第208話 後ろめたさ
遠くから金属の擦れ合う音と、馬蹄の響きが聞こえてくる。
本来森の中に馬で乗り込むのは、その機動力を無駄にする行為なので推奨できないのだが、救難者がいるという事で一刻も早く現場に到着するため、その暴挙ともいうべき行動に出たのだろう。
馬車が乗り入れられる場所なら、馬でも大丈夫という判断もあったかもしれない。
そして俺も、クラウドの容態を確認しに向かう。
クラウドの意識は、いまだに戻っていない。
しかし、腕を根元から縛られ、さらに脇の下の大きな血管を、石を挟むことで塞いでしまったので、出血はほとんど止まっている。
ミシェルちゃんも出血量が減ったことでひとまず安堵の表情を浮かべていたが、まだ予断は許さない。
彼女が腕を押さえつけているから、出血が止まっているのであって、その手を離せば再び噴水のように血が噴き出すのは目に見えている。
幼いクラウドではこれ以上の出血は、本当に命に関わる。彼女も、クラウドも、この場所から動かす事はできない。
「ニコルちゃん……手が――!?」
俺がそばに来た事で、少し笑顔を浮かべたミシェルちゃんだったが、その拳の状態を見て、顔を青ざめさせた。
俺の右手も、相当な重傷なのだ。それは一目で判別が付くくらい、形が変わってしまっている。
だが痛覚神経を切断しているため、俺自身に痛みは存在しない。
「大丈夫、命に関わる怪我じゃないし、痛みも無いから」
「それって、逆に危ないんじゃ……」
「痛みの方はわたしが自分でやった事だから、大丈夫だよ?」
そう言い訳しておいて、クラウドの残された腕を取る。
左腕からはかなり弱々しいが、それでも確実に脈打つ拍動を感じられた。
とりあえず、窮地は脱する事ができた、と言えるか。
しばらくしてがさがさと草を掻き分ける音と共に、一人の衛士が姿を現した。
彼は血塗れの俺とクラウドの姿を見て、大きな声を張り上げる。
「目標発見! 負傷者二名、衛生兵、急げ!」
そして俺たちの元に駆け付け、その止血処理を見て驚いた。
「大丈夫か!? 怪我を見せて……これは?」
すでにこの場でできる事はほとんどない。
衛生兵による治癒魔法による止血を待つだけの状態だったからだ。その処置の的確さに、衛士は目を瞠った。
「驚いたな、俺がする事がほとんどないじゃないか。これは君がやったのか?」
「ううん、ニコルちゃんの指示」
「でもこのままだと、長く持たない。早く治療しないと」
出血が収まっていると言っても、傷口が塞がったわけではない。
切断面からは滲み出すような出血がまだ続いている。しかも俺たちだけでは動かす事すらできない。
彼らが来てくれなければ、クラウドの命はなかっただろう。
「いや、充分だ。俺たちの仲間には治癒魔法を使える者もいる。再生することは難しいだろうが……」
「それなら傷口をふさぐ程度にして。後でママに治してもらうから」
「ママ……? ああ、君がマリア様のご息女か」
そう、衛士が答えたところで、再び草が掻き分けられる。
そこに姿を現したのは衛生兵……ではなく、フィニアだった。
「ニコル様!」
こちらも怪我は無さそうなのに、蒼白な表情をしていた。
その様子だけで、どれだけ心配をかけたのか理解できる。だが、あそこで無難な判断に委ねていたら、クラウドの命はなかっただろう。
「もう、心配かけて! だから衛士に連絡して任せましょうと――その腕は!?」
「ごめん、くだけた」
「砕けたじゃありませんよ! 痛みは? コルティナ様に……いえ、マリア様に早く連絡しないと!」
狼狽し、あたふたと慌てふためき、荷物を探りだすフィニア。
その慌てた仕草は歳より幼く見えて可愛らしいが、今はそれどころではない。
「大丈夫、出血も無いから私の方は心配ないよ。それよりクラウドが心配」
「それは……」
バツが悪そうに、フィニアは表情を歪めた。彼女はミシェルちゃんと、すぐにクラウドを助けに行くか、衛士に任せるかで揉めていた。
そこに俺が帰ってきて、即断で動いたため、なし崩しに彼女が衛士を呼びに行ってくれたというわけだ。俺が先に話は通しておいたので、彼女はほとんどノンストップでこの森に来る事ができた。問題は衛士隊が俺の残した痕跡を的確に追跡できるか、だった。
森での心得のある
彼女の判断通りに動いた場合、クラウドの命を見捨てる可能性も高かった。現在のクラウドの状況を見れば、それは一目瞭然である。
今のフィニアには、クラウドを見捨ててでも、俺の安全を主張したという所に後ろめたさを感じているように見える。
「ううん、フィニアの主張は正しいと思う。でもそれだと、クラウドを助けられないと思った。だからわたしは……」
「いえ、今回はニコル様の判断が正しかったんです。でもそれならば、私も一緒に来るべきでした」
「それだと、衛士たちが早く到着できなかったでしょ? フィニアの判断『も』間違ってなかったんだよ」
あのタイミングで衛士が来なければ、俺はいまだにマテウスと戦っていた可能性もある。
結果論だが、俺が先走った事でフィニアが衛士に知らせに行き、その先導を勤めることになった。偶然だが役割分担を果たしたことになる。
「成り行き任せだったけど、今回は上手く行ったんだよ?」
そう言って俺は、フィニアに最高の笑顔を向けたのだった。
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