた。


「よし、ここから川を渡って奇襲を仕掛けるぞ」

「ようやくか! 腕が鳴るぜ」

「それにしても連中、本当に糧食とか運んでないんだな」

「しょせんゴブリンの進化系だもの。それに彼らの食料は彼ら自身でもあるわ」


 強行軍を繰り返し、力尽きた仲間はその場で肉として食い散らかされる。

 本来ならば、その食糧難により群れの大きさが制限されるのだが、ゴブリンロードがいれば繁殖力と成長力が強化されるため、肉は無限に供給される状態と言ってもいい。

 そうして保持できる限界を超えた軍隊が形成され、飢えと洗脳によって狂乱し、大軍を持って人里に襲い掛かってくるのだ。


「よし、行くぞ!」


 ケイルの威勢のいい合図とともに、魔術師の男が全員に水上歩行ウォーターウォーキングの魔法をかける。

 それを確認してから、俺たちは黙々と川の上を駆け出した。

 戦争ならば鬨の声を上げて襲い掛かるところなのだろうが、これは奇襲だ。敵に気付かれるのは遅いに越したことはない。


 流れる川の上は確かに奇妙な感覚を与えてくる。

 まっすぐ進んでいるつもりなのに、流れに沿って進行方向がズレていくのだ。

 まるで床が動いているかのような感覚に、微妙に足が遅れてしまう。


 それでも陸地と同じように走れるというのは大きな利点だ。

 運良く気付かれることなく川を渡り切り、集団の背後から襲い掛かることに成功した。


「だぁっりゃああああぁぁぁぁぁ!」

「せやぁっ!」

「グギャッ!? ギャアァァァァウ!」


 中でもケイルとレオンの二人は率先して集団に斬り込んでいく。

 五階位のケイルはもちろんだが、レオンも四階位の腕前を持っており、決して見劣りするものではなかった。

 突然背後に現れた俺たちの奇襲に、明らかにゴブリンは浮足立っていた。


 だからと言ってのんびりはしていられない。たった八人の襲撃。数は比べるべくもない。

 手早くゴブリンロードを仕留めないと、あっという間に押し囲まれてしまう。そうなれば数の暴力により、蹂躙されるのはこちらだ。


 俺も縦横に槍を振るい、ゴブリンを屠っていく。

 ちらりと視線を空に向けると、そこには一羽のハトが飛んでいた。これはおそらく、コルティナが放った使い魔ファミリアだろう。

 戦況を詳しく知るために、こうして空から戦場を観察しているのだ。これとギルド職員の報告から、詳細に状況を知ることができる。

 もちろん、この使い魔ファミリアによる偵察は、人間相手なら察知されてしまう。

 相手がゴブリンだからこそ通用する偵察法と言っていい。


 二匹、三匹とゴブリンを屠りながら、敵後衛を切り裂いていく。

 そしていつの間にか、俺の目の前には一回り以上大きなゴブリンが存在していた。


「……ゴブリンロード。よりによって俺の目の前に出てくるのかよ」


 乱戦の最中、俺の周囲に仲間はいなくなっている。というか、自分のことで手一杯の状況だ。

 援軍は期待できそうにない。つまり……


「こいつは俺がやれってことだよな?」

「グルルルルルルォォォォォオオオオオオッ!!」


 まるで太鼓を連打するような低い雄叫びが、俺の鼓膜を打った。

 それを合図にするかのように襲い来るゴブリンロード。

 こうして俺は、意図せず敵の首魁と一騎打ちする羽目になったのだった。

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